らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0815

鞍骨城2 (リテイク 千曲市倉科/長野市松代町)  

◆海津城の背後を守る天空の山城(再踏査)◆

2009年の11月に訪問したときは、初心者ゆえにロクに調べもせずに壮大な石積みにばかり感動してた・・(笑)

2013年5月、再踏査に挑み尾根の端から端まで歩いてみた。で、写真も記憶も放置して2年が過ぎた・・・(汗)

痴呆になってからでは遅いので、今回仕方なくリテイク記事として再掲載します・・・・(爆)

鞍骨城2 (189)
鞍骨城北側の長野市松代町清野より。武田氏統治時代はこちらに大手が移ったらしい。

今回は余計な雑談を排除してひたすら真面目に書いてみますw

【立地】

千曲市倉科地区と長野市松代町清野(きよの)地区の間の山嶺上鞍骨城がある。この二地区を結ぶ峠が二本松峠で、この峠の東700mの位置が主郭になる。峠より西へ300m進んだ所が支城の天城城(てしろじょう)で、ここから尾根は三つに分岐する。北へ下れば妻女山、西へ下れば唐崎山城、南へ下れば鷲尾城に至る。

古くは戸倉町柏王から宮坂峠を越え森に至り、倉科を経て二本松峠を越えて松代に至るルートは大事な道であったらしい。鞍骨城はその道筋にあって重要視されていく。
登路は倉科地区竹尾から林道を登り、そこから遊歩道が二本松峠へ登っていて妻女山や清野への通じている。二本松峠から登るのが最も登り易い。清野方面から登路もある。古くは竹尾から南尾根を登るのが大手の道であったらしいが、この道は厳しい。

鞍骨城2 (181)
倉科地区の竹尾集落に入り、北竹尾のバス停の先を東に折れると二本松峠へ向かう林道がある。ひたすら登るだけである。

【城主・城歴】

永正年中に清野山城守勝照が築いたとの説があるが確証は無い。しかし発生は清野氏であることは間違いないとされる。
室町時代に至って、清野氏は岩の・土口・雨宮・生萱・森・倉科wぽ勢力範囲にして、雨宮氏や西条氏を一族で継がせて広大な地域を支配していた。旧くからの倉科氏の鷲尾城、生仁あるいは雨宮氏の唐崎山城(朝日城)を夫々西・南の備えとし、東は竹山城で守り、その中心部の鞍骨城を要害城としている。

清野氏は村上氏代官九家(諸賀、清野、山田、雨宮、出浦、小野沢、滝沢、岩槻、栗田)の上位に列していたが、村上氏の葛尾城が自落する三年前の砥石合戦の折に(天文19年)寺尾氏と共に武田氏へ出仕している。
これは村上氏家中では最も早いもので、天文二十二年には清野右近大夫は晴信の信の字を許されている。(高白斉記)または家名を残すために武田、村上双方に分かれたとも伝えられている。

武田氏滅亡後、上杉景勝の支配下で、清野助四郎は猿ヶ馬場留守居役として4,177石を与えられているが、これは越後侍で清野氏の名跡を継いだものという。

鞍骨城見取図①


【城跡】

①二本松峠からの北西尾根

北西尾根は峠からの攻撃に備え頑強な防御構造となっている。恐らく武田氏統治時代に大きく改修されたものであろうと想像される。

鞍骨城2 (1)
峠から進むと最初に現れる堀切㋐(上巾13m)。結構深い。

堀切㋐から鉄塔までは中間に浅い堀切㋑があるだけで自然地形のままである。

鞍骨城2 (11)
うっかり通り過ぎてしまった堀切㋑(苦笑)

鞍骨城2 (12)
鉄塔から東側が本格的な城域となる。

●城域最大の二重堀切

鉄塔の先に堀切㋒(上巾8m)と堀切㋓(上巾11m)の二重堀切が出現する。堀底をW型にかさ上げして北斜面に長大に落としている。南側はそれぞれ独立した堀として落としており、途中からかさ上げは消えている。

鞍骨城2 (14)
チョッと藪が酷いのですが、真ん中の土塁を挟んで二重に並ぶ㋒と㋓

鞍骨城2 (20)
南斜面に落ちる㋒と㋓の堀切

鞍骨城2 (15)
堀切㋒

鞍骨城2 (24)
堀切㋓

●北西尾根の主要部

尾根を平削し段差をつけ両斜面に竪掘を入れている。特に東斜面には長大な竪掘を二本入れているので、傾斜の緩さに対する防御を施しているのがわかる。
郭4手前の堀切㋘は崩落が酷いが落差のある長大な堀切で城の中枢部への侵入を拒んでいるのが分かる。

鞍骨城2 (31)
郭12(19×19)と郭11(10×65)

鞍骨城2 (34)
南斜面に落ちる竪掘㋔

鞍骨城2 (36)
郭11を遮断するように横堀がある。

鞍骨城2 (37)
西斜面の竪掘㋖

鞍骨城2 (38)
西斜面の竪掘㋗

鞍骨城2 (43)
土手付きの竪掘㋝。こんなところまで見る人は拙者ぐらいだろうか・・・(汗)

