らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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馬場美濃守信房の墓 (愛知県新城市長篠)  

◆「不死身の鬼美濃」終焉の地にて落涙◆

武田四天王の一人である馬場信房は、信虎・信玄・勝頼の三代に仕え、戦場に赴く事およそ七十を超えるも、かすり傷負わなかった彼は「不死身の鬼美濃」と評された。

ちなみに武田四天王の他のメンバーは、山県昌景(やまがたまさかげ)、内藤昌豐(ないとうまさとよ)、春日虎綱(かすがとらつな、または高坂昌信)というのが定説らしいが、個人的には板垣信方さんを入れてあげて!と思ってます。

長篠城 (2)
長篠古戦場を見なければ死ねない・・と思いつつ2012年10月、ようやく訪問。これで寿命が尽きても大丈夫?(笑)

小生は武田フリークでは無いが、築城名人である馬場さんの終焉の地はどうしても見ておきたかった・・・。

設楽原古戦場 (49)
設楽原古戦場(したらはらこせんじょう)にある日本史上で最も有名な(?)馬防柵。

設楽原古戦場 (52)
背の低いポニーのような馬でこんな柵に突進するほど武田軍はアホだったとは思えません・・(汗)

武田の騎馬軍団といえば、西部劇で地元住人のインディアンを駆逐するような背の高い馬をイメージする人が多いと思いますが、背の低い日本人があんな馬に乗れる訳無いでしょう。

それに馬は移動手段として貴重だったので、戦場に投入したとは考えづらいというのが持論です。無論、大将はもちろん、幹部クラスや将校などが退却には使ったと思われます。

設楽原古戦場 (57)

既成概念を打ち破るというよりは、リセットして考えてみる。「この戦争はここで本当にあったのだろうか??」

天正三年(1575)5月21日。「その時 歴史は動いた」 が、武田壊滅の真相は後世の創作が邪魔しているような気がしてならない。


【長篠城攻防戦と設楽原の戦いの真相は謎である】

双方が合戦に及んだ最中に、合戦時に死ぬ奴は少ない。大量の死傷者が出るのは、敗者が退却する時である。勢いに乗った敵方が、戦意を喪失し逃げ支度をしているわが軍に攻めかかれば大量の戦果を挙げられるであろう。

長篠の戦いも、織田・徳川の軍勢が優勢な展開に終始した事も有り、、武田軍の死傷者の数は、退却も含めて相当な数となった。

設楽原古戦場 (45)
設楽原古戦場の遠景。双方合わせて数万の軍勢が雌雄を決した古戦場などとは思えない狭さである。

設楽原の戦い(長篠合戦)における武田方の敗因は諸説あるが、御一門衆である穴山信君(あなやまのぶただ)の命令違反による戦線離脱というのが真相に近いと云う。

山県や馬場が勝頼に、織田・徳川との決戦を避け本国への撤収を諫言したが聞き入れられず、やむを得ず戦端を開いたという説が主流であるが、果たしてそうであろうか?

長篠城の包囲戦を指揮し、設楽原における決戦を主張したのは穴山梅雪(信君)であり、勝頼は意見する事も出来ず戦況が悪化するのを見届けるしかなかったというのが真実に思えてならない。

設楽原古戦場 (60)
敗れた武田軍は信濃に退却するために北へ逃れたと云う。

●馬場美濃守の最期 ※ウィキぺディアより引用

元亀4年(1573年)4月、信玄が死去すると、山県昌景と共に重臣筆頭として武田勝頼を補佐するが、山県と同じく、勝頼からは疎まれたという。天正3年(1575年)5月の長篠の戦いでは山県と共に撤退を進言するが容れられず、代わりの策も勝頼の側近に退けられるといった有様であった。ただし、これは確たる資料に出てくる話ではなく、後世の作り話である可能性が高い。

5月21日の設楽原での織田・徳川連合軍との決戦では武田軍右翼の中核に配されるが、味方は敵の防御陣を突破できずにいた。元々、数で劣る味方の攻勢が長続きする訳がなく、次第に崩れだした武田軍は、有能な人材を次々と失い、戦線は崩壊。大敗を喫した勝頼が退却するのを見届けると、殿軍を務めていた自身は反転して追撃の織田軍と戦い、戦死した。『信長公記』に「馬場美濃守手前の働き、比類なし」と評される最期だった。これは同書にて「余多の者に手を負はせ、其の後、腹十文字に切り、比類なき御働き」と評された三好義継の最期と同等である。享年61。豊川(寒狭川)沿いの出沢(すざわ、新城市出沢)が戦死の地とされており、石碑もある。

