らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0518

枡形城 (上高井郡高山村中山)  

◆高梨領の南を守る要塞◆

三日市場城の件では皆さんの多大なる声援ありがとうございます。これからが正念場なので引き続き原状回復されるまで執拗に食い下がってまいりますので、引き続き宜しくお願い致します。

んで、矢留めしたらコツコツと真面目に攻城戦記でも書けば良さそうだが、記事を書くのも面倒クサい・・(笑)

北信濃を代表する二大豪族といえば村上氏と高梨氏で、祖先はいずれも清和天皇の孫の源頼信であるという。

小生、自慢じゃないが村上さんについては熱心に調べてそれなりに知識を有しているが、高梨さんについては上杉謙信の叔父さんだった程度の知識しかなく、慌てて高梨一族について勉強中である・・(汗)

枡形城(高山村) (2)
日常生活においても「へそ曲がり」なので、城の攻め方も玄人っぽくしたいというワガママだけである(笑)

さて、今回ご紹介するのは南に隣接する須田領との境に位置する枡形城(ますがたじょう)。高梨さんちの南の要だ。

枡形城(高山村) (4)
さっきの標柱の場所から東へ200m進むと枡形八幡広場があり、八幡社の裏側が東尾根で大手道となる。

【立地】

高山村の中央を流れる松川右岸の中野市との境界となる山嶺から張り出した独立峰に近い山に枡形城がある。この山の背後には、間山峠、大熊峠、桉沢峠があり古来より戦略上重要な所で、甲越戦争時には謙信道として川中島方面への軍用道にもなっていた。

高梨領南側の城砦
網の目のように張り巡らされた高梨氏の山城ネットワーク。

【城主・城歴】

長野県町村誌によれば、応永年間(1394-1427)に山田四郎国政、その子能登守が居城し、応永廿二年(1425)原飛騨守隆昌が遠州より来て山田氏の幕下となり代々居住したとあるが、それだけでは良く分からない点が多過ぎる。

「信濃高梨一族」(志村平治著 平成19年)によれば、枡形城と居館のある東条荘山田郷は高井郡井上を主要領主地とする井上氏の所領であったが、寛正六年(1645)に井上氏は村上氏と合戦に及び、山田郷は高梨家の有力庶子家である山田高梨高朝が領有するようになったという。

枡形城(高山村) (6)
八幡社で武運長久をお祈りして東尾根を登り始める。

枡形城が記録に登場するのはこの時で、高梨宗家は正高が隠居し中興の祖として名高い政盛が引き継ぐ。
政盛は、庶子家の山田高梨朝高が惣領家の意に反して勢力拡大を図るのを不快に思い一掃することにした。

文明十六年(1484)、山田城(枡形城)の高梨朝多可と対立していた高梨政盛は、朝高の高野山参拝中に山田城を急襲して追放し、朝高の所領を一族の将秀(まさひで)、高秀の両名に与えている。(政盛さんの功績はまた後日に)
「諏訪御符礼之古書」に「この年五月、山田城の高梨日向守高朝、高野仏詣の留守中を、高梨刑部大輔政盛、城を取られ候」とある。

山田城(枡形城)には原(山田)左京亮(はらさきょうのすけ)が引き続き置かれたようなので、原氏が政頼に内通したと見るべきであろう。

枡形城(高山村) (19)
段郭を刻み防御としている東尾根。結構険しい斜面で辟易する・・(汗)

その後、弘治三年(1557)二月に武田氏が上杉氏との和睦の停戦協定を破り葛山城を急襲して陥落させ、枡形城の原左京亮は弘治三年(1557)に武田氏に内通する。これに怒った謙信は阿修羅の如き怒涛の出撃を行い、北信濃から武田軍を追い出し善光寺平の旭山城を再構築し本陣を置いた。この時一時的に枡形城と福島城も奪還されたが、その後は再び武田方の城となった。武田氏滅亡後の動向は定かでないという。

枡形城(高山村)見取図①

【城跡】

独立峰の頂上に主郭があり南北方向の上下二段で構成され、郭1は北と東に土塁が残り、郭2は東側に土塁が残る。
周囲は石塁(石積み)が全周していてこの地域の城砦群のトレンドを踏襲している。

城の正面側となる南尾根、東尾根は段郭を多用した防御構造で堀切はほとんど無い。このような急斜面の尾根では堀切よりも段郭のが有効でありそれを実践している。

枡形城(高山村) (26)
東尾根稜線上の不整形な帯郭。

枡形城(高山村) (30)
尾根伝いに郭2に入るのは楽勝と思っていたのだが・・・。

枡形城(高山村) (34)
まあね、玄人好みの攻め方とは苦難が常らしい・・・(汗)

岩場だし、痩せ尾根で転落したらヤバそうだし、灌木の藪漕ぎは痛そうだし、竹藪になんか潜んでるかも?
「どうする俺!!」・・・まあ、行くしかないでしょう・・(笑)

枡形城(高山村) (48)
郭1から見下ろした郭2.

