らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0710

馬場美濃守居館跡 (山梨県北杜市)  

◆武田四天王「不死身の鬼美濃」の居館跡の三連チャン◆

ブログの2/3を書き終えて保存に失敗すると、悲しさと空しさを感じる。

「もう二度と同じ文章は書けない」・・・この事である・・(笑)

小生が修行している寺は「御疲山 肉体疲労寺(おつかれさん にくたいひろうじ)」である。
なので、リポDの効能が素晴らしい・・・・・(爆)

生島足島神社①
小生が甲斐に攻め入る際に無事を祈念する生島足島神社。

さて、らんまるの住む長野県上田市から山梨県北杜市までは、さぞかし距離があるように思えるが、武田軍が軍用道路として利用した大門街道(上田市~長和町~白樺湖~茅野市~原村~富士見町)を利用すると距離で約90km、時間にして約1.5時間ぐらいだろうか。

生島足島神社②
信玄さんも起請文を奉納した由緒正しい神社ですw

※生島足島神社(いくしまたろしまじんじゃ)の由来:生きとし生けるもの万物に生命力を与える「生島大神」と、生きとし生けるもの万物に満足を与える「足島大神」の二神が祀られ、摂社(下社・下宮)には諏訪大神が祀られる信濃屈指の古社。

矢留めを宣言したものの、屋敷探索ならよかろう(?)と思って出陣したのである。

鴨の会話①
まあね、鴨の噂も四十九日とか・・(笑)

んで、今回紹介するのは、武田四天王と云われるなかで最も人気の高い「馬場美濃守信房(信春)」の居館跡と伝わる三ヶ所である。

【馬場美濃守信春の生涯について】

もはや面倒くさいので、恥を承知で簡潔に要約されたウィキペディアを引用したい。

●出生と馬場氏について ※ウィキペディアより

生年に関しては、永正11年(1514年)とも永正12年(1515年)とも言われる。

「馬場家系図」によると馬場氏は、清和源氏の中の摂津源氏、源頼光の曾孫の源仲政(馬場仲政)を遠祖とする源姓の氏族。摂津源氏の一派である美濃源氏の土岐氏の祖となる源光信(土岐光信)の孫で、美濃国土岐郡に土着した土岐光衡の一族で、甲斐国教来石村に移り教来石氏を名乗る。信春もまた教来石(きょうらいし)景政と名乗り、後に馬場氏の名跡を継いで馬場信房と改名、さらに改名して信春となる。通称ははじめ民部少輔、のち美濃守。

①教来石氏屋敷跡 現地訪問記

・立地は国道20号線上の下教来石の交差点信号付近で、流川の左岸だとされる。

教来石氏屋敷 (1)
この付近が教来石氏の屋敷跡だというが、地名(屋敷裏・下木戸など)のみで遺構は無い。

教来石氏屋敷 (4)
現在の場所を徘徊しても何も得られるものは無いが、信濃との国境に近く往時は交通の要衝だったという。

教来石氏屋敷 (2)
この辺りが屋敷の中心地点。道路下の畑の石積みは近世のものであろう。

教来石氏屋敷見取図①

教来石氏は武川衆の一員として代々武田家に仕えたという。ここの屋敷は鳥原屋敷へ移転する前に住んでいたらしいがハッキリしたことは分からない。

≪教来石氏屋敷≫ (きょうらいししやしき)

標高:675m
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:山梨県北杜市白州町下教来石
攻城日:2014年7月2日 
お勧め度:★☆☆☆☆ 
城跡までの所要時間:
見どころ:
注意事項:
駐車場:無し
参考文献:「甲斐の山城と館㊤」(2014年 宮坂武男著)




●信虎時代  ※ウィキペディアより引用

武田信虎の時代から武田氏に仕える。はじめは現在の山梨県北巨摩郡一帯に分拠していた武川衆の一員であった。
武田晴信(信玄)の初陣である海ノ口城攻めに参加し、敵将・平賀源心を討つという功績を挙げたといわれている。天文十年(1541)の信玄の信虎追放計画に参加していたといわれている。


②鳥原屋敷(殿畑・教来石民部館)

先ほどの教来石氏屋敷から南へ500mほど下った鳥屋集落の北東の台地の所でサントリー白州蒸留所の北側にある。
ここからは東側を流れる釜無川の七里岩の崖上に笹尾塁が見える。

鳥原屋敷(北杜市) (4)
史跡公園として整備されていたようだが、来訪者も絶えたようだ。

鳥原屋敷(北杜市) (2)
草に埋もれた標柱を発見する・・(汗)

ここは教来石民部の館跡という伝承が残るのみでハッキリしたことはわからない。ただ、昭和63年と平成元年に部分的な発掘調査と地中レーダーによる測定が行われ、堀に囲まれた二郭の居館跡だったということが判明しているという。

遺構からの出土物によりこの屋敷は14世紀~16世紀中ごろまでの使用と推測され、教来石民部政景が馬場氏の名跡を継いだ頃に廃館になったのではないかと云われている。

島原屋敷写真①
郭2の部分は観光施設の建設により改変され見る影もない。

鳥原屋敷(北杜市) (3)
郭1の東側の堀切。

鳥原屋敷(北杜市) (7)
大河ドラマも終わっちゃうとこんな有り様になるので寂しいものです。

諏訪氏との国堺で笹尾塁と連携しながら情報を躑躅ヶ崎館に送っていたのでしょうネ。
せっかくの史跡公園なので、定期的に整備して欲しいものです。

≪鳥原屋敷≫ (とりはらやしき)

