らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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鴨ヶ岳城・鎌ヶ岳城(中野市中野・山ノ内町戸狩)  

◆記念すべき500番目掲載の山城~北信濃の豪族 高梨氏の詰城◆

そそくさと記事を書き続けていれば半年前には通過していたのだろうが、なんせ道草や寄り道、廻り道が大好き(笑)

「迷った道が私の道です・・・・」  

そういえば、そんなCMありましたっけ・・? あっ、ありました!



このCMシリーズを見ると、昭和の人間で良かったなあーと思います。(酒も好きだし、酔っぱらいだしネ・・・笑)

今回ご案内するのは2枚抜きの秘境卑怯技で498⇒500へイッキ駈けする「鴨ヶ岳城」(かもがたけじょう)と「鎌ヶ岳城」(かまがたけじょう)
※正確云うと鴨ヶ岳城が高梨氏の詰城で、尾根続きの南の鎌ヶ岳城は配下の浦野氏の持ち城である。

鴨ヶ岳城・鎌ヶ岳城(中野市) (203)
日本土人形資料館の先に無料駐車場があり、そこから遊歩道が整備されているので迷う事は無い。

【立地】

千曲川流域で北側の夜間瀬川(よませがわ)と南側の松川に挟まれた中野の扇状盆地の東側に聳える大平山の頂部に「鴨ヶ岳城」、その南に「鎌ヶ岳城」がある。峰の北側は箱山峠を挟んで箱山城があり、鎌ヶ岳城の南側を下れば菅の山城(すげのやまじょう)がある。
麓には高梨氏の城館「中野小館」(なかのおだて)があり、鴨ヶ岳城との間には如法寺の曲輪群、七面山砦があり、高梨城砦群の中核を形成している。

高梨領の城砦配置

【中野郷と中野氏、高梨氏の進出】

中野郷(中野市)と志久見郷尾(野沢温泉・栄村)は鎌倉時代には地頭職として中野氏が治めていたという。(中野郷の北側は笠原氏とも)しかし、一族の内紛が続き所領が細分化され、さらに志久見郷に至っては縁者となった市河氏の巧妙な計略にかかり地頭職を奪われてしまう。
戦国期に入ると、須高より所領を拡大し北進してきた高梨氏そして北からは市河氏の南進で挟まれて、中野氏は衰退の一途を辿る。中野氏の滅亡の時期は定かではないが、高梨氏が領土を北へ拡大していく過程で拠点を高梨(須坂市)⇒くぬぎ原(小布施町)⇒間山(中野市)と移しており、中野扇状地の奪取は夜間瀬川の水利の確保とともに高梨氏にとっては領土の中心拠点とすべき重要な戦略だったと思われる。
高梨氏中興の祖と云われる政盛は、この時に一族で勢力を拡大していた山田高梨氏(高山村)を追放し、越後の守護長尾氏と婚姻を結びイッキに中野氏を滅ぼし中野小館を改修し本拠地を中野郷に移したと伝わる。
(がしかし、この時の過酷な処置や高梨家臣団に対するパワハラが後に怨嗟を買い深刻な内部分裂の原因となる)

鴨ヶ岳城・鎌ヶ岳城(中野市) (2)
途中に害獣除けの防柵があるので外して入る。(自信があれば、飛び越えてもイイんです!・・笑)

鴨ヶ岳城・鎌ヶ岳城(中野市) (8)
10分ほどで鞍部に着くと左に郭7.その先を下って行くと七面砦へ(今回は何故かパスしてしまった・・なんで?)

【城主・城歴】

前述したとおり、ここは中野氏の統治下だったので鴨ヶ岳城の前身は中野氏によって作られたものであろう。高梨氏が本拠地を間山の石動館(いするぎのやかた)から中野小館を改修して移り住むと同時に、この城も詰めの城として改修が加えられたものと考えられる。
しかし、武田軍の北信濃侵攻が本格化し甲越が全面戦争に突入した弘治年間、高梨政頼は謙信より飯山口の方面司令官として飯山城において泉氏とともに守備を固めるよう命じられる。この間、武田信玄の調略の手は高梨軍団の切り崩しに成功し小島修理亮、木島出雲守、夜交甲斐守が離脱。嘗ての宿敵であった市河信房も武田方となり、北信濃で信玄に対峙するのは島津氏と高梨氏のみという状況に追い込まれた。

