らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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木曽義仲居館 (木曽郡木曽町日義)  

◆27才の義仲が挙兵したと伝わる居館跡◆

再び木曽義仲伝説にリターンするのか?と危惧されている皆さん・・・

「安心してください、これっきりですよ!」 (笑)

2015年のテーマとなった「木曽義仲の史跡巡り」のラストの一歩手前は「木曽義仲居館跡」 (一歩手前??)

木曽義仲居館 (47)
旗挙八幡宮(はたあげはちまんぐう)と義仲公居館跡の碑。

いつか行かねばと思いつつ、いつも素通りしていた木曽義仲公居館跡。

「遺構が無いので後でもいいや・・・」

これこそ「明日やろうはバカ野郎!」の「らんまる家の家訓」に叛いている事に最近気づいた・・・(笑)

木曽義仲居館 (23)
神社の向きが木曽川方面なので、背後の国道19号線を通るドライバー向けの看板。

実はこの時期に年一回は必ず木曽町三岳に商用があるので、その帰りにチョッと寄ってみた次第。

決してサボりではありません・・・運転疲れのしばしの休息ってことで・・・・(汗)

【立地】

旧日義村(現在の木曽町日義)の山吹山狼煙台の南1km、木曽川左岸段丘上の旗挙八幡宮の一帯が木曽義仲の居館跡の伝承が残る。
ここから南へ約5kmで義仲が育ったという中原兼遠居館がある。

木曽義仲居館 (11)
何故か線路側が正面の参道になっている八幡宮。

木曽義仲居館 (7)

【旗挙八幡宮の由来】

幼名を駒王丸と名付けられ、養父中原兼遠によって育てられた義仲公は このあたりの平地に城を構え八幡宮を祀ったと伝えられている。十三歳にして元服。名を木曽次郎源義仲と改め、治承四年(1180)一千騎を従え、ここに平家打倒の旗揚げをした。時に義仲27歳であった。
以後、旗挙八幡宮と呼ばれている。   ※現地の説明板の文章を引用

木曽義仲居館 (1)
義仲公ゆかりの大欅(けやき)。嘗ては周囲12m高さ30mあったという。樹齢800年なので旗挙時の植林だろうと推定されている。

木曽義仲居館 (2)
二代目の大欅(けやき)は樹齢150年。初代の大欅の樹勢が衰えたために後継のご神木として育てられている。

義仲居館跡 001
居館跡付近の航空写真(Yahoo地図を引用し加筆)


【館跡】

東は通山(1030m)、西は木曽川に挟まれた地形で、現在は山麓を国道19号線が走り、木曽川の脇を中央西線が通っている。旗挙八幡周辺も耕作地となり、往時の居館がどのような規模であったかは遺構も境界線も無いので確定できない。
この場所だけをみれば要害地形とは思えないが、往時は木曽谷全体を要害とみなしていたので局地的に防御を強化する必要はなかったと思われる。

木曽義仲居館 (25)
神社の北側の耕作地。

木曽義仲居館 (10)
南の木曽福島方面。中原兼遠の居館がギリギリ見える位置。

日義の徳音寺集落では無形民俗文化財として「らっぽしょ」という山吹山に因んだ火祭りが毎年お盆に行われ、山から松明を持って降り徳音寺にある義仲の墓に詣でるという。また東の通山(かよいまや)にもかつては火祭りがあったとされ、この地域には義仲にまつわる伝説や地名が多い。

木曽義仲居館 (15)
義仲居館跡から見た北側の山吹山。天然の防御システムだ。(戦国時代は狼煙台が置かれ遺構も残っている)


≪木曽義仲居館≫ (きそよしなかきょかん)

標高:882m 比高:23m (木曾川より)
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:木曾郡木曾町日義
攻城日:2015年10月27日
お勧め度:★★☆☆☆ 
城跡までの所要時間:-
駐車場:3台程度
見どころ:大欅、旗挙八幡宮
参考文献:「信濃の山城と館⑦ 安曇・木曾編」(2014年 宮坂武男著 戎光祥出版) 
付近の城跡:山吹山狼煙台、巴淵、義仲館(歴史館)、中原兼遠居館跡など