標高:710m
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:山梨県北杜市白州町鳥原
攻城日:2014年7月2日 
お勧め度:★★☆☆☆ 
城跡までの所要時間:
見どころ:
注意事項:
駐車場:有り
参考文献:「甲斐の山城と館㊤」(2014年 宮坂武男著)
付近の見どころ:笹尾塁、サントリー白州工場(無料見学出来ます・・・笑)



●信玄時代  ※ウィキペディアより引用

信玄が武田氏の当主となり、その直後から諏訪・伊那(いずれも信濃国)攻めが始まると、これに参加して武功を挙げた。このため信玄から、天文15年(1546年)に信虎時代に信虎に当主・馬場虎貞が殺害されたために名跡が絶えていた、甲斐武田氏譜代の名門である馬場氏を継ぐことを許された。このとき、同時に50騎持の侍大将となり、名も景政から信房と改めた。

その後も信玄の信濃攻めに参加して武功を挙げたため、永禄2年(1559年)に120騎持に加増され、譜代家老衆の一人として列せられた。永禄4年(1561年)の川中島の戦いでは、上杉軍の背後を攻撃する別働隊の指揮を任されたと言われている。永禄5年(1562年)には前年に隠退した原虎胤にあやかって美濃守の名乗りを許され、馬場美濃守信春と改名する。

永禄11年(1568年)の駿河攻めにも参加する。永禄12年(1569年)の三増峠の戦いでは、先鋒として北条軍と戦い、武功を挙げた。元亀3年(1572年)の信玄による西上作戦にも参加し、信玄から一隊の指揮を任されて只来城を攻略した。三方ヶ原の戦いにも参加し、徳川軍を浜松城下まで追い詰めるという武功を挙げた。


③馬場美濃守屋敷 ※らんまる訪問記

立地~釜無川の右岸、中山の北麓にある白須集落の西側が殿町と呼ばれ、ここに馬場美濃守の屋敷跡が伝承されている。信州往還の古道に接する要衝の地である。

鳥原屋敷(北杜市) (12)
白州保育園の場所が屋敷跡だと云う

市の指定史跡になっているようだが、現在は標柱も無いし保育園なので当然立ち入り禁止である。
なぜこの場所が特定されたのか根拠にも乏しいという。

現地を見ても「??」という感じで、標柱も必死に探したが保育園の敷地内にあるのだろうか。
なんで保育園に「セスナ機」が置いてあるのかも良く分からない・・(汗)
カメラ持ってウロウロしていたら確実に通報されるので、そそくさと逃げて来た次第である。

馬場美濃守屋敷①
県道駒ヶ岳公園線の南側から撮影。

馬場美濃守屋敷①
こんな感じかしら?

≪鳥原屋敷≫ (とりはらやしき)

標高:710m
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:山梨県北杜市白州町白須
攻城日:2014年7月2日 
お勧め度:★☆☆☆☆ 
城跡までの所要時間:
見どころ:
注意事項:写真撮影注意
駐車場:無し
参考文献:「甲斐の山城と館㊤」(2014年 宮坂武男著)



んで、馬場美濃守の終焉の地は次回ご案内しましょうか・・・。
スポンサーサイト

Posted on 2014/07/10 Thu. 08:26 [edit]

CM: 2
TB: 0

« 馬場美濃守信房の墓 (愛知県新城市長篠)  |  獅子吼城 (山梨県北杜市須玉町江草) »

コメント

こんばんは、らんまるせんせ・・・(T_T)
まことに御愁傷様です…( ノД`)…チーン

航空写真、何となく雰囲気がわかってありがたいです。ふりがなと紹介がないとわからない方が多いのですが、面白いです。源満仲君の子孫さんちも、頑張ってたんですねー。

それにしても、ものすごい草むらですねー。せっかく整備したのにお気の毒な公園です。記事にして、見てる人もいるよ、っとお伝えしなきゃ忘れられてしまいそうです。

いつもコメントのお返事にらんまるせんせ講座をしていただいて、ありがとうございます。へえーほおー、おおお!?っと、楽しみです。うきうきです。

せんせのお住まいの辺りは風雨激しくないですか?無理してお屋根に登っちゃダメですよ。

つねまる #- | URL | 2014/07/10 23:46 * edit *

Re: つねまる様へ

酔っ払いの書くブログはそんな「えっ、保存出来なかったの?時間返せ!」そんなオチが似合ってます・・(笑)

最近の地図データは航空写真に切り替えが出来るので鳥になれない我々にはとても便利ですね。
もっとも山林や雑木林が生い茂る山城には使えません。基本禿げてないとダメです・・(汗)

縄張名人と呼ばれた鬼美濃さん、熱狂的な武田フリークの方の中でも人気が高く縄張名人として「カミ」扱いです。信州の深志城(松本城)・小諸城(勘助とも)・牧之島城、静岡県の小山城・諏訪原城・田中城などは馬場さんの縄張りとされ美しい三日月堀と丸馬出しを持つ甲州流築城の傑作とされています。
長篠合戦では退却する武田軍の殿軍として壮絶な討死を遂げ、享年61才。
二年前、古戦場に建つ馬場さんの墓参りに行ってきました。「敗軍の将、兵を語らず」・・思わず落涙。

小生の記事やコメントを楽しみにされる奇特な貴女に今宵も乾杯!(ってか、毎日飲んだくれてますが・・・)

らんまる #- | URL | 2014/07/11 07:33 * edit *
コメントの投稿
Secret

トラックバック
トラックバックURL
→http://ranmaru99.blog83.fc2.com/tb.php/622-d7dbc062
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

城主からのご挨拶

地域別攻城戦記

諸国在住の皆さまのありがたき進言

もののふ入城者数

在城中の「もののふ」

攻城戦記年表

▲Page top