らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0523

富倉城 (飯山市富倉)  

◆信越国境の境目の城◆

北信濃の山城は、ご存知の通り川中島合戦に発展する甲越紛争の舞台に隣接している城が多く、その縄張りも軍事的緊張を伴うケースが殆どであり技巧的な城が多い。
が、残念な事に現代では豪雪地特有の藪(椿や常緑樹)に覆われているケースが多く、遺構の確認が困難である。

今回ご紹介するのは、中年の男二人が、どーしようーもない藪に阻まれて身動きが取れずに難儀しまくりだった富倉城(飯山市富倉)。

富倉城 (1)
富倉地区の滝ノ脇集落にある富滝神社の裏山が城跡になる。

【立地】

飯山市から国道292号線の通称「富倉バイパス」を上越に向かい、途中から富倉地区の滝ノ脇集落に入ると富滝神社が右手にある。この神社の裏山のピークが富倉城である。地元の人は「謙信の狼煙台」と呼び、城跡からは雄大な景色が見えると言う。

師匠のあおれんじゃあ様と「同行二人」の我らは縄張図を見ながら「なかなかよさげな城だわい・・」とはやる心」を抑えつつチャレンジを開始したのであった・・・。

富倉城 (35)
富滝神社は、参道の石段を登った先に舞台がありその奥には本殿がある。嘗ては賑わったのであろう。

富倉城 (29)
神社裏からテキトーに尾根を這い上がる。いつもの事だが、この城なかなか切岸が厳しいので入口を探した・・・(汗)

【城主・城歴】

「長野県町村誌」には「富倉城跡」として以下の記述がある。

「村(富倉村)の酉の方にあり山上一平地、東西廿五間、南北十五間、中央に堀切あり。西北隅に古井あり。西の方二十間低下し、又一平地あり。東西百五十間、南北百九十八間。城域四方峻嶮、高四百六十間、今尚残礎存す。里俗傳に年月不詳、山下采女正之れに居りしと云う、事蹟不詳。該山の頂上にて西観すれば、一重山、鷹打山等の諸山併列す。東は馬場峰破風城山相連れり、南は朝日瀧に相封し、北は越海の帆船眼下に見ゆ故に遠見城と云う。現今山林原野となる。」

富倉城 (4)
城域は一面が大藪の海・・(汗)。我々はいったい何処のエリアにいるのか位置確認が大変だった・・・(汗)

【城跡】

上杉氏の物見台とは狼煙台とかの言い伝えがあるが、四方を厳重に防御した気合の入った城砦である。
それゆえに、現地の大藪は何とも歯痒い有り様で、火炎放射器で焼き払いたい衝動に駆られる・・(笑)

富倉城見取図①
確かに素晴らしい縄張りなのだが、500年後は藪だらけ・・・。

富倉城 (5)
郭2は辛うじて撮影に耐えうる状態。

富倉城 (6)
堀切㋑までは何とか見える状態だったのだが・・。

雄型指向の強い上杉系の築城方式が感じられる縄張りで、砦としては結構手間暇かけているので、信越国境の境目の城として重視されたと思われる。

富倉城 (8)
主郭の南下の「1‘」。

富倉城 (13)
全く何が何だか分からない状態の郭1。鎌で草刈りしましょう・・という生ぬるいレベルでは無い・・・。

富倉城 (16)
下りる事を断念した堀切㋓。二重堀切となっている㋔も見れなかった(汗)。藪との戦いに敗れた・・・(涙)

富倉城 (17)
南側の畝竪掘の探索をする「あおれんじゃあ」様。この藪では途方に暮れるしかなかった・・。

確かに郭5に接続するように連続する畝状竪掘3条が確認出来たが、写真に写せるようなシロモノでは無い。

富倉城 (18)
せめて眺望だけでも、と思ったが、「無いものねだり」に終わった(笑)

富倉城 (25)
堀切㋒を通って撤収することになった。

富倉城 (34)
郭2の南下の平削地。後世の耕作地であった可能性も否定できない。

いい年した中年の男二人が雑木林で藪まみれになって必死の形相をしている。

傍から見たら「怪しい人」そのものであろう・・・(爆)