鴨ヶ岳城・鎌ヶ岳城見取図2014
連郭式の頂戴な山城。鎌ヶ岳城と呼ばれる場所は他と異なり戦国末期まで改修が続けられたのかもしれない。

高梨城(中野小館・鴨ヶ岳城とその周辺)の落城時期についてははっきりしないが、弘治三年(1556)の飯山城総攻撃の時とも、永禄二年(1559)の謙信の上洛時の隙をついた高坂弾正による攻撃の時とも云われている。
城域の南に位置する菅の山城を抑える小島氏と、城域の北東地域(山ノ内町)領有する夜交氏(よまぜし)が既に武田側に降っていたので自落したと見るのが自然だと思うがどうであろうか。

高梨政頼の落胆ぶりはかなり酷かったらしく、飯山城の守備大将を命じられてもその動向を見張るように謙信は配下の泉氏に厳命している。
その後の永禄四年(1561)、謙信の再上洛の時には春日山城の留守将を命じられている。これは飯山城代の時に暗躍する武田方の調略を受け往還の念を強くしてしまった叔父さん(政頼)に自覚を促す為だとも云われている。

鴨ヶ岳城・鎌ヶ岳城(中野市) (19)
郭7の先を登ると分岐があり、左に進めば箱山峠に通じる。箱山城への連絡道だったのだろう。

鴨ヶ岳城・鎌ヶ岳城(中野市) (22)
途中は結構厳しい遊歩道。階段付けると逆に疲れる(汗)

武田統治時代は、かつての旧臣で武田方に降った小島氏が中野小館に入り鴨ヶ岳城も武田方の城塞として整備されたものと思われる。武田滅亡後の天正十年(1582)八月、高梨政頼の跡を継いだ政親は景勝より安源寺周辺に二千貫の地を安堵され故郷に往還するが、本拠地の中野小館に戻ったのはその八年後であった。慶長三年(1598)、景勝の会津転封に伴い高梨氏も奥州へ去り無住となった小館と鴨ヶ岳城(鎌ヶ岳城)も廃城となった。

鴨ヶ岳城・鎌ヶ岳城(中野市) (29)
岩が剥き出しの稜線だが人の手で加工されたのが分かる。

鴨ヶ岳城・鎌ヶ岳城(中野市) (31)
北側から観た堀切㋓と郭3

【城跡】

●概要

標高688mの頂上に残る諸郭・土塁や切り立ったような深い大堀切等は、眼下から吹き上げる荒涼とした戦国初期の勇壮な山城の姿を留めている。そこに立てば背後の山ノ内方面、更に中野扇状地一帯から飯山方面を一望出来る。山城の形式は基本的には、戦国期の関東や信濃に多く見られる「郭が一直線に並ぶ」連郭式であるが、帯ノ瀬方面に突出した尾根の先端に出郭(七面山砦)が設けられている点がやや異なる。

鴨ヶ岳城・鎌ヶ岳城(中野市) (35)
郭3から堀切㋔を隔てて郭1を見上げる。

鴨ヶ岳城・鎌ヶ岳城(中野市) (43)
郭1から堀切㋔を見下ろす。豪快な戦国期の山城の正統派である。

●郭1

35×8の長方形で南側に一段高い櫓台を備える。前後を大堀切の㋔と㋕で遮断され眺望も素晴らしい。

鴨ヶ岳城・鎌ヶ岳城(中野市) (44)
主郭

鴨ヶ岳城・鎌ヶ岳城(中野市) (46)
夜交氏(よまぜし)の領有していた山ノ内町方面。

鴨ヶ岳城・鎌ヶ岳城(中野市) (49)
郭の北側の櫓台。ここに三角点(688.3m)がある。

鴨ヶ岳城・鎌ヶ岳城(中野市) (54)
櫓台から堀切㋕(上巾20m)から郭2を見る。この堀切の巾は圧巻である。

●郭2

ほぼ方形で現在は手作りっぽい(?)東山大神が勧進されている。ここには古井跡がある。井戸と云っても天水溜めの穴であろうか。ここから郭4までは尾根上に数段の段郭を配置し堀切㋖を穿って郭4へ接続している。
ここからの中野扇状地や飯山方面、長野市方面への眺望は最高。苦労して登った事が救われる爽快感だ。

鴨ヶ岳城・鎌ヶ岳城(中野市) (66)
中心部の神社と天水溜め跡

鴨ヶ岳城・鎌ヶ岳城(中野市) (56)
櫓台からこの城域最大の広さと深さを誇る堀切㋕を見下ろす。

鴨ヶ岳城・鎌ヶ岳城(中野市) (65)
郭2から対岸の郭1の櫓台を見る。豪快だ!

