らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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若神子城 北城 (北杜市須玉町)  

◆新府城の徳川軍と対峙した北条氏直の未完の本陣◆

二年前の10月に訪問した若神子城(わかみこじょう)=改変を受け公園化された古城という認識であったが、浸食された谷を隔てた北と南にも陣城跡があったとは知らず不勉強を恥じた。

そんでもってようやく今回訪問する事が出来た。

若神子北城遠景②
甲川と西川の合流地点(南城の東麓)から見た若神子城の古城と北城。運転中の撮影は危険です!(笑)

【立地】

旭山砦の約5.5km南で、須玉川、甲川、西川によって浸食された丘陵台地の尾根先にあり、遠く甲府盆地から富士山まで見渡せる絶好のロケーション。古来より逸見路と呼ばれる交通の要衝である。

若神子城北城 (45)
城域入口の朽ち果てた標柱には「若神子城(北城 大城)址」とある。あと何年もつだろうか。

【城主・城歴】

「甲斐国誌」に「若神子(若神子村)多麻ノ庄に属ス 天正陣の八月ヨリ北条氏直本陣ヲ置キシ処ナリ・・・・四達要枢今モ此筋ノ者陰ナリ逸見路ノ駅役ヲモ勤ム 相伝フ新羅三郎義光ノ城蹟也ト云(本村正覚寺ニ義光義清ノ碑子ヲ置ク)村西ノ山上ニ旧塁三所アリ 中央ヲ大城ト称ス 北ニ西川廻リ南ニ湯渓ソノ後ハ黒沢村蔵原村ヘ続キ麓を辰ノ口と云 又西河ノ北正覚寺ノ後山ニ一所アリ 其東北ハ籠手指坂(こてさしざか)ナリ 湯沢ノ南鯨川ノ北ニモ一所 下村ノ上ニモ一所在リ 何レモ山上広ク険ニ奇リ涅塁処々ニ存シタリ 近隣ニ大蔵小倉蔵原ト云村名存シ稲倉ハ穴山村枝ノ名ニ有リ皆屯倉ノ遺址ニシテ上代公庁ノ建シ処ナルベシ・・・・・東鑑ニ逸見山ノ館ト記スルモ居城ノ趣ニ聞エタリ 谷戸ハ要害ノ城壁ニシテ居館ハ此処ナラン・・・・」とある。

まあ、読む気にはならないでしょう(笑)

若神子城 北城見取図①
切岸と土塁のみの未完の城。

ざっと訳すと、北条氏直が天正壬午の乱で本陣を置いた場所で、三ヶ所の陣城の跡があるが、その昔は新羅義光・義清親子(甲斐源氏の始祖)の城跡で逸見路という交通の要衝でもあった。谷戸城の平時における居館でもあったという。

こんな感じかなあ?(汗)

若神子城北城 (40)
テニスコートの南側のグランド脇には巨大な土塁が残る。

若神子城北城 (3)
土塁の上には櫓台のスペースを持つ場所が連結してあるので城門或いは虎口があったと思われる。

【城跡】

北の土塁から南の土塁まで約350m、東西は75m~100mの広大な陣城。未完で放置されており城内もなんの変哲もない荒れ地である。
東側は切岸のみで、西側は巾10mの帯郭が取り巻いている。おそらく横堀を巡らす前段階の土木工事の跡かもしれない。西斜面側に対して防御を強化しているのは、古城との崖縁を信玄時代の軍用路(棒道)が通過している為であろう。

若神子城北城 (15)
広いだけで楽しくない城域・・(笑)

若神子城北城 (17)
西側の土塁跡。人工的な窪地(凹み地)があるが近年のものか判断出来ない。

若神子城北城 (27)
果てしなく続く城域に飽きてくる・・(汗)

南端の土塁を探し求めて彷徨うのだが、背丈程もあるススキ(?)に阻まれ位置感覚に苦しむ。
低い土塁と虎口に隣接する秋葉社を発見して安堵する・・(笑)

若神子城北城 (29)
秋葉社と背後の土塁。中央が虎口になっている。大手口はこの方面であろうか。

若神子城北城 (34)
秋葉社のある場所も削平が中途半端で終わり傾斜したままである。

若神子城北城 (35)
嘗ては耕作地だったようだが、今では休耕地となり荒れ放題。それほどの改変も無かったのかもしれない。

若神子城北城 (38)
城域の東側。林道が走る脇の斜面は切岸の加工のみである。

まあ、確かに四万とも二万とも伝わる北条さんの兵士を駐屯させるには、これぐらいの広さでも足りず、古城や南城も併せてようやく収まったのでしょう。

これだけの大部隊を移動させるには兵站補給を考えるのが普通で、万が一に備えて二次三次の補給路も想定するのが当たり前ですが、北条さんちにはその常識が無かった・・・(笑)

北条さんの合戦に対する根本的な過ちは、「勝負に対する真剣さが欠けている」・・・このことであった・・・・・(汗)

若神子北城遠景①
清里ラインの南側からみた若神子城の三拠点。

≪若神子城 北城≫ (わかみこじょう きたじょう)

標高:613m 比高:68m
築城年代:不明 改修年代:天正十年
築城・居住者:新羅義光・義清 北条氏直
場所:山梨県北杜市須玉町
攻城日:2015年1月11日 
お勧め度:★★★☆☆  
城跡までの所要時間:-分 
見どころ:北側土塁の上の櫓台、南大手の虎口、周囲の切岸など
注意事項:テニスクラブに隣接しているので宿泊・日帰りの一般ビジターの方に迷惑が無いように。
駐車場:グランド脇の駐車場を借用
参考文献:「甲斐の山城と館㊤」(2014年 宮坂武男著) 
付近の城址:谷戸城、古宮城、旭山砦など

