らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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2015年の信濃先方衆の仕事始めの共同戦線は雪との戦いの連続①  

◆二月の攻城戦はもはや城攻めではなく、生死に関わる遭難の危険な戦いなのだ◆

いつもなら三月に入ってからの共同作戦による城攻めが慣例だが、今年は軽いノリで週末の土日「攻めますか・・」
このことが悪夢の始まりであったとは・・・(笑)

以下、我ら信濃先方衆(ていぴす殿との同盟軍)の戦慄の攻城戦記である。

【御坂城】 2月21日(土) ※雪深く撤収

この城を踏査しない奴は「後北条氏の城郭を語ってはならない」という業界特有の不文律の掟があるという。

別に語らなくても当面は困らないのだが、甲斐の城の踏査もあるので「行って見るか」と思った次第・・・。

御坂城① (4)
御坂峠の旧道「天下茶屋」付近から見た富士山。文豪の太宰治も絶賛した風景がそこにあった。

御坂城① (1)
営業時間前の天下茶屋。

御坂城までは旧道を通るルートで比高500m、天下茶屋コースは比高200mとあらば後者の選択が賢明であろう。
今回は残雪を考慮していなかったのが計算外で、命取りとなった・・・(汗)

御坂城① (9)
稜線のかなりの残雪に驚く。

山梨県=長野県よりは暖かい=雪は少ない=標高が多少高くとも踏査可能・・・ そんな常識など通用しない。

ここは標高1575mなのだ。

御坂城① (11)
ここの撮影スポットから見る富士山は格別らしく、早朝に誰かが訪れた足跡が残る。

目の前の雄大な富士山に心惹かれ、「ああ、日本人で良かった・・」と思う瞬間である・・(笑)

だが、ここから先、膝まで埋まる雪を何とかクリア―したものの、御坂山(1596m)の登り坂で万事休す・・(汗)

「登ってもイイけど、この道を戻る場合、滑落する危険性がある・・・」

御坂城① (13)

引き返す勇気が必要な時がある。この趣味で死んではいけない。富士山をまた見に来る楽しみが増えたと思えば良い。


【小山城】(笛吹市)

古くは武田氏と敵対していた頃の穴山氏の居館城跡を、天正壬午の乱で徳川軍が再興して北条氏の籠る御坂城に対抗し部隊を駐留させたと伝わる。

後世の公園化に伴い一部土塁が破壊されたものの、主郭を囲む高土塁や周囲を巡る空堀が現存し往時の雰囲気を残している。

小山城(笛吹市) (6)
櫓台の礎石の残る南東の高土塁。

小山城(笛吹市) (16)
広大な主郭。

小山城(笛吹市) (3)
箱掘が全周している。

小山城(笛吹市) (8)
小山城から見た御坂城。ここからの比高差1222m(汗)は桁違いの凄さ(汗)

溜め息の出る土塁と横堀。是非お出掛け下さい・・。


【要害山城・熊城】

躑躅ヶ崎の発掘調査現場を横に見ながら、要害山城と熊城へ進軍。我ら要害山は二度目なれど、熊城は未訪。

要害山城が以前に比べて荒れ放題になってしまったのを嘆きながら、背後の連続する豪快かつ技巧的な堀切に驚嘆する。そしてその先の熊城の要塞化された防御システムには絶句したのであった・・・

●要害山城

要害山城②・熊城 (1)
穴山玄蕃頭信君屋敷跡の発掘調査現場(武田神社)

要害山城②・熊城 (50)
お久しぶりの要害山城本郭。土塁が全周している。

要害山城②・熊城 (55)
主郭背後の大堀切は石垣仕様。武田滅亡後の改修であろう。

要害山城②・熊城 (61)
二条目の竪掘。深く長大だ。

要害山城②・熊城 (79)
搦め手の門跡に残る石積み。竪掘を重ねた厳重警備である。

要害山城②・熊城 (87)
要害山城の搦め手の突破には絶望的な犠牲が強いられるのであろう・・(汗)

●熊城

本城である要害山城を遥かに凌駕する恐ろしい要塞だった。ここを攻める攻城軍は膨大な犠牲を強いられても要害山には決して辿りつけない絶望感に襲われるであろう・・

要害山城②・熊城 (99)
ていぴす殿に登場願った熊城の最終の大堀切。

要害山城②・熊城 (112)
主郭背後の堀切は広く深く果てしなく斜面を下って行く。

要害山城②・熊城 (115)
斜面に四連続の畝状竪掘を発見し驚愕。凄まじい防御である。

要害山城②・熊城 (131)
戦闘機のコックピットのような土手付きの主郭。狭い。

要害山城②・熊城 (128)
視覚効果も狙ったと思われる土留めの石積み。(郭1と郭2の間の処理)

