らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~
「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。
0504
山吹山狼煙台 (木曾町日義) 
例年にない晴天と高温の続く今年のGWには辟易する。残り少ない山城シーズンは、呆気ない終了のゴング・・(汗)
今回ご紹介するのは、木曾ノロシ台シリーズ第二弾の山吹山狼煙台(やまぶきやまのろしだい)。
登山口に立つ説明板。残念な事に肝心なここの「山吹山」が抜けているので何の意味も無い・・・(汗)
旧日義村(現在は合併して木曾町)時代より毎年8月14日に「らっぽしょ」という祭りが行われている場所で、京都の大文字焼きのように、山の急斜面に松明で「木」の文字を人文字で表す火祭りが有名。(現在は木曾義仲公旗揚げ祭りに名称を変えている)
登り口は山吹山南西山麓の徳音寺集落から祭り用の登山道が整備されている。子供でも登れるようにしっかり整備されているので迷う事は無い。尾根に出たら東に進み展望用の東屋の場所が狼煙台跡で、片道約30分の道のりだ。
登山口。駐車場は無いので、登り口の手前付近の路肩に止める。往来の邪魔にならないように注意が必要。
【立地】
木祖村と旧日義村の境で、木曾川が大きくクランクする場所の付き出た尾根上にある。ここから木曾谷が一望出来る最高のロケーションで、狼煙台を設置するには最適の場所である。福島に入るための最後の関門となる。
「らっぽしょ」祭りで「木」の文字が表示される場所の尾根から見た木曽町福島方面。
【城主・城歴】
木曽氏の築いた狼煙台で、贄川口(にえかわぐち)のルートの一つになる。
狼煙通信網は、木曽氏の本拠地である福島の居館に近い火燃山(ひともしやま、ひよりやま)を中心として以下の3ルートがあったという。
●北:贄川口 砦山(旧楢川村贄川)~鳥居峠~山吹山~相図ヶ峯~火燃山
●南:美濃口 妻籠城山~三留野城山(みどのじょうやま)~大桑長野城山~台ケ峰~火燃山
●西:飛騨口 西野城山~黒川アカシ場~相図ヶ峯~火燃山
しかし、実際に現地に立って展望したり、地形図を見たりする限りでは、これだけの拠点数では絶対に繋げないのである。
中間に中継局を置かないと煙幕はおろか鉦を叩く音すら聞こえない。
その辺りの解明は後究に待つとしても、山吹山が木曽氏の重要な狼煙台兼見張り台であったのは紛れも無い事実であろう。
お祭りの準備小屋を通り過ぎて痩せ尾根を登り詰めた先に狼煙台跡がある。
縄張りは火燃山と同じ形式のようだ。
【城跡】
展望用の東屋の建つ部分が主郭で土塁と横堀で区分が為されている。
※東屋は経年劣化が進み木製の鎹(かすがい)が腐ってきているので登らないほうが良いだろう)
堀切㋐は土手付きで北斜面に対して50mほどの竪掘りとして斜面を下っている。残念ながらかなり埋もれているが、往時の堀底は現在よりもい1m以上は深かったと思われる。
堀切㋐から見た東屋(本郭)
北斜面に対して長大な竪掘となる堀切㋐。現在は便宜上木製の橋が架かっている。
横堀㋑。後付けの改修工事と思われるがどうであろう。
防御の指向は北側で、東に対しても一条の堀を穿っているが、木曾川に突出する東斜面から攻められる事はないだろう。
着目すべきは、侵略者に藪原砦(鳥居峠)を突破された場合の有事を前提に作られている。
東斜面の堀切㋒。尾根を遮断しているが、他の堀切に比べるとあまり緊迫感は感じられない。
堀切㋒の東側の平削地。いざとなったら宿城の機能も持ち合わせていたのだろうか。
「ていぴす殿」のいるあたりが土塁跡。
何といっても此処の狼煙台の素晴らしさはそのロケーションであろう。
通山にもかつて義仲旗揚げ関連の火祭りがあったという。
