らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0724

牧之島城2 (長野市信州新町牧野島 リテイク)  

◆コンパクトながら甲州流築城の機能美を伝える戦国の名城◆

そういえば先日、城好き芸人として有名なロンドンハーツの淳の「おしろツアーズ 絶対行きたくなる!おもしろ名城旅
」が放送されていたが、熊本城の終了とともに見るのを止めた。上田城を除けば立派な天守閣のあるお城ばかり・・・。

だいたい発想が貧弱ですよね。近世城郭から入る戦国の城??興味無いヤツをゲストに引っ張る時点でアウトでしょ。

たった数%に満たない近代城郭が偉そうな顔して戦国の城を語るのか?待てよ、オカシイだろーが・・・(怒)
その他大勢の「ゴミのような土の城」の市民権を確立せねば怒りが収まらない・・・・(笑)

個人的には落語家の春風亭昇太さんが執筆した「城あるきのススメ」がお勧め。

城あるきのすすめ
小学館より発売中。1,404円。さすがに静岡県民だけあって土の城への造詣も深い。必見ですネ。

なので、今回ご紹介するのは、信州を代表する土の芸術作品「牧之島城」(まきのしまじょう)のリテイク。

初期の記事があまりにもテキトーなので、せめて画像だけでも、と焼き直ししたって訳です・・・(汗)

牧之島城② (4)
水掘として唯一現存する南側の三日月堀。

「南側」って注釈??  何で??

実は牧之島城の丸馬出しと三日月掘りは、大手口に対して二箇所並列に作られていたのだという。

残念な事に戦国時代からの五百年の歳月は犀川の激流を止める事が出来ずに、牧之島城の北側の崖を浸食し二の丸の一部及び北側の丸馬出しと三日月堀も削り取ってしまったようだ。

牧之島城② (7)
兵士や馬を外側の敵兵から見えないようにする為の丸馬出しの高土塁。

牧之島城② (8)
現在は駐車場となっている丸馬出しの内側。

防御側のウィークポイントとなる城の出入り口(虎口)の防御形態として考案されたのが馬出しで、「武田は丸、北条は角」というのがヲタクども(城郭研究家とも?)の通説のようであるが、決めつけるだけの根拠があるようには思えない。
ま、そんなことを書くと非国民などと云われるのであろう・・(笑)

牧之島城② (3)
初期の三日月堀で規模も小さいが現存する甲州流の縄張りの城においては最も美しいと思うがどうであろうか。

甲州流縄張りにおける丸馬出しの防御効果が最期に実証されたのは、慶長十九年(1614)12月3日の大阪冬の陣における真田丸の攻防戦である。

話は脱線するが、真田幸村の呼び名(正式な名前)について異常な執着心をお持ちの方が今もって多数おられるのには、毎回閉口する次第・・・・・(汗)
そう呼ばれていなかった確証が無いのであれば、肯定も否定もするべきではないと思うがどうであろうか。

ぐだぐだ可笑しな正義感に囚われて幸村さんの名前のルーツに異議申し立てる暇があるなら、戦国時代の最期の真打として登場する「真田丸」の大河ドラマで歴史ファンを拡大する事に知恵を絞って行動に移して欲しいものだと切に思う次第である。

牧之島城② (6)
東側の堀切の堀底から「丸馬出し⇒千人枡形への木橋」を撮影。

【立地】

犀川が大きく蛇行する半島状の突き出た地形の根元部分に立地している。三方が犀川に囲まれ、特に南と北は断崖となる要害の地であり、武田氏が築城する平城の要素を踏襲しオーソドックスながら極めて完成度の高い平城である。

牧之島城縄張図①
今回は宮坂武男氏の縄張図を引用させていただいた。

【城主・城歴】

構成や文面は恥ずかしい限りだが初期作品の牧之島城が概ね的を得ているので、そちらをご参照願いたい・・(汗)

牧之島城② (9)
千人枡形に架かる木橋には「自転車・馬などの乗り入れを禁止します」この洒落に気が付いた人は果たして・・(?)