鞍骨城2 (48)
崩落してしまった大堀切㋘(上巾15m)を見上げたところ。

鞍骨城2 (50)
北斜面を遮断する長大な竪掘となる堀切㋘

●城域の中枢部

堀切㋘から急勾配となりいよいよ中枢部に突入する。郭4から周囲が石積みとなる郭が連続し、これだけの石をよくぞ集めたものだと改めて驚嘆する。もともとガレの多い岩山の地質とはいえ、かなり大掛かりな土木作業だったと思われる。

鞍骨城2 (57)
郭4の土留めの石積み

鞍骨城2 (65)
郭4(16×40)

鞍骨城2 (67)
郭4背後の切岸。土留めの石積みは崩落している。

鞍骨城2 (71)
郭3はかなり狭いが、これだけの急斜面に立地していれば攻城兵を狙うのも簡単だろう。

鞍骨城2 (78)
郭2の西側の石積み。見事だ。

鞍骨城2 (82)
言葉はいらない(笑)

鞍骨城2 (88)
信濃の山城の石積み築城技術は独自の変化を遂げてきたのだと思うが・・

鞍骨城2 (91)
郭2(8×29)

鞍骨城2 (94)
郭2から見上げた郭1の外郭の石積み。

鞍骨城2 (95)
郭2から見下ろしてみました。かなりの急勾配がお分かりいただけるでしょうか?

当たり前の事だが、郭11から郭4に入るには南側の斜面に大きく迂回して岩場の隙を縫うように細い道がある。そして郭4~郭3~郭2とかなり細い通路を這うように登る。攻城兵が中枢部を制圧するにはかなりの犠牲を強いられるであろう。

鞍骨城2 (105)
主郭虎口脇の石積み。

鞍骨城2 (106)
虎口。

●主郭(郭1 798m)

城域の最高所に位置し石積みが全周いている。東端が一段高くなっているので櫓台が置かれたのであろう。南側に一部土塁の跡が確認出来る。ここからは松代周辺や倉科が一望出来て、敵の動きも良く分かる絶好のロケーションだ。
海津城の背後を守る詰め城として武田軍が重要視して改修したのも充分に頷ける。

鞍骨城2 (111)
櫓台から見た主郭(28×15)

鞍骨城2 (109)
櫓台跡

鞍骨城2 (107)
リニューアルされた標柱。以前は手書きの説明板もあったが撤去されてしまったようだ。残念。

鞍骨城2 (112)
倉科方面は立木が多くあまり視界が良くない。

鞍骨城2 (149)
川中島方面。

鞍骨城2 (150)
倍率上げるとこんな感じ。

鞍骨城2 (154)
海津城(松代城方面)

鞍骨城2 (155)
倍率上げるとこんな感じ。

●東尾根

本郭の背後に置かれた櫓台の下には郭5が置かれ東尾根からの侵入に備えている。尾根自体が痩せた岩尾根なので堀切を数条穿っただけの防御で、これで充分だろう。

鞍骨城2 (110)
櫓台から見下ろした郭5。南側のみ土塁が囲う。

鞍骨城2 (120)
痩せ尾根の続く東尾根。

鞍骨城見取図①
いちいち戻るのが面倒なので再度見取図を・・・(笑)

鞍骨城2 (130)
岩盤削って作った堀切㋚

鞍骨城2 (142)
東尾根の最終堀切㋛。

鞍骨城2 (147)
チョッと小さいですが、ここからの景色も最高!

●南西尾根

清野氏時代の大手は南西尾根だったらしい。山麓からはかなりの急斜面で、郭もそれほど手を加えたとは思えない。
郭9は築城当初の削平かもしれない。

鞍骨城2 (159)
主郭から見下ろした南西尾根。

鞍骨城2 (161)
郭6から上段の虎口を守る郭を見上げる。ここも石積みで装備されている。

鞍骨城2 (164)
主郭方面を見上げる。垂直に近い斜面を下って、「また登るのか・・・・」(汗)

鞍骨城2 (166)
郭7(7×9)に下りてきました。

鞍骨城2 (170)
郭8(10×9)に到着です。疲れたんでこの先にはもう行きたくない・・・(汗)

鞍骨城2 (168)
郭7・8と北西尾根の連絡通路。

鞍骨城2 (174)
南西尾根最終の郭9.ここがかつての大手で、ここを下ると竹尾の集落へ。

【所感】

この山には、鞍骨城の他に天城城(てしろじょう)、唐崎山城、鷲尾城、妻女山、竹山城が置かれ、戦国時代にはいかに重要な山岳地だったかを知るには充分である。また、海津城を取り囲むようにたくさんの出城や砦が築かれ、甲越紛争そしてその後の天正壬午の乱においても川中島四郡を抑える最前線であったのだ。

