らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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山口城③・巨大横堀防御ライン編 (飯山市旭)  

◆山口本城への攻撃を阻止する強靭な防衛ライン◆

毎年の事ながら、GW明けはスケジュールがタイトとなり地獄の一週間を体験している。

楽しかった山城巡りなど、遠い昔の出来事のように感じている今日この頃ではある・・・(汗)

さて、山口城の第三弾は「山腹に眠る巨大な二重堀切編」である。藪が酷く写真映えしないが、敢えてチャレンジ(笑)

山口城の巨大二重横堀群 (2)
100mに及ぶ道無き斜面の藪漕ぎあと、未知との遭遇の瞬間である・・・(笑)

【巨大二重堀切への行き方】

山口本城の北東尾根にある郭4から東の斜面を下るのみである。道は無く斜面に林立する雑木林の藪の洗礼を受けながら進むと忽然と現れる。二重堀切も藪に覆われているので、写真撮影しても期待できるスナップは無い。
帰り道は北東にある小城が近いように感じるが、藪が酷く道も不明瞭なので避けた方が良いだろう。
横堀伝いに南へ一度登り、山口本城の搦め手の林道へ戻るのが分かり易い。

山口城お屋敷見取図①
見取図はさらっと描けるが、500年経過した我々の実戦行動はかなり困難を伴う・・・(汗)

【現地の状況】

●堀切㋙

もともと中腹にあった自然地形の沢を掘り下げて横堀に加工し、輩出した土を東に盛土して叩き土塁を形成したものであろう。二条目の堀切㋘が中途半端に終わっているのは、飯山城の確保が予想外に早く済んだので造成工事の途中で放棄されたせいかもしれない。
身の丈を超す塹壕ラインなどそうそうお目にかかれないので、上杉軍の「やる気」が感じられる・・・(笑)

山口城の巨大二重横堀群 (5)
まあね、師匠を見下ろすのも弟子としてどうかと思いますが、ここはご勘弁でしょうか・・(汗)

山口城の巨大二重横堀群 (10)
補助線を引くのは本位ではないが、現地の状況はこんな感じになっている。

「信濃の山城ベスト50を歩く」(2013年 サンライズ出版)で、山口城の記事を担当したの長野県教育委員会の遠藤公洋氏は、ある時期に山口城の北東部を拡張・強化し富倉峠をコントロールするために小城とこのテラス(巨大二重横堀)が追加普請されたのではないか?と推測している。
そう、その工事発注者は越軍の司令官に違い無かろうと・・・・・。

山口城の巨大二重横堀群 (12)
土塁の上から撮影した横堀㋙の堀底。落差10m近い。

●堀切㋘

土塁を東に下りると、堀切㋘に遭遇する。造成途中で放棄されたらしいが、その構造は500年経過した現在でも確かに見る事が出来る。前述の遠藤公洋氏は、この防御テラスが上杉軍独自のドクトリンではなく、時代が求めた築城技術の往時の流行の手法だとしている。
なるほど、この横堀を多用する防御の塁線指向は若宮城にその類似性を見出す事が出来る。

山口城の巨大二重横堀群 (13)
全身を容赦なく打ち据える藪の体罰に絶えて次の堀切㋘に辿り着く。

山口城の巨大二重横堀群 (16)
堀切㋘の増設作業は途中で終了したようだ。直角に近い切岸の処理は鋭くて素晴らしい。

いい年した中年男が二人で藪にまみれた堀底を徘徊している姿は、傍から見たらさぞかし滑稽であろう・・(笑)

山口城の巨大二重横堀群 (19)
突入したのは良いが、どうやって脱出するか悩んでおりました・・・(汗)

この長大な二重の横堀はそのまま北へ延長すると沢を隔てて小城の背後の二重堀切に辿り着く。

色々と足りない頭で「小城+二重横堀」の防御ラインの意味を読み解こうとしてみると、次の意図を持っていたように思われる。

●御館の乱におけるVS武田軍への国境最終防御ライン

武田領との国境に位置する飯山城が落ちた場合、越後本国への関門である富倉峠の手前で敵を阻止しなければならない。山口城である程度敵を引きつけて時間を稼ぎ、鳥坂城より後詰めの兵を送る作戦を基本に強化。
これは武田滅亡後に織田軍が国境に押し寄せてきた場合も同じ想定をしていたと思われ引き続き普請が続けられたのであろう。