【城跡】

以下「信濃の山城と館②更埴・長野編」(2013年 宮坂武男著 戎光祥出版)の牧之島城についての宮坂氏の記事を引用するので、写真を見ながら参考にされるべし。

半島状の付け根のところを幅広い大きな堀で断ち切っていて、高い大きな土塁の西側が本丸・二の丸になる。
北側及び南側の側面は犀川の浸食により削られているので、往時よりはかなり狭められていると思われる。

牧之島城古図①
松代藩古図に描かれた牧之島城。

松代藩の古図でみると大きな堀の東には、二の丸、本丸の入口に当り、三日月堀があり、木橋で渡ったようである。本丸側の丸馬出しの大きさは、直径35mほどであるが木橋の橋台が張り出されているために東西は21mである。
三日月堀の堀幅は8mほどに復元されている。古図の六間は広過ぎよう。

牧之島城② (11)
木橋から見た北側の堀。

大手には枡形があり、その外側に堀があったようであるが、現在は埋められている。二の丸側の堀や土塁は道により失われている。
千人枡形と呼ばれる大手の枡形は内部8×9mで、木橋に面して礎石がある所から冠木門でもあったのだろう。

牧之島城② (13)
千人枡形(せんにんますがた)と呼ばれる内枡形(うちますがた)。絶望的な閉塞感に襲われる秀逸の防御構造である。

牧之島城② (18)
ここに迷いし者、阿鼻叫喚の地獄を見るのであろう。(土塁より見下ろした千人枡形)

二の丸の枡形門は、発掘により、その構造がハッキリしてきた。木橋を渡ると両袖が築地になった冠木門になり、本丸側には四足門があったというから櫓門になっていた事が考えられ、近世の枡形の原形があるように思われる。玄蕃稲荷社の所は櫓台であろうか。

牧之島城② (23)
土塁の上にある玄蕃稲荷社(櫓台跡か?)から見た二の丸と水堀。

牧之島城② (31)
北側の道路脇から見た二の丸土塁と櫓台(稲荷社)

本丸・二の丸の西側の堀は、所々に「折れ」があり、堀は埋まって浅くなっているが、その名残は有る。二条の堀の西にもう一条の堀と土塁があったようである。
本丸の井戸は俗に「お姫井戸」と呼ばれ、落城の時にお姫様が黄金の香炉を抱いて投身したと云う伝説がある。

城跡は公園として整備されて入る。武田氏による遺構として、また記録が残る貴重な城跡である。
(※以上、引用終わり)

牧之島城② (26)
かつて櫓台だった場所に鎮座する玄蕃稲荷社。

牧之島城② (35)
二の丸から見た本丸との枡形(内枡形)

牧之島城201407 (16)
本丸から見た枡形。四足門があったらしい・・・(ってイキナリ夏かい!・・汗)

牧之島城② (37)
かつてマレットゴルフ場だった二の丸。現在は原状復帰している。

牧之島城② (39)
本丸と二の丸の間の水堀。(全面結氷しても防御性は変わらないと思う・・・笑)

牧之島城② (49)
本丸と二の丸の西側の横堀。耕作地になっているが往時の面影を残している。

牧之島城② (52)
西側に連続する二本目の堀。奥に犀川が見える。まさに難攻不落の要塞の地形である。

牧之島城② (64)
本丸。左奥に井戸跡がある。

如何でしたでしょうか?