要害山城②・熊城 (185)
熊城の全面は二条の強烈な堀切が守る。

要害山城②・熊城 (179)
熊城の南斜面には驚くべき事に六条の畝状竪掘が確認出来る。(写真でお伝え出来ないのが悔しい)


何だかんだ言って御坂城に行けなかったのは残念だったが、小山城、それに要害山城と熊城に痺れた・・(笑)

そろそろ飽きてきたので、二日目の攻城戦記は次回のお楽しみという事で・・・。

要害山城②・熊城 (221)
要害山城と熊城。最後に改修したのは誰でしょう?

大の大人二人が、山の中で何時間もかけて「秘密基地ごっこ」しているとは・・・(爆)




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Posted on 2015/02/24 Tue. 20:55 [edit]

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コメント

お疲れ様でした。

お邪魔します、御坂城は残念でしたね、自分は3度訪城しているのですが 以外に旧街道での往復のほうが起伏もなく時間・体力共に全然楽でした、茶屋からのルートはキツい!
変な城なら後北条の代表のような物件です(笑) らんまる様の再挑戦、レポートを楽しみにしています。
失礼いたします。

Butch #- | URL | 2015/02/25 18:50 * edit *

謙信or勝家

雪解けを待たずの出陣、謙信とか勝家を連想しました。(笑)

御坂城のあの雪では、撤退は正解ですよ。標高1,500は恐るべしです。
熊城は良いですよね。小生も要害山から熊城のルートをたどりましたが、
今度は熊城から登ってみたいと考えてます。
レポート楽しみにしております。

のら #- | URL | 2015/02/25 21:07 * edit *

Re: Butch様へ

やはりそうでしたか。

天下茶屋からのルートが一般的な錯覚を起していましたが、こういう場合は経験者に聞いてみる必要があったんですね(笑)
今回に限ってはどのみちラッセル状態だったと思われるので、次回リベンジしようと思います。
それにしても1575mの峠に砦を築く発想の理解は常識を超えます。
奇想天外な北条さんが、その非常識故に滅亡したのは当たり前だったのでしょうか・・。

そのうち旧道攻めでリベンジしてみたいと思います。

らんまる #- | URL | 2015/02/25 21:40 * edit *

Re: のら様へ

危うく「八甲田山死の彷徨」になるところでした・・(笑)
そんでもって翌日は積雪50cmもある木曽福島城を攻めたので謙信さんや勝家さんを笑えません・・(爆)
御坂城は今度は旧道をゆっくり攻める事にします。

熊城は良き山城でした。ただ現在の大手はかなり途中が荒れてしまっているので下るのに難儀しました。
レポートは来年になるかと・・・きっと鬼が笑いますネv-8

らんまる #- | URL | 2015/02/26 07:23 * edit *

転進

雪の信州の山城はとても無理ですねえ。
ビョーキのお方には対処療法ができず、雪のない場所に転進するのは必然。
しかし、御坂城、あの標高じゃ信州の山城同様、さすがに無理でしょうなあ。
北条さん、あんな所に城をよく造ったもんです。
甲斐の平地部の城もなかなか良いですね。お尻からため息の連続だったでしょう。
人は石垣なんて言っていたけど、そんなことある訳ないですね。

あおれんじゃあ #- | URL | 2015/02/26 22:00 * edit *

Re: あおれんじゃあ様へ

師匠、総合土木建築業の「北条組」さんは、やはり伝統技の築城には絶対の自信があったと思われます。
あの高所に壮大な城を築いて大兵力を投入し、その気になって攻めたら徳川を追い出す事なんか朝飯前に出来たはずです。それも出来ずに上野一国と引き換えに和睦し撤収するとは、笑い過ぎて屁も出ません・・(笑)
雪で身動きな取れない謙信さんの悔しさが良く分かりました・・(爆)

実は我ら、翌日の帰す刀で積雪50cmの木曽福島城に攻め込み、大の大人二名が「八甲田山死の彷徨」(汗)
お陰さまで「雪の山城」の楽しさを堪能してまいりました・・(笑)
前日に木曽観光協会に電話して積雪状況を確認したのに欺かれました。木曽は未だ戦国時代のようです・・。

らんまる #- | URL | 2015/02/26 22:25 * edit *
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