≪富倉城≫ (とみくらじょう 遠見城)

標高:650.5m 比高:220m (国道292号線より) 
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:飯山市富倉滝ノ脇
攻城日:2014年11月24日
お勧め度:★★☆☆☆
城跡までの所要時間:15分
駐車場:神社下の道路脇に適当に路駐
見どころ:堀切、切岸、藪(笑)
参考文献:「信濃の山城と館⑧水内・高井・補遺編」(2014年 宮坂武男著 戎光祥出版) 
注意事項:主郭背後の堀切の堀底へのアタックは無理しない事。戻れなくなる恐れあり。
付近の城跡:山口城、中条城・累城、飯山城など
その他:お友達の「えいき」様も最近登城したとか。あの方も重症患者のようです。お大事に・・・。
Special Thanks:あおれんじゃあ様

富倉城 (31)
麓から撮影しても何が何だか分からず・・・。








スポンサーサイト

Posted on 2015/05/23 Sat. 22:03 [edit]

CM: 6
TB: 0

« 奈良井城 (塩尻市奈良井)  |  山口城④・本城(飯山市旭) »

コメント

藪の共感

あの藪の凄さを共感している方が今生におられることに、心に涙と微笑みが満ちてきました。

えいき #- | URL | 2015/05/24 09:18 * edit *

ひでえ藪!

小生が熊スプレーの試射で自爆した怨念の城ですなあ。
しかし、藪が・・写真を撮ったけど、家で見てがっかり!目では分かるんですがねえ。
写っているのは藪ばかり。あれじゃあ熊も歩かねえ。
小造りな城でしたが、謙信公に関わると御威光が。
人を惹きつけますね。

あおれんじゃあ #- | URL | 2015/05/24 09:21 * edit *

Re: えいき様へ

この砦、歩行も困難な為、途中で引き返す方が多いと聞き及びます・・(汗)
それでも玉砕覚悟で突撃していく我らはただのイノシシムシャ(または病人)でございます。
まして謙信公の息のかかった城とあらば、行かねばならぬ・・・(笑)

らんまる #- | URL | 2015/05/24 09:29 * edit *

Re: あおれんじゃあ様へ

その節はお世話になりました。
熊スプレーの誤爆に巻き込まれず命拾いしました。クーさんの気持ちにはなれませんでしたが・・(笑)

最初に富倉城の重量級の藪漕ぎを経験したので、山口城ではライト級感覚となりました。(それでも痛かった!)
重要視された境目の砦なので縄張りもしっかりしているのですが、藪もしっかりしている・・(爆)
謙信ブランドであればご拝謁しないと天罰がくだりそうですw

らんまる #- | URL | 2015/05/24 09:36 * edit *

こんばんは。

すごい藪の城ですね、これはキツソウデス。

思えば、中世の人は、もともとこういう藪まみれ、小枝地獄の山を開墾して城砦にしたんでしょうね。

堀だ土塁だに焦点がいきますが、もっと基本的なことで昔の人は苦労していたのでしょうか・・・。

城と古戦場管理人 #- | URL | 2015/05/24 21:52 * edit *

Re: 城と古戦場管理人様へ

ロクな道具も無い時代にもの凄い土木量の工事をやっていた訳ですから恐れ入りますネ。
岩盤まで割って堀切にした山城なんか見ると執念を感じます・・・(汗)
斜面に木が生えていたら敵がつかまって登ってくる訳ですから、切岸はもちろん周囲の斜面は草一本無いんでしょう。夏場の草むしりも大事な仕事だったと思われます。
小生はそんな雑兵役は嫌だ・・・(笑)

らんまる #- | URL | 2015/05/25 07:07 * edit *
コメントの投稿
Secret

トラックバック
トラックバックURL
→http://ranmaru99.blog83.fc2.com/tb.php/705-efca2b07
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

城主からのご挨拶

地域別攻城戦記

諸国在住の皆さまのありがたき進言

もののふ入城者数

在城中の「もののふ」

攻城戦記年表

▲Page top