山口城の小城 (64)
山口城における二重横堀の位置


≪山口城 二重横堀≫ 

標高:470m~500m 比高:70m (御屋敷より)
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:飯山市旭城平
攻城日:2014年11月24日
お勧め度:★★★★☆
城跡までの所要時間:山口本城より下り10分
参考文献:「信濃の山城と館⑧水内・高井・補遺編」(2014年 宮坂武男著 戎光祥出版) 「長野の山城ベスト50を歩く」(2013年 サンライズ出版) 
注意事項:特に無し
その他:藪との困難・死闘に立ち向かった勇者のみが見られる(笑)
Special Thanks:あおれんじゃあ様





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Posted on 2015/05/16 Sat. 08:02 [edit]

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コメント

果たして何人がここに?

藪の間から次第にこの巨大横堀が現れてきた時はぞくぞくしました。
あのぞくぞく感が堪らんのですなあ。・・ビョウキですね。
完全に藪に閉ざされたあの空間、我々の前にあそこに行った人はどれほど前だったんでしょうね。
我々の後に行ったビョウニンはいるんでしょうか?
存在は知られているけど、誰も見たことがない・・って「ラピュタ」みたいですが、貴殿のおかげで見れました。
戦国時代のまま、時間が止まった空間でした。確かに未完成品ですね。
大城の東中腹から南の中腹まで構築する予定だったのでしょうが、想像を絶する工事量です。

あおれんじゃあ #- | URL | 2015/05/16 19:37 * edit *

Re: あおれんじゃあ様へ

あっ、師匠、肖像権の使用料払ってません(汗)。ある時払いの催促無しでお願いします・・・(笑)

そもそも、そんな横堀がある事を世の中に披露した(伝えた?)第一発見者こそ「表彰状もの」の功績です。
山腹の斜面に剥き出し状態の巨大な二重堀は視覚効果も伴っていたのだと思われます。
それにしても我らは重症な中毒患者。困った事に自覚症状がありません・・・(汗)
やはり軍事的緊張の伴う地域の山城は、殺気立った雰囲気と悲壮な決意の縄張りが多くて、病人を魅了して止む事がありません。
「今年の秋は何処へ行こうか・・・」もうそんな事を考えているなんて、やはり重病人でしょう・・(爆)

らんまる #- | URL | 2015/05/16 20:52 * edit *

すごーい

こんにちは、らんまるせんせ。お仕事でご多忙、何よりですねー。
この横堀、御屋敷より大きいのですねー。御屋敷が小さいの?住むとこなんて、起きて半畳寝て一畳?と錯覚します。こんな遺構が山の中に潜んでいるとは、このようなものを探して見つける楽しみが山城巡りの妙味なんだなーと拝察します。
あおれんじゃあ様のご出演のおかげで、大きさがよくわかりました。せんせ、狙ったでしょー。それにしても。自然地形の山と山の間の谷ではなく、稜線に人が作ったという点に驚きです。

服のフードに巨大な蜘蛛が入っていたのを知らず、運転中に這い出てこられてパニックになりました。お社巡りですらこの始末。せんせもお気をつけあそばして。ほほ。

つねまる #pjmS0te2 | URL | 2015/05/17 02:30 * edit *

Re: つねまる様へ

貴殿のブログは毎回楽しみで常に読み逃げしております。平にご容赦を・・・(笑)

そうですね、昔は四畳半に一家四人が余裕で生活していたらしいので住居に対する執念は無かったのかもしれません。それよりも善光寺平方面から押し寄せる武田さんちや織田さんちの軍勢に対する備えが優先されたんでしょうネ。

土の工作物は人を置く事で規模の大きさが比較できるので、同行者がいる場合は肖像権などお構いなしにバシバシ撮ります(笑) これからは一人で行く時は「自撮り棒」持参も良いかもしれませんが、かなり長い棒じゃないと全体が写らないので、三脚置いてタイマー撮り?それも面倒だなあー(爆)

これからの季節はスズメバチもスクランブル発進するので気を付けましょう。一匹でも発見したら退却をお勧めします。奴らは即仲間に通報し編隊を組んで攻撃態勢に入ります・・ヤバイヤバイ・・(汗)

らんまる #- | URL | 2015/05/17 08:15 * edit *
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