野上集落には「屋敷の原」という根々井行親または今井兼平の屋敷跡があるというが伝説の域を出ない。
旧日義村は戦国時代の木曽氏よりも木曾義仲に名関する名所や旧跡がテンコ盛りである。素生の分からない戦国時代の木曽氏よりも、松尾芭蕉の愛した義仲さん関連を巡る旅で訪れても面白そうだなあーなんて思う。
残念ながら北側の木祖村方面は雑木林が多く見晴らしは悪い・・・・。
≪山吹山狼煙台≫ (やまぶきやまのろしだい)
標高:1089m 比高:210m
築城年代:不明
築城・居住者:木曾氏
場所:木曾町日義山吹山
攻城日:2015年3月22日
お勧め度:★★★☆☆
城跡までの所要時間:30分
駐車場:登り口付近に路駐
見どころ:堀切、土塁など そして圧巻の展望
参考文献:「信濃の山城と館⑦ 安曇・木曽編」(2014年 宮坂武男著 戎光祥出版)
注意事項:東屋に登る時は木の柱が腐ってきているので注意
付近の城跡:木曾義仲居館跡、屋敷の原、中原兼遠居館跡など
その他:木曾氏の経歴についてはぼちぼち調べてますが、全く進みません・・・(笑)
南側の木曾川沿の向小路付近から見た山吹山狼煙台。
Posted on 2015/05/04 Mon. 07:27 [edit]
« 現城 (松本市会田岩井堂) | 火燃山狼煙台 (木曾町福島関山) »
誰も攻めてこないと思うけど
やはり、木曽のヒーローは、義仲であり、兼平であり、巴さん。平家物語の名シーンを演じた伝説の方々です。
戦国時代の木曽氏は影が薄いですねえ。
ただでさえ山、また山の木曽、谷筋だけで制圧すれば十分で、
こんな山の上まで敵が来るとは思えませんが、ちゃんと堀切まで置いているのは、さすがというか超心配性というか?
避難施設も兼ねているのでしょう。
こっちにも狼煙台、物見台はありますが、ほとんど平場だけ。堀などあるのは余り例がないです。
狼煙を上げたら、御用済といった感じのばかり。どうもコンセプトは明らかに違うみたいです。
Re: あおれんじゃあ様へ
「木曽をすべて山の中である・・」とは島崎藤村の有名な長編大作「破戒」の序文ですが、まさにその言葉がピッタリの田舎でございますw
義仲の時代の木曽は美濃国とされていたようですが、室町時代辺りから境目が怪しくなり信玄の統治に至ると完全に信濃国となった経歴があるようです。
勝頼さんもいちいち不服を申し立てる親類衆の義昌を早いとこ「亡き者」にしておくべきでした。秋山が実質的に岩村で美濃口を抑えているとしたら、義昌は飛騨の情勢の監視だけですもの。
それにしても狼煙台めぐりも楽じゃありません・・(笑)
義仲好き
こんにちは、らんまるせんせ。連休初日は暑かったですねー。
義仲や兼平のおうちを見下ろすここ、いいですねぇ。義仲一党も走り回っていたのかしら。
能楽では義仲に関する曲が「木曽」「実盛」「巴」「兼平」とあるんですよー。義経に抱く印象と同じようなものを感じたのかなぁ。
義仲を追っかけたくなる光景です。狼煙台でせんせと一緒にオオカミの落とし物をいぶりたいです。
Re: つねまる様へ
貴殿の狛犬に対する愛情は深いものがありますネ。
「阿吽の呼吸」とはここが語源だったのかしら? 今さらながら不勉強を恥じております(笑)
これからは山城もオフシーズンなので、上田市が中途半端に散らかした「木曽義仲」の史跡巡りを責任を持ってお届けしたい衝動に駆られております・・・(汗)
歴史にifはありませんが、頼朝に恫喝された義仲が関東に攻め入り同族争いの決着を付ける決戦に及んだらどうだったんでしょうか?
来月の「歴史街道」読本では義仲特集が組まれるようなので、小生もぼちぼち周辺を散策してみます・・。
« p r e v | h o m e | n e x t » |