枡形城(高山村) (40)
郭2から郭1を見上げる。切岸には石塁が施工あれていた跡が残る。

枡形城(高山村) (45)
物凄い量の石が切岸を全周している。さぞかし大変な土木工事かと・・(汗)

枡形城(高山村) (43)
苔むした石の斜面が郷愁を誘う・・・

枡形城(高山村) (106)
主郭(32×14)

この辺りの城砦仕様だと主郭の背後にバンバンと大堀切を造成するのだが、枡形城の主郭は独立した峰の頂上で北側の傾斜もキツイ為に斜面を80m下がった場所の搦め手方面(北西尾根)に申し訳程度の三連の堀切がある。
北東の尾根の先端にも段郭と小さな堀切二条が設置されているが、その程度でも充分だったと思われる。

枡形城(高山村) (59)
主郭背後は深い沢のような急斜面。堀切など不要の天然の防御施設である。

枡形城(高山村) (69)
80mの長さの急斜面を下りて後悔する。「あーあ、この坂また登るんかい・・・」(笑)

枡形城(高山村) (81)
北西尾根最終の堀切㋗

枡形城(高山村) (72)
堀切㋕

枡形城(高山村) (75)
鉄塔は堀切を避けるように建ててありました。中電さんありがとう!

宮坂氏の縄張図と解説によれば、主郭周辺の切岸には畝状堀の跡があるようだ。確かにそれらしき形状が確認出来るし、もしそうだとすれば上杉軍による改修の跡であろうか。

枡形城(高山村) (96)
雨水による裂け目とも見えるが、畝状堀と云われればそうにも見える。

枡形城(高山村) (100)
この斜面に畝堀を施せば鬼に金棒であろう。

郭2~南尾根にかけても結構な急斜面であり、二十近い段郭や帯郭で防御を固めている。
通路に石が敷き詰められているので不思議に思うが、雨が降れば通路が排水溝になってしまい城にも登れないのでわざわざそういう加工をしたのであろう。

枡形城(高山村) (35)

枡形城(高山村) (118)
石畳のように通路に石が敷かれている虎口までの登り。急斜面なので石が無ければ雨なら滑って登れないと思われた。

枡形城(高山村) (125)
斜面には段郭が連続する。

枡形城(高山村) (138)
尾根筋の通路は石で覆われている。補給物資は南尾根経由で運び込まれたのであろうか。

山田氏によって築城された枡形城は高梨氏や原氏によって維持され若干の改修はされたであろうが、最終的な現在の縄張と防御構造は武田または上杉という大勢力の手でくわえられたものと考えられ、戦国末期まで現役として交通の要衝を守る砦として利用されたのであろう。
大切に後世に残したい城である。

≪枡形城≫ (ますがたじょう 山田城)

標高:711m 比高:175m
築城年代:不明
築城・居住者:山田氏、高梨氏、原氏など
場所:上高井郡高山村中山
攻城日:2014年4月27日 
お勧め度:★★★★☆
城跡までの所要時間:30分 駐車場:公園脇に路駐。
見どころ:段郭、堀切、土塁、石塁など
注意事項:東尾根側からのチャレンジは藪漕ぎ必死、転落注意。安全に行くなら南尾根の通常ルート。
参考文献:「信濃の山城と館⑧水内・高井編⑧ 2013年 宮坂武男著」、「信濃高梨一族」(平成19年 志村平治著)
付近の城跡:記事の最初の国土地理院の地図を参照願います。

山田高梨居館(高山村) (1)
南西から見た枡形城全景。




スポンサーサイト

Posted on 2014/05/18 Sun. 14:48 [edit]

CM: 2
TB: 0

« 祝!真田丸!  |  三日市場城の原状回復について回答がありました! »

コメント

御城主不在?

川中島合戦は城取りゲームとはいいますが、よくもこんな城を山のピークのほとんど全てに造ったもんです。
いったい、どれくらいの工事量をつぎ込んだものか・・・。
この城も麓までしか行ってないですが、なかなかなもんですねえ。
小生の友人は御城主にお会いしたとのことでしたが。

あおれんじゃあ #- | URL | 2014/05/20 20:02 * edit *

Re: あおれんじゃあ様へ

須坂、小布施、中野、飯山と山城が犇めき合って緊張感が伝わりますね。
郭1と郭2の切岸はまさに上杉仕様の典型的な土木工事で、弘治年間に上杉が奪還した時に強化されたものと見受けられます。

東尾根で小生が雄叫びをあげながら藪漕ぎしていたので、城主様は恐れをなして避難したのでしょう(笑)
あの鋭い切岸(壁)なら、小生も野獣相手に防戦が可能だったと思われます。(逆なら即死でしょう)
クーさんに出逢えない奇跡は神の御加護でしょうか・・・(爆)

らんまる #- | URL | 2014/05/20 20:59 * edit *
コメントの投稿
Secret

トラックバック
トラックバックURL
→http://ranmaru99.blog83.fc2.com/tb.php/600-853aae16
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

城主からのご挨拶

地域別攻城戦記

諸国在住の皆さまのありがたき進言

もののふ入城者数

在城中の「もののふ」

攻城戦記年表

▲Page top