鴨ヶ岳城・鎌ヶ岳城(中野市) (73)
高梨領の最南端の立ヶ花城方面。

鴨ヶ岳城・鎌ヶ岳城(中野市) (72)
高梨領の西側の抑え。

鴨ヶ岳城・鎌ヶ岳城(中野市) (75)
高梨領の北方面。武田侵攻後は飯山口方面の最前線となった蓮城(はちすじょう)や壁田城(へきだじょう)が見える。

鴨ヶ岳城・鎌ヶ岳城(中野市) (81)
山麓の中野小館(倍率5倍) 遠くに頼親が築城途中で放棄した安源寺城が見える。

鴨ヶ岳城・鎌ヶ岳城(中野市) (85)
高梨氏は須坂高梨荘→くぬぎの庄(小布施町)→中野郷と北へ所領を拡大してきたのである。

鴨ヶ岳城・鎌ヶ岳城(中野市) (86)
郭2

●郭4と背後の二重堀切など

中野氏時代の鴨ヶ岳城は物見程度の簡単な砦で、頂上のみの利用に留まっていたと思われるが、やがて高梨氏の居館の詰め城として戦国時代に突入すると大幅に改修と増築を重ねたものと思われる。
郭4とその背後の二重堀切は加工度も高く村上氏や武田氏への防御を意識したものであろう。

鴨ヶ岳城・鎌ヶ岳城(中野市) (92)
北側から見た堀切㋖

鴨ヶ岳城・鎌ヶ岳城(中野市) (97)
東側に土塁跡の残る郭4.全周していたのか?

鴨ヶ岳城・鎌ヶ岳城(中野市) (100)
堀切の土をかさ上げして接続部分に土塁を構築。この地方ではトレンドスタイルだ。

鴨ヶ岳城・鎌ヶ岳城(中野市) (101)
超荒っぽい作りの堀切㋗(上巾17m)。「ワイルドだろう?」・・(死語・・・笑)

鴨ヶ岳城・鎌ヶ岳城(中野市) (111)
二重堀切の二番目堀切㋗。(上巾8m)

●鎌ヶ岳城(郭5)とその周辺

二重堀切を見て帰っちゃう人は「もったいないお化け」が出ます。腰まで生えている竹笹をものともせずに突き進む勇気のある方に鎌ヶ岳城は微笑みます・・・(何のこっちゃ??)
まあね、訪れる人も少なくなっちゃたんで、原野に戻りつつありますが、ここを見ずして鴨ヶ岳城は語れない(偉そうである・・笑)

鴨ヶ岳城・鎌ヶ岳城(中野市) (119)
堀切㋚。かなり埋まってしまっている。堀の前後は門跡のような土塁の高まりが左右にある。

鴨ヶ岳城・鎌ヶ岳城(中野市) (122)
他の郭とは明らかに用途や目的が違う広大な郭5。最初のうちは良かったのだが・・

鴨ヶ岳城・鎌ヶ岳城(中野市) (126)
途中から熊笹に覆われて道が良く分からなくなる。それよりも何か出てきそうな恐怖感でイッパイイッパイ(汗)

鴨ヶ岳城・鎌ヶ岳城(中野市) (127)
説明板も笹の中・・(笑) 最近は来る人も絶えたのだろう。

高梨政頼の統治時代の家臣団の中に「浦野与五右衛門尉宗実 鎌ヶ岳城主」と名が出てくるので、鴨ヶ岳城の支城として広大な尾根の平削地に城館を構えていた事も想像出来る。

ここの見どころは何と言っても石積みで強化された土塁で大堀切㋛であろう。

鴨ヶ岳城・鎌ヶ岳城(中野市) (144)
至る所で石積みが見られる

鴨ヶ岳城・鎌ヶ岳城(中野市) (150)
堀底に下りてみた。

鴨ヶ岳城・鎌ヶ岳城(中野市) (152)
何か「コンニチワ」って向こうから出てきそうで怖い・・(汗)

