らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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日差城 (下伊那郡阿南町新野)  

◆北条早雲もその実力を認めた下伊那国境の関一族興隆の地◆

♪♪思えば 遠くへ来たもんだ~♪♪ 武田鉄也率いる海援隊の歌詞が自然に言葉になって出る(笑)

ここから4km先の新野峠(にいのとうげ)を越えれば奥三河(愛知県)である。

今回ご紹介する日差城のある阿南町新野は、南信濃和田の遠山郷(現在は飯田市)と並び、「忘れえぬ心の故郷」なのだと勝手に思い込んでいる(汗)

日差館(阿南町) (5)
「道の駅 信州新野千石平」では「幸法(さいほう)」という新野雪まつりに登場する神のモニュメントがお出迎えしてくれるが、夜になったら出歩いていそうでチョッと怖い(汗)

【立地】

日差城址(ひさしじょうし)は新野高原(海抜800m)の中央部にあたる、市の瀬川と樽川合流地点に挟まれた中間地点にある。かつて中央に殿屋敷(とのやしき)という地名の少し小高い場所があった。
この南・東北面は小高い土手になっており、西方は掻き上げ式の空堀をもって区切られたものと思われる。

現在は昭和四〇年代後半に農業改革事業が行われ、一帯が区画整理されたため、中井川も付け替えられたが、国道151号線と国道418号線の交わる場所の東側に当たる部分と思われる。

日差城見取図①
殿屋敷と呼ばれる場所が推定書館跡。※yahoo地図の航空写真を加工しています。

【城主・城歴】

日差城の館を築いた伊勢平氏である関盛春が、救援を頼って伊勢国(三重県)鈴鹿郡関町にいたが、文安五年(1448)二子を伴って信州新野村に落ちて来た。

土地の主だった村松・金田・五島らの人々が、盛春が名家の末で勇士であることを聞き、これを領主と仰ぎ、村の中心部とら窪の地に掻き上げの館を築いた。これが五月の天差日に出来あがったことから日差城と号し、春盛父子をここに留めたと「熊谷家伝記」「関伝記」にある。

日差館(阿南町) (1)
国道151号線の新野峠方面。画面右のモニュメントは道の駅入口の「幸法」の後ろ姿。

関氏の名が最初に文献にあらわれるの㋐h、応永七年(1400)の大塔合戦の記録の中で、そこには「関豊後守」とある。応永七年は、文安五年より四十七年も前である。

次いで永享十二年(1440)七月の「結城陣番帳」に「二十二番関殿・同名又六郎殿」とあるが、これによれば明らかに関氏は南北朝以後信濃守護である小笠原氏の被官として、伊那郡の南辺を経営し、和知野川以南の地を与えて、この地に居らしめたと推定出来るのである。

日差館(阿南町) (2)
阿南町教育委員会の説明板が道路脇に立つ。

日差城の関氏には、代々遠江守盛春(享徳二年没)ー伊勢守盛国(大永五年没)ー近江守春清(文亀元年二十八歳にて早世)-安芸守春仲(幼少の為叔父右馬允春光が後見役として一家の処理にあたり、永正十六年春仲長ずるに及び右馬允補佐役を辞す)らがいた。

応永初年より約140年余、日差城に在城した関氏(関伝では文安五年より)は向方・福島・長沼それに加えて坂部・三州分大谷・市原・河内を加えて下郷とし、1,100貫文を領有した。
城に必要な推理として、中井川を市の瀬川の本流で堰きとめて引水したる側に流し城の固めとしていた。

信州松尾小笠原・鈴岡小笠原・深志小笠原などの争乱にあって仙境新野にあり、超然とその潜在力を高めていた。

日差館(阿南町) (3)
日差城の居館跡。農地改良で遺構など全く無い。水田脇の石碑は何か関係があるのだろうか?

永正三年(1506)八月、静岡の今川氏親が今槁城(豊橋)を攻めるに当たって、時の伊勢新九郎盛時(のちの北条早雲)が氏親に力を貸したため、松尾の小笠原氏が今槁城の応援をしないよう早雲が連盟を求めてきた。
その折、死者大井宗菊が持参した書状に、早雲は関氏と吾らは、同一氏族から出た一族であることを記し、関氏に小笠原との交渉のいっさいを依頼してきている(「勝山小笠原文書」)

この両者の仲介を為したのが、春仲の後見役の右馬允であった。

日差館(阿南町) (4)
北条早雲の使者もこの地を訪れたようだ。

【城跡】

現在、城跡の遺構は何も無い。

明治八年(1875)頃までは、屋敷と云われる水田の中に7.3m四方の石が積み重ねられたものがあったと云われるが、現
在では取り壊され無くなってしまった。

この屋敷の北側を古市場といい、城下町の小集落や市場・高札場があり、賑やかな所で、道路もここを中心に東西南北に走っていたが、元禄時代にこの辺一帯を水田の土地にするため、民家を現在地の山寄りに移したといわれている。

日差館(阿南町) (6)
道の駅の新設でさらに変化が著しいが、観光での活性化に活路を見いだせると思う。

さて、関氏三代を経て、成人した四代目春仲は新野からの更なる領土拡大を目指し下条領への侵攻を始める。

続きは次号「下条領に突き刺した楔(くさび) 八幡城」

≪日差城≫ (ひさしじょう)

標高:789m 比高:-
築城年代:不明
築城・居住者:関氏
場所:下伊那郡阿南町新野
攻城日:2014年3月23日 
お勧め度:★☆☆☆☆
城跡までの所要時間:-分 駐車場:道の駅
見どころ:無し
注意事項:無し
参考文献:「信濃の山城と館⑥諏訪・下伊那編 宮坂武男著」「定本 伊那の城」(猪切智義氏の記述引用有り)
付近の城址:新野八幡城、権現城など
Special Thanks to ていぴす殿

日差館(阿南町) (8)
日差城跡の遠景。戦乱なき世は桃源郷だったに違いない・・(そして今も)

せっかくなので「おまけショット」

日差館(阿南町) (9)
新野の「進撃の巨人!!」(笑)






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Posted on 2014/04/05 Sat. 01:35 [edit]

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