なお墓所は、出沢ではなく長篠城址に近い新城市長篠字西野々の住宅地にある。

長篠城 (58)
長篠城近くにある馬場美濃守の墓所。ちょっと分かりづらい場所にある。

小生は武田フリークでは無いが、甲州流の美しく堅固な城を数多く手掛けた馬場美濃守信房の隠れ信者である。

彼の最期の地を訪れるのは巡礼にも似た心境である・・・

長篠城 (59)
馬場美濃守信房の墓所。

武田家の重臣として敗戦の責めを背負い、殿軍(しんがり)として勝頼を守り、武田家の再起を願う彼の想いが聞こえたような気がして、不覚にもその場で落涙した次第である・・・。

設楽原古戦場 (2)
馬場美濃守着用の鎧 (長篠城址史跡保存館)

≪馬場美濃守信房の墓≫ (ばばみののかみのぶふさのはか)

標高:50.0m 比高:-
場所:愛知県新城市長篠西野々51-1
攻城日:2012年10月10日 
お勧め度:★★☆☆☆ 
付近のスポット:「長篠の戦い史跡めぐりコース」でがっつり見て廻りましょう。 







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Posted on 2014/07/11 Fri. 23:36 [edit]

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コメント

ながしの

川中島合戦を始め、戦国時代の合戦、ほとんどは創作の域をでないものが多いですが、この設楽原合戦も訳の分からんものですね。

通説はまずほとんど信用できず・・多くの戦死者が出たのは間違いないようですが、通説ほど多い戦死者は出てはいないでしょう。
小生はしばしの対陣、にらみ合い後、武田軍の撤退時を狙って急襲したんじゃないかとも思えます。
まあ、いくらでも推理はできそうです。

馬場さんも巻き添えを食らってしまったのかなあ。

あおれんじゃあ #- | URL | 2014/07/13 23:45 * edit *

Re: あおれんじゃあ様へ

勝者の都合のいいように書かれちゃうって感じでしょうか。
あんな狭い所で馬を引きずりまわして、鉄砲バンバンって考えられない・・(笑)
長篠城救援の陣地を築いて防塁を施したところへ武田さんがチョッカイ出して引くに引けず・・
大量の鉄砲の轟音に馬も兵隊さんも腰抜かして我先にと退却したか逃げたんでしょうネ。

それにしても馬場さん惜しい事でしたが、彼の名は縄張した城とともに不滅です。見事に記憶に残った訳です。それはそれで凄い事ですネ。

らんまる #- | URL | 2014/07/14 07:25 * edit *

こんばんは、らんまるせんせ。

わーい。長篠の合戦場だー。湯谷温泉に行く途中のところだー!鳥居強右衛門さんがすっぽんぽんで磔にされてたシュールな絵があって、母と気まずい空気が流れたとこだ…(T_T)

こんな柵でも、万里の長城みたいに騎馬には有効だったのよ!っと、うっかり自慢しそうです。危ない危ない。

せんせに教えていただいたので、昨日のルビーの家康に、「あなた、これから、欲張りさんするくせにっ」と、突っ込めました。そして、今、築城の名手の鬼美濃様に夢中です。石垣の高虎君しか知らなかったので、それより難し楽しいお城が面白いです。ご教授、感謝します!

つねまる #- | URL | 2014/07/14 20:17 * edit *

Re: つねまる様へ

あれま、湯谷温泉行ったんですか?秋の行楽シーズンで紅葉に染まる鳳来山と温泉脇の渓谷は絶景でしたネ。奇遇でございます(笑)

長篠の合戦、諸説ありますが諏訪氏の血を引く勝頼さんチョッと無理しちゃいました。卑怯戦法で迫りくる森高の旦那とルビーの家康連合に負けちゃいましたが、結果としてオヤジ時代の重臣の世代交代には成功したわけです。
勝頼さんの名誉回復に向けてこれからもチョクチョク頑張ろうと思ってます・・(汗)

馬場さんの築城したお城は「三日月堀」(一重堀~三重堀バージョンまである)「丸馬出し」「枡形」(内・外)に特徴があり、実戦における強さと芸術的な美しさを兼ね備えた縄張です。
西国の石垣の城に対して東国の土の城。速水もこもこ・・・やめられませんなあー(爆)

らんまる #- | URL | 2014/07/14 20:56 * edit *

歴史群像に触発されて
三河古宮城の記事を書きました
読んでいただければ幸いです

※武蔵さまのリンクに張らせていただいております

丸馬出 #- | URL | 2017/05/21 08:07 * edit *

Re: 丸馬出様へ

申し訳ありませんが、小生に対するご要望・ご依頼等につきましては個別のメールアドレスにお願い致します。

らんまる #- | URL | 2017/05/21 16:55 * edit *
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