らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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祢津上の城 (東御市祢津)  

◆有名すぎる「下の城」の陰に埋没したオーソドックスな「上の城」◆

東信濃の上田を含む小県郡(ちいさがたぐん)を代表する山城としては、塩田城岡城砥石城丸子城尾引城あたりが筆頭になるようで、その中でも戦国時代の山城としてマニアの間で話題となる魅力的な城が祢津下の城である。

「祢津下の城(ねつしものじょう)」は通称「祢津城」として紹介されるケースが多いが、その正式名からお気づきの通り、「上の城(かみのじょう)」が存在するのである・・・。

祢津下の城201511 (2)
下の城の背後霊のように映り込む上の城。標高は下の城より100m高いのだが、山容の峻険さで下の城のが高く見える。

下の城と比較すると見映えのしない戦国初期の縄張りという話だったので今までパスしてきたが、この城をどうしても訪城したいという物好きな方にアテンドを依頼されたので仕方なく下見にきた・・という諸事情・・(笑)

【立地】

烏帽子岳(2066m)から南へ延びる支脈の途中に位置する大室山(1147m)の南2kmの独立峰の上にある。ここから800mの南西に下の城がある。
城への行き方は、県道4号線(旧菅平有料道路)を姫子沢集落へ入り、集落を抜けて北へ向かう農道を走り途中から東に通じる林道「鳩峰線」を走り城の裏手で道路わきに止める。(農道は狭いので軽自動車のみ。林道は荒れていないが四駆が無難)ここから南に向かって5分も歩けば城跡にたどり着く。(踏み後は途中から消えるので注意)

祢津上の城 (1)
林道脇の杉林の植林地あたりに踏み後があるのでそこから入る。

祢津上の城 (2)
チョッと不安になるがそのまま南へ進むと緩い登り斜面になるので大丈夫。その先が城域である。

【城主・城歴】

祢津氏は、鷹匠・新張牧(みはりまき)の実質経営者として古くから祢津地区を中心に勢力を張っていたとされている。室町時代に入ると、「大塔物語」に祢津遠光の名が見える。
戦国時代になると、天文十年(1541)海野平の戦いで武田信虎・村上義清・諏訪頼重の連合軍により海野棟綱・祢津元信・矢沢頼綱らは撃破された。祢津元信は頼重の斡旋により諏訪神氏(すわみわし)の出自である事から詫び言を入れて赦された。
その後祢津氏は武田晴信の側室として娘を差し出し。以後は信濃先方衆として北信濃、上野を転戦している。

祢津上の城① 001
極めてオーソドックスな手法の縄張である。

天正十年六月、武田が滅亡し織田信長が斃れ天正壬午の乱が勃発すると、、徳川⇒北条⇒上杉⇒徳川⇒上杉と目まぐるしく主家を変えており、真田昌幸同様に家名存続を賭けて遁走している。

祢津上の城 (7)
最初に到達した帯郭。上部の帯郭との段差は明らかに人工的に削られた切岸なのが分かる。

天正十一年九月に徳川家に臣従した際に祢津家は分派したらしく、その後主家は上杉家に臣従しその後は真田昌幸の家臣団として組み入れられ、分家は徳川に従って関東へ移ったという。

祢津上の城 (8)
三段目の削平された帯郭。二段目に上がる通路らしき入口が確認出来る。

祢津上の城 (11)
北側に段郭を三段設置しているが、形式は古いようだ。

祢津上の城 (15)
唯一残る竪堀跡。


【城跡】

「上の城」と「下の城」などと表記すると、相互が補完しているような印象を受けるが(もちろん、そういう城も存在するが)、この祢津上の城に関しては下の城との相関関係は乏しく、風雲急を告げる戦国時代にあって旧態然としていた上の城の改修を諦め、下の城を新たに築城したものと思われる。(あくまでも想像である・・)

祢津上の城 (20)
主郭下の段郭。三段目に比較すると削平はまじめに実施されている。

祢津上の城 (19)
二段目の段郭の西側先端部。土塁付きというが、藪で詳細確認できず・・・。

祢津上の城 (22)
主郭北側部分。削平も中途半端で終了したような印象を持つ。

祢津上の城 (25)
主郭の中央部分。

祢津上の城 (35)
城跡の巨石。

そうそう、こんな古めかしい縄張の城って、何処かでみたような・・・・

思い出した。

佐久市高坂にある「閼伽流山城」である。あの城も険しい山頂に築城された南北朝時代の山城とされている。
恐らく祢津上の城も時代は同じ頃であり、逃げ込み城の部類に分類される城だと思われる。