【木曽義仲伝説の残る巴淵】

木曽義仲居館跡から北へ約500mの山吹山の裾に「巴淵」(ともえぶち)と呼ばれる義仲伝説の地がある。木曽川が山吹山と通山の深い渓谷によりクランク状に折れ曲がる南側の場所で現在は巴橋という橋が架かっている。

木曽義仲居館 (30)
紅葉とのコントラストの時期が最高らしいが、チョッと早すぎたようです・・・(汗)

歴史が漂うこの淵は巴状にうずまき巴淵と名付けられました。
また、武勇に長けた麗将として有名な巴御前にちなんだ深淵でもあり、伝説にはこの淵に住む龍神が木曽義仲の養父中原兼遠の娘として生まれ、巴御前に化身して義仲の愛妾として、彼の生涯を守り続けたといわれています。
巴御前はここで水浴をし、泳いでは武技を練ったと云われています。  ※現地説明板より引用

木曽義仲居館 (31)
巴淵にかかる巴橋。


【謡曲「巴」と巴淵】


謡曲などと書かれると、そちらの知識はまったく「ゼロ」なので、そのうち小生の崇拝するその道のプロである「つねまる」様が解説してくれるような気がします・・・なので、とりあえず説明版に書いてあることを書き写しておきます・・・(汗)

謡曲「巴」は修羅物の中でも女性を主人公にした唯一の作品です。
木曽の僧が滋賀の粟津原に来ると、一人の里女が社の前で泣いている。事情を聞くと「木曽義仲が討ち死にした場所で、弔って欲しい」という。
僧が読経していると、先ほどの女が武装して現れ「自分は巴という女武者。木曽義仲の供をして自害しようとしたが女だからといって許されなかった」と語る。巴の霊はその無念さと義仲への恋慕から、成仏できずにいたのだった。

巴は少女時代、この巴淵で泳ぎ、近くの徳音寺にある乗馬像のように、野山を駆け巡って育った。淵をのぞき込んでいると、そうした巴の姿が彷彿と浮かんでくるようです。  ※謡曲史跡保存会の看板より引用


木曽義仲居館 (33)
ここで巴御前が泳いていたと想像すると、チョッと艶めかしい・・・(笑)

木曽義仲居館 (34)
プロのカメラマンではないので、このアングルも微妙かと・・・。

皆様も木曽路へお越しの際は、巴淵にお寄りください。10月下旬から11月上旬の紅葉の時期がベストかと。



という訳で早速その道のプロの「つねまる」様より謡曲「巴」についてご解説をいただきました。

流石でございますw 勉強になりました・・・・

↓↓↓(以下は つねまる様の解説文です)

謡曲「巴」は、女性が唯一薙刀を手に舞う曲です。

共に戦った義仲から、「汝は女なり」と小袖を木曽へ届けよと告げられ、薙刀を手に「かくて御前を立ち上が」った巴は、四方を払う八方払い、木の葉返し、等で勇猛に戦いますが、「今はこれまで」と、ふと振り返った義仲は既に自害。
巴は約束の小袖を胸に義仲の死骸に暇を告げ、烏帽子・武装を脱ぎ捨てつつ木曽へと向かうのでした。

とかく勇ましい巴の姿が頭に浮かびますし、能のいいとこ取りの仕舞でも薙刀で戦う場面を舞いますが、この曲の真骨頂は、義仲と共に自害することを許されず、女ならばたどり着けるだろうからと別れを告げられた巴が泣く泣く木曽へ向かう最後の場面。
情感を込めすぎず、少ない型の中でいかに巴の心情を表すかがとても難しい曲です。

木曾義仲 036
木曽町日義に展示されている巴御前の絵画(画:内田青虹、木曽町蔵)

つねまるさん、解説ありがとうございました!!

この場を借りてお礼申し上げます。









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Posted on 2015/11/08 Sun. 10:39 [edit]

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コメント

あちょー!