信濃の山城では石積みを採り入れた独特の築城技術が広がっていて、鞍骨城も大掛かりな石積みを伴う山城としては北信濃を代表する城の一つであり、築城技術の変遷を知る上でも大変貴重な史跡であろう。

何でもかんでも指定史跡にするという安易な発想ではなく、皆がその存在を知り訪問して、見て感じて大事に扱い、地元の方々と共に後世に残すという手法もある。そういう意味では是非皆さんに見て頂きたい見事な山城である。

鞍骨城2 (186)
北東の尾根先に立地する竹山城。(476m)この城も石積みに特徴がある。

鞍骨城2 (191)
尾根の北端の妻女山。(411m)

≪鞍骨城≫ (くらぼねじょう 倉骨城・鞍橋城) 
標高:798m 比高:375m (竹尾より) 
築城年代:不明
築城・居住者:清野氏、武田氏、上杉氏
場所:長野市松代町清野/千曲市倉科竹尾
攻城日:2013年5月4日
お勧め度:★★★★★ (満点)
城跡までの所要時間:60分 (竹尾集落より)
駐車場:無し、路駐
見どころ:石積み、堀切、切岸など
参考文献・書籍:「信濃の山城と館 更埴・長野編」(宮坂武男著 2013年 戎光祥出版) 
注意事項:クマ出没注意。出来れば単独入山は避ける事。石積みは脆くなっているので乗らない・足を掛けない・崩さない。
付近の城跡:天城城・鷲尾城・唐崎山城、妻女山、竹山城など

鞍骨城2 (80)
おまけショット

鞍骨城2 (87)
おまけショット

鞍骨城2 (83)
おまけショット

何と・・・貴重なお盆休みの一日を鞍骨城の記事に費やしてしまった・・・まっ、いいか・・(笑)








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Posted on 2015/08/15 Sat. 15:03 [edit]

CM: 4
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コメント

あの石垣・・

俺、ここには2回行きました。妻女山ルートと鷲尾城ルートで・・好きだねえ。
熊さんとも会っちゃうしねえ。
木々の中から見上げるあの白い石垣、思い出すたび、鳥肌が立ちます。
本郭から眺める善光寺平、絶景ですね。
あの眺めからあの戦いが陣(城)取りゲームってことが分かります。
もう行かねえ?

あおれんじゃあ #- | URL | 2015/08/15 22:59 * edit *

Re: あおれんじゃあ様へ

清野方面のルートでもう一度チャレンジしてみたいと思うのですが、道あるんかしら(笑)

二度目の踏査で帰り際に若いカップルとすれ違いました。
将来はウ○殿夫妻のようになるのかなあーなんて勝手に思っちゃいましたが・・
最近でこそ市民権を得つつある山城巡りですが、まだまだ理解度は低く近世城郭派に押されております(汗)
地道な布教活動がかかせません・・・(っていつからザビエルになったの?・・笑)

らんまる #- | URL | 2015/08/16 10:13 * edit *

なんだかんだと・・・コツコツ訪問してたら

縄張り図と実際の写真の雰囲気の見分けが、だんだんつくようになってきました^^
もちろん、らんまる様の道標(⇔とか)と丁寧な説明があったればこそです^^
漸く『説明が判りやすいなぁ~』というのが判るようになってきました^^
ド素人のヘンテコ・コメントに御付き合い頂き本当にありがとうございます。
(まだまだ理解不足で変だとは思いますけど・・・^^;)

ウ・エは、ハッキリ残ってますね。
尾根伝いに攻略しようにも、これは大変そう。
石積みは鼻血ものです~~~ザ・山城!素敵です^^

九州山城の石積みは近世城郭に再利用されたのが多くて、こんなに残ってるのは中々ないんです。
歴史上著名な城であっても県指定を受けておらず、崩落が進んでたりとか。
もしくは山野が個人所有で、遺構の調査すらできなかったりで・・・
ドラマや小説で必ず出る名護屋城も、実は陣跡の土地は個人所有^^;

そういう意味では山城研究が進んでる信州が羨ましいです。
拍手☆

時乃★栞 #- | URL | 2015/08/16 18:08 * edit *

Re: 時乃★栞様へ

いつもコメントありがとうございますw

信州の城をメインで踏査していますので、他府県の城はどうなの?などと問われても絶対的な訪問件数が少ないのでハッキリとした見解が申し上げられないのでご容赦願います・・・(汗)

これから山城探訪を始められる方に、少しでも信州の山城を堪能頂けるように難しい言葉を使わずに解説しているつもりですが、やはりある程度の基礎は知った上で再度ご覧頂くと良いのかもしれませんね。
最近お知り合いになった方は九州も攻城されているようで、数多くの武勇伝を聞き及ぶにつれ、いつかは・・・と思いつつ信濃1,000城を区切りとして考えていますが、そこまではまだまだ厳しいと思います。

たくさんの方が信州の山城を訪れる際に参考にして頂けるサイトになれればいいなあーと思いこれからも重い筆をシタタメテゆく所存でございますw

らんまる #- | URL | 2015/08/16 21:34 * edit *
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