祢津上の城 (29)
城域の三段目の帯郭の削平地の下段にある空間。作りかけで放棄されたようである。

戦乱の世を生き残り大名となった真田氏ばかりがもてはやされるが、祢津氏だって戦国時代に生き残った諏訪系の豪族である。そして祢津氏の本城となった祢津下の城は真田昌幸が攻めても落ちなかった難攻不落の名城である・・・。
(まあ、天正壬午の乱の時の話なので、昌幸が家康に対してパフォーマンスを演じたという説もある・・笑)

そんな訳で、上の城は見ても見なくても良いが、下の城は何が何でも見て欲しい東信濃を代表する名城である・・・。

祢津上の城 (38)
段郭で構成されたオーソドックスな中世初期の山城ってことで・・・

≪祢津上の城≫ (ねつかみのじょう) 

標高:926m 比高:185m 
築城年代:不明
築城・居住:不明
場所:東御市祢津
攻城日:2015年11月1日
お勧め度:★★☆☆☆
城跡までの所要時間:5分
駐車場:林道脇の空き地に路駐
見どころ:土塁など
参考文献・書籍:「信濃の山城と館③ 上田・小県編」(宮坂武男著 2013年 戎光祥出版)
注意事項:周囲は似たような景色なので方向感覚が麻痺します。来た道を戻る事。
付近の城跡:祢津下の城、矢立城、祢津支城など

祢津上の城 (34)
林道入口から見た上の城。
















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Posted on 2015/11/03 Tue. 22:00 [edit]

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コメント

いきましたよ

私も行きましたが、下の城との違いに
やや落胆したものです。

下の城から上の城までは
連続した台地のような地形ですので
一番高い場所を押さえておくために
とりあえず作りました!てな感じの
緩めの縄張りですかねえ。

話は変わりますが、大河ドラマの時代考証を平山先生が
担当されているとのことで、上田で講演会があったようですね。
参加したかったなあ

丸馬出 #- | URL | 2015/11/04 07:23 * edit *

Re: 丸馬出様へ

行かれたのですか。凄いなあー。
皆様の評価が芳しくなかったもので行くつもりも無かったのですが、下見で・・(汗)
あまり防御を意識しない初期の山城のようですネ。

平山センセは確か連続講座で真田公民館で何回か講師を務められるようですよ。
まだ空きがあるかもしれないので公民館に直接問い合わせしてみると良いと思います。
最近は真田関連の書物や講演会が賑やかですね。小生は食傷気味なので遠慮しております(笑)

らんまる #- | URL | 2015/11/04 07:35 * edit *

クーさんが・・

かなり前ですが、下の城を狙った後で行こうとしたら、地元のじいちゃんに「熊が出たんで止めた方がいいよ」との忠告で諦めた城です。こんなもんでしたか。
下の城に比べれば古風かつシンプルなもんですね。
裏の物見、出城程度の位置付けみたいですね。
搦め手から攻め込めばちょろいもんですねえ。

あおれんじゃあ #- | URL | 2015/11/04 20:46 * edit *

Re: あおれんじゃあ様へ

まあ、話のタネに一度は行っておかないと宮坂教の弟子とは認めてもらえそうにもないので・・(汗)
そういえば城跡付近にクーさんの古い脱糞がありましたので城主様だった可能性はありますネ。

なんせ薄気味悪かったので早く退却したい一心でしたが、せっかく来たのでチャンと見ないといけません・・(笑)
家柄では真田家よりも格上の祢津一族でしたが、武田家滅亡後は世渡り上手の昌幸にしてやられた感があります。
それにしても下の城の縄張は天下一品。でもそれだけじゃ戦国大名になれないもどかしさ・・・。
そこがイイんです!!(爆)

らんまる #- | URL | 2015/11/04 21:13 * edit *

ありがとうございます。

らんまる様 お邪魔させて頂きます。
 アテンドをお願いした五遁です。
 下見までして頂き、ありがとうございます。
 日本城郭体系の図面とかなり違いますね。
 上の城と下の城の時代の違いを実感するのを楽しみにさせていただきます。

武蔵の五遁 #- | URL | 2015/11/06 06:12 * edit *

Re: 武蔵の五遁様へ

これはこれは・・守秘義務違反ですね・・ご勘弁を・・(笑)

搦め手からものの5分も歩けば到着するので、ご堪能ください。
「ここまで進化するのか」という下の城は圧巻です。

らんまる #- | URL | 2015/11/06 06:58 * edit *
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