こんにちは、らんまるせんせ。わーい♪義仲のおうち♪地元で愛されてこそ、義仲。
まぁ、巴がここで泳いだのですねー。さぞかし鍛え上げることが出来たでしょね。来年はこちら方面へ里帰りがてら行きたいな。
おおお、らんまるせんせの謡曲物語ー!

あれ?あれれ?なんか、ボールが飛んできたようですが。

きゃっち。

謡曲「巴」は、女性が唯一薙刀を手に舞う曲です。

共に戦った義仲から、「汝は女なり」と小袖を木曽へ届けよと告げられ、薙刀を手に「かくて御前を立ち上が」った巴は、四方を払う八方払い、木の葉返し、等で勇猛に戦いますが、「今はこれまで」と、ふと振り返った義仲は既に自害。
巴は約束の小袖を胸に義仲の死骸に暇を告げ、烏帽子・武装を脱ぎ捨てつつ木曽へと向かうのでした。

とかく勇ましい巴の姿が頭に浮かびますし、能のいいとこ取りの仕舞でも薙刀で戦う場面を舞いますが、この曲の真骨頂は、義仲と共に自害することを許されず、女ならばたどり着けるだろうからと別れを告げられた巴が泣く泣く木曽へ向かう最後の場面。
情感を込めすぎず、少ない型の中でいかに巴の心情を表すかがとても難しい曲です。

謡っていて泣けてくる巴ちゃん。
彼女の育った場所を見せていただき、ありがとうございました。
ほいっ、ボール、お返しします。

つねまる #pjmS0te2 | URL | 2015/11/08 11:46 * edit *

Re: つねまる様へ

以心伝心のご解説ありがとうございますw

早速ブログの記事に追記させていただき、巴御前の画像もアップさせていただきました。
感謝感謝でございます。
紅葉真っ盛りの時期に訪れればもっと風情があったんでしょうね。
戸隠の鬼女伝説の舞台も今がピークだし、名前も紅葉だし出かけてみたいと思いつつ今日は雨・・・

土塁と堀切、石積みばっかりの記事は殺伐としておりますので、時々こういう伝説の舞台を書くとホッとしますネ(笑)



らんまる #- | URL | 2015/11/08 12:44 * edit *

義仲と巴御前の伝説は本当に魅力的だと思います。

このあたりは史実や史料ぬきで、ゆっくり訪問したい土地です^^

つねまる様、らんまる様のコラボ記事のお蔭で、地理不案内な自分も旅情豊かな風情を楽しめました^^
ありがとうございます。拍手☆

時乃栞 #- | URL | 2015/11/08 18:16 * edit *

Re: 時乃栞様へ

ご多忙の中、コメントありがとうございますw

どんだけ義仲が好きなん?って言われるとうれしゅうございます・・(笑)
敗者の日本史の人物でも、僅か数年の輝きがこれほど多く伝説として語り継がれる方は稀有でしょう。
「木曽をすべて山の中である」と書いた島崎藤村の故郷・・・ぜひお越しくださいませ。

つねまる様のプロ意識、小生も見習うべき事が多くブログも初心者向けの優しい心配りに溢れております。
「あうんの呼吸」とは、さすがに狛犬研究の第一人者で小生の依頼も難なくクリアーしていただきました。

「広く浅く」ではなく、「狭く深く」・・・らんまる家の教訓その②でございますw

らんまる #- | URL | 2015/11/08 21:19 * edit *

きゃー

こんばんは、らんまるせんせ。
は、は、恥ずかしい~。子狛のようにらんまるせんせにくっついているだけですのに。貴記事へ追記までしていただき、ありがとうございます。

つねまる #pjmS0te2 | URL | 2015/11/08 22:55 * edit *

Re: つねまる様へ

いえいえ、このようなむさ苦しいブログの為にお知恵を拝借してしまい恐縮ですw
また困りごとがありましたら懲りずにお願いします・・・(笑)

らんまる #- | URL | 2015/11/09 07:08 * edit *
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