若神子城北城 (47)
南側の大手から登るのもアリかと・・・。



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Posted on 2015/01/20 Tue. 21:45 [edit]

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コメント

こんばんは~いつも勉強させて頂いてます^-^

駅役を勤め・・・
上代には公庁も建ってた・・・
昔から利便性のある土地だったんですね^^

>涅塁
これが判らなかったです(汗)
『涅』を検索したら歴史民俗用語で水の底によどんだ黒い土という意味があるそうなので、土塁のことでしょうか。
>処々ニ存シタリ
で、それが所々に残ってる・・かな?

平山先生の天正壬午の乱・・・実は本棚で埃かぶってます^^;
関東戦国史の知識がなくて早々に挫折^^;

こちらのシリーズ記事と見比べながら読んだら理解できるかな~と思って^^
いま忙しくて余力が全くないので、後日の楽しみにとってます♪
拍手です

時乃★栞 #- | URL | 2015/01/21 01:39 * edit *

Re: 時乃★栞様へ

漢字の変換を間違えた可能性大ですね・・・(笑)

甲府方面からだと佐久方面と諏訪方面の分岐点にあたり、高白斉記にも晴信(信玄)が若神子に着陣したことが度々記載されているので結構重要な場所だったようです。
そういえば先日砥石城に平山先生が来ていたのでご挨拶させていただきましたよ。
「長篠合戦と武田勝頼」も早く読んでみたいなあー。
コメントありがとうございます。

らんまる #- | URL | 2015/01/21 07:41 * edit *

らんまる図を下さい!

らんまる様 お邪魔させて頂きます。
 旭山塁のレポートを楽しく拝見させて頂きました。
 私が訪問した頃は南西方面が藪で踏査をあきらめたのですが、
今回らんまるさんのレポートで未知の遺構があることを知り、勉強
になりました。
 さて、今回は若神子北城です。
 私も訪問しています。
 遺構の見え方は千差万別。様々な解釈があります。
 この城のらんまるさんの図面が見たかった・・・
 申し訳ありません。酔っ払いの無い物ねだりでした。
 自分のイメージ図に納得がいかなかった城なもので

武蔵の五遁 #- | URL | 2015/01/21 22:29 * edit *

Re: 武蔵の五遁様へ

見取り図入れたつもりでしたが、確かにありませんでした・・・(汗)
ので、慌てて掲載しました。ご笑納ください。

旭山砦は最近になって整備されたのでしょうか?かなり手入れされていましたよ。
立派な標柱だけでなく説明版も立てて頂けるとありがたいと思いました。
北城はひたすら歩いて南側の藪で立ち往生(笑)大手口の秋葉社見つかって良かった(爆)

らんまる #- | URL | 2015/01/22 08:58 * edit *

ほーじょーさんの遠征

大軍の遠征と言えば、謙信さん、信玄さんの小田原遠征がありますが、両者ともそれなりの成果は上げているようですが、結局は兵糧に苦労したのは確かのようです。
それをもう一方の北条さんは観ていながら、同じドジを踏んでいるのは学習してませんなあ。
多分、この遠征は謙信さん、信玄さんの部下同様、奪略遠征だったのでしょう。そんなんで一気に大軍に膨れ上がり、前へ前へと出てきてしまい、前面に全軍が集まり、背後の佐久ががら空きになったのでしょう。
そんな欲に目のくらんだ連中を北条さんがコントロールできず、自滅直前に至ったんじゃないかと思います。
まさに戦国のプチ・インパール作戦?

あおれんじゃあ #- | URL | 2015/01/22 22:05 * edit *

Re:あおれんじゃあ様へ

仰せの通りでございますw

現代のように金さえ出せば周辺のコンビニで兵站補給が可能というふざけた時代では無いので、遠征における軍団の統制には苦労したと思われます・・・(汗)

それにしても後北条さん、アホか!(笑)

世の中の変化に対する情報収集を怠っていたのでしょう。
「我が世の春」を謳歌した人間のその後の悲しき末路はかなり切ない・・・
自業自得とは北条さんへの戒めの言葉だったのでしょうか・・・。

らんまる #- | URL | 2015/01/22 23:00 * edit *

御厚情かたじけなく

らんまる様 お邪魔させて頂きます。
 無礼なリクエストをし、申し訳ありませんでした。
 そんな無礼に対応していただき、かたじけなく、御礼申しあげます。
 城門櫓跡?の西側の解釈に戸惑ったのを覚えていますが、納得
いたしました。北条のことですから小口は二か所設けたでしょうから、
1ヶ所は櫓に挟まれた部分、もう1ヶ所は西側だんたんでしょうね。
 本当にありがとうございました。

武蔵の五遁 #- | URL | 2015/01/24 09:40 * edit *

Re: 武蔵の五遁様へ

いえいえ、掲載するはずの見取図を忘れてしまいお恥ずかしい。もの忘れが心配なお年頃になりました(笑)

北条さんのドクトリンを極めているとさすがに目の付けどころが違いますね。
不勉強な小生は西の虎口の形状がイマイチ掴み切れず「????」って感じです(汗)

らんまる #- | URL | 2015/01/24 17:27 * edit *
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