らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0802

小虫倉山城 (長野市中条)  

◆標高1250mの高地にしっかり普請された砦◆

最近モニターの調子が悪く難儀していたが、とうとう御臨終を迎えてしまった。急遽会社で不要となった中古モニターでリリーフしているが、いつまで持つだろうか・・(汗)
「現品限り」が安くなるまでもう少し待ってみようか・・・・

続いてキーボードも壊れた(ってか、壊した)。手垢ゴシゴシしてたらキーが何個か根元から折れた・・・人災だ・・(笑)
こちらはワイヤレス仕様が安売りしていたので、新品約2,000円の出費で済んだし、以前より快適になった。

今回ご案内するのは片道90分の過酷な登山を強いられた「小虫倉山城」(こむしくらやまじょう)。

古屋敷城山城 (54)
南麓の城之腰(しろのこし)地籍にある古屋敷城山城より見た小虫倉山(1269m)

ていぴす殿との共同作戦だったこの日は、午前中に柏鉢城を攻略してお昼までかかってしまい、午後は柏鉢城の根小屋と想定される御旅屋(おたや)の探索に手間取り登り始めたのは午後3時。夕刻までに戻れるのか?

小虫倉山城 (2)
登城路はいくつかあるが、岩井堂観音経由で登る事にした(現在も地震による崩落の危険箇所があり登るなら自己責任で)


岩井堂峠の分岐の尾根まで約30分。ここから北へ下れば鬼無里の里へ。往時の主要な間道だったようだ。

小虫倉山城 (3)
ここからさらにひと山越えなければ小虫倉山には行けない・・

【立地】

長野市の西端となる中条村の北側の山塊で、鬼無里村との境にある虫倉山(1378m)の西に連なる小虫倉山の頂上になる。城跡には大姥神社の奥社があることから大姥山(おおばやま)とも呼ばれる。古屋敷の上の乗出合(のじあせ)から尾根通しに古道が通り岩井堂峠がありその西800mに立地している。

小虫倉山城 (7)
歩いても歩いても辿りつけない焦燥感と行く手を阻む残雪。

小虫倉山城 (9)
70分歩いた道のりを振り返る。ああ、またあそこまで戻ってさらに下るのか・・・・(汗)

【城主・城歴】

史料や伝承等がなく詳細は不明である。山頂の大姥神社は坂田公時の母親を祀ったというお宮で、里宮が梅木集落にある。
柏鉢城と尾根続きにあるので、関連性も考えてみたが詰め城にしては遠すぎるし、烽火台にしては標高が高過ぎて天候に左右される。どうせ置くなら虫倉山だろう。

古屋敷城山城 (59)
梅木集落に建つ大姥神社の里宮(岩井堂)

小虫倉山城見取図①
恐ろしく標高の高い砦にしては立派な縄張りである。

【城跡】

約80分でようやく城跡に辿り着いた。想像していたよりも城域は広くて驚いた。二条の堀切で分割された三つの郭を持つ蓮郭式の縄張りで、削平もしっかりされていて、単なる物見というシロモノではなさそうだ。

小虫倉山城 (13)
郭1(主郭 22×20)を南側から撮影。

小虫倉山城 (15)
郭2に建つ大姥社の奥社。以前は年一度の祭りがあり住民が登っていたという。

小虫倉山城 (55)
郭1と2を区切る堀切㋒(上巾15m)

小虫倉山城 (60)
東側の堀切㋐。小さいながらにもしっかり岩井堂峠からの迎撃機能を有している。

三つの郭を取り巻くように帯曲輪が設置され防御を厳重にしている。北西の帯曲輪には土塁が置かれているようだが、虫倉山への通路に当たるため、門が置かれていた可能性がありそうだ。残念ながら雪に埋もれていて確認は出来なかった。

小虫倉山城 (48)
郭3(16×6)

小虫倉山城 (26)
郭3の南側の腰郭を調査する「ていぴす殿」。撤収の時間は刻一刻と迫っているのであった・・・


小虫倉山城 (16)
堀切㋓(上巾5m)