鴨ヶ岳城・鎌ヶ岳城(中野市) (154)
堀の壁は垂直に近い加工が施されている。

鴨ヶ岳城・鎌ヶ岳城(中野市) (139)
西斜面に増設されたと思われる横堀㋝。こんな場所まで見る人はビョーキです。

鴨ヶ岳城・鎌ヶ岳城(中野市) (138)
傾斜の比較的緩い西斜面に対して郭の周囲に土塁を盛ってます。

巨大な堀切㋛の先は斜面を下り最終の堀切㋜があり城域は終わる。更に南に下れば更科峠(さらしなとうげ)、その先に小島氏の菅の山城(菅城)に通じる。

鴨ヶ岳城・鎌ヶ岳城(中野市) (160)
最終の堀切㋜。大量の熊笹で道が消えかかっている。

鴨ヶ岳城・鎌ヶ岳城(中野市) (164)
堀切㋛の堀底に散乱する石。この堀切の形態は小布施町の二十端城(つつはたじょう)にも共通している。

【らんまるの所感】

さすがに北信濃の雄と云われた高梨氏の詰め城であり、見応えがある。単純な連郭ではあるが、堀切の落差、堀壁の加工度は高いものがある(高梨氏が実施したとは断定できないが)
注目すべきは鎌ヶ岳城周辺で、戦国末期まで加工が継続されたように思える。高梨頼親が安源寺城を築城途中で放棄したが、ここにその続きを実施していた可能性がある。万が一の時の山の上の城館を建設していたのだろうか。
高梨氏の城館は周辺の支城も含めて訪問して見ると、色々な共通点があるので想像が膨らむ。そしてその位置を地図上にプロットしてみると、高梨領のエリアがはっきりするので面白い。周辺の諸城へも是非足を運んでいただきたい。

鴨ヶ岳城・鎌ヶ岳城(中野市) (180)
北端の物見の郭6.ここからは箱山城が一望できる。

鴨ヶ岳城・鎌ヶ岳城(中野市) (182)
このあと訪れた箱山城。


≪鴨ヶ岳城・鎌ヶ岳城≫ (かもがたけじょう・かまがたけじょう)

標高:688.3mm 比高:300m(東山より)
築城年代:不明
築城・居住者:中野氏、高梨氏
場所:中野市中野・山ノ内町戸狩
攻城日:2014年5月3日 
お勧め度:★★★★★(満点)
城跡までの所要時間:40分 駐車場:無料駐車場有り
見どころ:郭、土塁、堀切、石積み跡など
注意事項:鎌ヶ岳城方面は笹藪が多いので歩行注意。
参考文献:「信濃高梨一族」(平成19年 志村平治著)、「信濃の山城と館⑧」(平成13年8月 宮坂武男著)、「中野市誌 歴史編」(昭和56年)

鴨ヶ岳城・鎌ヶ岳城(中野市) (208)
中野小館から見た遠景。




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Posted on 2014/10/05 Sun. 17:40 [edit]

CM: 4
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« 中野小館 (中野市中野)  |  安源寺舘 (中野市安源寺) »

コメント

おめでとうございます

らんまるさま、500箇所掲載、おめでとうございます、そしてありがとうございます。
ふと思うのですが、貴ブログを文献化できたら、すごくいいですよね。
わたしも信州の城の本を買い漁った時期がありましたが、「神」の書籍は別格として、今でも長野県の城を扱った本はとても少ないと思います。
しかし、これだけ詳細の記事を500箇所とは、本当に素晴らしいことだと思っております。
v-290

まさはれ #- | URL | 2014/10/05 20:06 * edit *

Re: まさはれ様へ

ご祝辞ありがとうございます。

何も無い所から1600を積み上げた宮坂氏の領域には遠く及びませんが、小生のブログを見て少しでも多くの方に信州の城に興味を持って頂いたり、実際に行って見ようか、という気持ちになって頂ければ嬉しい限りです。
これからが待ちに待った山城シーズンの本番ですネ。
取材の為掲載が遅れます・・・という言い訳がもっと出来そうです(笑)
数字ばかりに気を取られますが、不定期でも更新していくことが大事ですね。

らんまる #- | URL | 2014/10/06 07:22 * edit *

堀切が凄いねえ

500件掲載ですか。凄いねえ。
やっとこの鴨ちゃんですか。

この城、構造的には単純な直線連郭式の城ですが、堀切の豪快さが凄いです。
お尻からため息の連続です。
こんな凄い堀切って葛尾城くらいかな?
小さいながらも戦国大名の本城だけあります。
その割に評価がそれほどでもないのが残念です。

しかし、南の方、道が消えつつありますね。
以前は更級峠方面へのきちんとした遊歩道があったのですが・・

あおれんじゃあ #- | URL | 2014/10/10 22:57 * edit *

Re: あおれんじゃあ様へ

1,000以上掲載されている方の忍耐力と継続に対する執念は小生には想像出来ませんし真似したくありません(汗)追いつき追い越せなどという決意など持てるはずありませんし明日にでも撤退したい・・(笑)

高梨さんち関連の山城は尾根を「コの字」で囲むのが特徴で、雁田城⇒滝ノ入城⇒二十端城、小曽崖⇒沼ノ入城⇒真山城。鴨ヶ岳は囲めてはいないものの箱山城と鎌ヶ岳城、菅の山城を両翼に揃えています。
そういえば須田さんちの大岩城もコの字でしたね。この地域のトレンドだったんかしら・・。
仰せの通り、もっと注目されてもイイと思う出来栄えなんですが何ででしょうねえ・・(汗)

らんまる #- | URL | 2014/10/11 07:42 * edit *
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