らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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安源寺舘 (中野市安源寺)  

◆方形居館に固執した高梨氏の仮住まい◆

とうとう9月はブログ開設以来二番目に低い月間更新数となった。重ねてお詫び申し上げます・・(汗)

「テキトーな記事とテキトーな写真の掲載なのに毎日更新出来ないの?何で??」と思われる方も多々あろう。

意外と小心者なので、小生の記載した記事が史実と誤認されては拙いし、写真もそれなりに悩んで選択しているのは事実。金は使わないが気は使っているので結構大変・・・(笑)。睡魔との戦いはもっと大変・・・(爆)

箱山城(中野市・山ノ内町) (4)
中野市のクリーンセンターは鴨ヶ岳城の山麓にあるのだが、茶目っけたっぷりの白亜の城郭風。センスが良い。

今回ご案内するのは、別に案内してくれなくても「イイじゃないのお~」と云われそうなんだけど、「ダメよ、ダメダメえ~」(笑)な安源寺舘(あんげんじやかた)。

【立地】

千曲川の右岸で安源寺集落の中にある。現在、周辺は耕作地と果樹園になっているが取り立てて要害の地では無いが、北東400mの丘陵上には安源寺城があり、南方600mには茶臼峯砦があったという。(現在は土石採集により消滅)

安源寺館(中野市) (6)
居館の大手があったと思われる松島氏の墓所付近(東)から現存する土塁周辺を撮影

【城主・城歴】

長野県町村誌には「古宅址」として記載があり「高梨氏の幕下某居城せしならん」とあるがはっきりしたことは分からない。高梨領であったことから、高梨氏の一族または家臣が居住していたものと考えられ、武田氏滅亡後の高梨氏の北信濃旧領復帰に際しては一時的に高梨頼親による安源寺城の築城が普請されていることから、使用されなくなった居館跡を頼親が改修して住んだことも考えられる。

安源寺館見取図
典型的な方形居館で1990年には発掘調査も実施されたという。

安源寺館(中野市) (3)
現存する土塁付近から北側を見る。

安源寺館(中野市) (7)
約20mの長さの土塁。これだけ残っただけでも奇跡に近い。

【館跡】

現在は堀は埋め立てられてしまい、一部は道路となっている。土塁は南側に約20mほど残っている。昭和三十年代に実施された長野県の中世城館調査における略測図にはコの字型の図面(縄張り図)が示されているが、明治時代までは堀も土塁も回字形で現存していたという。
中野小館(高梨居館)と類似する作りである。旧領復帰した高梨頼親は、先祖代々の居館であった中野小館への帰還を上杉景勝に願い出るが、嘗ての家臣であった小島氏が入城しており、御館の乱以降の景勝時代の貢献度の低さもあり許可が得られず、安源寺に城館を普請し始めた。(※安源寺城の記事を参照願います)

安源寺館(中野市) (9)
東の大手入口付近の堀跡。

恐らく高梨頼親は中野小館の小島氏を恫喝したのであろう。主家に叛いて武田に内通し、高梨家の旧領を恩賞として与えられ、武田が滅ぶといち早く景勝に降りそのまま中野に居座った小島をネチネチと締め上げたのかもしれない。

主家である高梨家のイジメに耐えられなくなった小島氏は居館の返上を景勝に申し出て許可され、頼親は中野小館に復帰したので、安源寺城の普請は中止され、安源寺舘も放棄されたのであろう。

安源寺館(中野市) (1)
北東には安源寺城がある。

さしたる貢献もせずに我儘ばかり主張する高梨氏は、やがて景勝の逆鱗に触れ改易されてしまう。
その後、上杉家が米沢藩に転封された際、復帰を赦されたというが真相は闇の中であるらしい・・・。

≪安源寺館≫ (あんげんじやかた)

標高:339m 比高:-m
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:中野市安源寺
攻城日:2014年5月5日 
お勧め度:★★☆☆☆
城跡までの所要時間:-分 駐車場:無し(適当に路駐)
見どころ:土塁、堀跡など
注意事項:耕作地なので侵入不可
参考文献:「信濃高梨一族」(平成19年 志村平治著)、「信濃の山城と館⑧」(平成13年8月 宮坂武男著)

鴨ヶ岳城・鎌ヶ岳城(中野市) (72)
鴨ヶ岳城から見た安源寺城・安源寺舘とその周辺




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Posted on 2014/10/01 Wed. 22:46 [edit]

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コメント

土塁は残った!

こんだけ徹底的にぶっ壊しておきながら、どうして長さ20m分だけ土塁を残したか?
中途半端な・・・祟りでも恐れたのかな?
この立地、北風が防げて南向き。
なかなか居住性にはよさげな感じがします。

あおれんじゃあ #- | URL | 2014/10/04 23:23 * edit *

承認待ちコメント

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# |  | 2014/10/05 00:10 * edit *

Re: あおれんじゃあ様へ

高梨領の西側を守る拠点として、草間城(草間館)、立ヶ花城とともに重要な場所だったようです。
謙信の叔父さんだった政頼も景勝時代には冷遇され、その子喜三郎は織田への内通を疑われて誅殺されちゃいました。喜三郎の弟の頼親も出来の悪い倅で、せっかく宗家を継いだのに潰しちゃいました。
この程度の居館で慎ましく生活する程度の身分なのに、過去の栄光にすがっちゃいました・・残念!(汗)

らんまる #- | URL | 2014/10/05 08:47 * edit *
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