小虫倉山城 (36)
堀切㋓と北西の曲輪との接続部分。


小虫倉山城 (37)
削平が途中で放棄されたような北西の帯郭。

城跡に到着したのが16:10で、既にこの時点で16:30。下山しないと17時を過ぎてしまう。

後ろ髪引かれる思いで調査を切りげて下山を始める。

小虫倉山城 (20)
城跡より見た虫倉山。ここから約40分程度だという。柏鉢城へ縦走してセットで見るという方法もありかと。

【所感】

「そこに城(砦)があるというなら、行くしかあるまい・・・」 我ら信濃先方衆、リスクが高いと云われようが基本方針としては、このことに尽きる・・・・(笑)

この山塊は東端の旭山城を起点として、富士ノ塔砦、そして陣場平山(1257.4m)を経て地蔵峠の西の萩野城柏鉢城と高所に城跡が連なる。今では往時の「高地性集落」が「限界集落」などという残念な名前に変わってしまったが、山間地といえども当時は善光寺信仰、戸隠信仰の聖地に通じる古道は網の目のように発達していたのかもしれない。(あくまでも個人的な見解だが)

戦国時代の大規模な甲越紛争も宗教勢力の取り込み合戦の側面を持っていたと思うのは小生のいつもの持論である。
こんな高い山頂にしっかりとした砦を築くという作業は有る程度の力を保持する勢力でなければ難しいと思われる。

小虫倉山城 (62)
残雪に足を取られながら、必死の思いで下山し、登山口の岩井堂観音に到着したのは17:20だった・・・(汗)

≪小虫倉山城≫ (こむしくらやまじょう 大姥山城)
標高:1264.1m 比高:580m (梅木集落より) 
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:長野市中条小虫倉山
攻城日:2015年4月4日
お勧め度:★★★☆☆ 
城跡までの所要時間:90分 (岩井堂観音より) ※時間は余裕を持って
駐車場:林道脇に路駐
見どころ:堀切、切岸など
参考文献:「信濃の山城と館②更埴・長野編」(2013年 宮坂武男著 戎光祥出版) 
注意事項:2014年11月の白馬神城地震による一部登山道崩落の為現在は通行止め。単独訪問は危険、クマ出没注意。
付近の城跡:柏鉢城、御旅屋、松原城、古屋敷城山城など

古屋敷城山城 (71)
林道入口の看板に落書きしてみた(笑)










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Posted on 2015/08/02 Sun. 20:21 [edit]

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コメント

狂っている?

まあ、人のことは言えませんが「狂」ですなあ。まあ、クーさんも寝ている時期だし。
と言うか、あの辺、少し歩いている小生にとっては、羨ましい限りです。
どこが遺構?ってような「なんちゃって城址」もありますが、こんな山中だけどしっかり造られていますね。
残雪で遺構がいいコントラストになってます。
よくまあ、あんな山の上で人力で土木工事をしたもんです。
今とは全く違う概念があるんでしょうねえ。

あおれんじゃあ #- | URL | 2015/08/03 19:37 * edit *

Re: あおれんじゃあ様へ

もはや修験者の如く「各個撃破」の信念だけでございますw

「迷い」は禁物です。「行く」と決めたら猪武者と嘲笑われようが突き進むだけです・・(汗)
1年前からスマホのアプリで国土地理院の地図データがそのままGPS表示されるナビを利用しているのでロスが少なくなり、だいぶ重宝しています。それとクーさんの生体反応も示すナビがあれば鬼に金棒ですよね(笑)

長野市の西部に屏風のように立ちはだかるこの山塊に無数の山城や砦跡が点在するのは、善光寺信仰と戸隠信仰が大きく関係していると思われます。そしてこの城が柏鉢城とどういう関係があったのかも気になるところです。
戸隠・鬼無里・小川村・中条・・・しっかり普請された山城や館が多いので、戦略的には重要な山間地だったんでしょうネ。

らんまる #- | URL | 2015/08/03 21:16 * edit *
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