余計な解説など不要な甲州流築城を代表する美しい城で、個人的には上田城よりもお気に入りの城です。

「強い城は美しい」

武田滅亡後は上杉方の城として小笠原貞慶との領土争いにおける境目の前線拠点としての重責を担い、度重なる小笠原の襲撃にも屈する事が無かった。

それに対して同じ境目の城だった千見城や麻績城、青柳城は争奪戦において落城を繰り返し、部分的な補修や増築を加えても、基本的な縄張りの欠陥を修正する事が出来なかったのである。

牧之島城201407 (24)
Produce by 馬場美濃守信房。彼こそ戦国の城の縄張名人の称号にふさわしいと思うが・・。

「矢留め」の夏のオフシーズン、しばし牧之島城を訪れると、心が落ち着くのである。

牧之島城201407 (12)
千人枡形に吸い込まれるようなワクワク感、いいねえー(笑)

≪牧之島城≫ (まきのしまじょう、琵琶城)

標高:468m 比高:40m
築城年代:不明
築城・居住者:馬場美濃守信房、芋川親正など
場所:長野市信州新町
攻城日:2013年2月2日 
お勧め度:★★★★★ (満点) 
城跡までの所要時間:-分
見どころ:全部隅々まで見ましょう
注意事項:特に無し。夏は藪が多いけどしっかり確認出来るレベルです。
駐車場:専用駐車場あり
参考文献:「信濃の山城と館②更埴・長野編」(2013年 宮坂武男著) 「戦国武田の城」(中田正光著)
付近の城址:上尾城、牧城、和田城、大月城、など

牧之島城遠景①
犀川対岸の北西から見た牧之島城遠景。














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Posted on 2014/07/24 Thu. 23:19 [edit]

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コメント

すとれす

暑中見舞いでしょうか。
写真を見て涼しくなりました。
暑い時は冬の写真に限ります。

ついでに、「山城に行きてえ」との叫びが聞こえるようです。
溜まってますねえ。ストレスが。

この城の丸馬出、藪のない冬に雪で白のペイント、丸馬出の優雅なカーブが引き立ちます。
大島城や諏訪原城などの巨大丸馬出もいいですが、ここのコンパクトで優雅な丸馬出もいいです。
田中城の銃座のようなのもいいですけど。
こんな山中の田舎にこんな城が・・それもまたいいです。

あおれんじゃあ #- | URL | 2014/07/24 23:35 * edit *

Re: あおれんじゃあ様へ

確かに夏には冬の歌を聴くとスーッと涼しくなりますネ。
ご推察の通り、「早く冬にならないかなあー」こればっか思ってます(笑)

ようやく城ヲタクも市民権を得てきたようですが、石垣や櫓のある近世城郭の域を出ないので悔しい思いです。
さりとて、竹田城のように観光化してしまうのも困るので複雑ですね・・(汗)
それにしても早く冬にならないかなー(シツコイ・・・笑)

らんまる #- | URL | 2014/07/25 07:26 * edit *

北側は崩落?

らんまる様 お邪魔させて頂きます。

 牧之島城の遺構は本当に美しいですね。
 さて・・・
 ダブル丸馬出しの古図面を拝見して思ったのですが。
 現状と地形から違っていませんか?
 もしかして、北側は古図面以降、一部、崩落して削られてしま
ったのではと・・・

 追伸
 私も早く冬にならないかな~と思いながら、結局我慢できずに
昨日もヤブ城に行き、蚊に刺されまくり、熱中症になりかけてお
ります。
 愚行と知りつつ止められない自分を笑っております。

武蔵の五遁 #- | URL | 2014/07/27 05:39 * edit *

Re: 武蔵の五遁様へ

これは五遁様、貴殿の記事は毎度読み逃げしておりご容赦願います・・(汗)

ご指摘の通り、北側は犀川の激流によって削られ道路の開通による改変もあり、丸馬出しの片方は断片のみを残している有様です。それでもこれだけの素晴らしい遺構が現代に残ったのは奇跡でしょうね。(というか開発から取り残された結果でもありますが・・)

毎年、この時期はフラストレーションが溜まり無理に城へ攻め登っても藪ばかりで余計空しさが募ります(汗)
といっても、森や林が500年もの間を厳しい気候や風雪から遺構を守ってくれているので、夏ぐらいは我慢しろよ!・・そんな事も思ったりします。

キャッスラーの悲しい性でしょうネ(笑)

らんまる #- | URL | 2014/07/27 10:48 * edit *
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