らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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大蔵城(長野市)  

◆信濃史上、最も凄惨な虐殺の舞台となった城◆

旧豊野町(現在の長野市豊野)の国道18号線の浅野交差点には、10年ぐらい前まで「←海こっち、山こっち→」と大きな看板のモービルのガソリンスタンドがあり、上越へ向かう18号線と飯山方面へ向かう117号線の分岐点として記憶されている方も多いかもしれない。

その交差点から18号線を2㎞ぐらい進んだ右手の尾根にあるのが大蔵城(大倉城)です。

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現地の案内看板によれば、鎌倉時代に小笠原信濃守長清が築城、九男の与市長澄が大倉氏を名乗って居住した言伝えがあるという。

文献に登場するのが永正十年(1513年)というから戦国時代には築城されていたと思われる。

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大蔵城縄張り図(宮坂武男氏作)

本郭、二の郭、三の郭、大堀切、畝状の竪掘でシンプルに構成されているのが分かります。

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お寺の手前にちょっとした駐車スペースがあり、脇の用水沿いを歩きます

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天正十年(1582年)七月に上杉景勝が長沼城主島津忠直を河北郡司に任じた折り、「河北郡の儀、葛山より大倉を限る山中を申し付ける」とあり、この地は古くから善光寺平と以北の境界線だったようです。

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城域をとりまくように今井用水が流れる。340年前の飯山松平藩時代の開削。戦国時代には無かった。

この城が史料上で確認出来るのは、弘治三年(1557年)二月、葛山城が武田勢に攻め落とされた時、長沼城にいた島津忠直が大蔵へ退いたと記録があり、この城が島津氏の詰城として機能していたことがわかります。

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東側の「一の堀?」から見上げる三の郭。結構な深さです。

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西側の土塁から見る二の郭と三の郭。段差をつけていますが、それ程の広さは無い。

≪芋川の乱≫

天正十年(1582年)4月、その前月に武田氏を滅ぼした織田信長は家臣の森長可に北信四郡を与えた。
武田信玄の信濃侵攻で武田方に降った芋川の庄(現在の飯綱町)の領主芋川親正(または正親とも)は、森長可の元には参陣せず上杉方に味方する事を決め、長沼城主の島津忠直と密かに連携する。

4月5日に一向衆の門徒や反織田方の信濃国人衆、百姓など約8000人が廃城となっていた大蔵城を修築して蜂起。
一揆勢は島津氏とともに稲葉氏の守る飯山城を攻めるが、森長可が素早く援軍を差し向けたため一時大蔵城に撤退する。
4月7日、一揆勢は防禦力の低い大蔵城を諦め三日後に長沼城へ移動を開始するが、既に長沼城は森長可によって陥落したあとであり、逆に織田軍3000の猛反撃に遇い1200人余りが討ち取られ、更に大蔵城に殺到した織田軍は残っていた婦女子1000人を切り捨てたという。

信長公記によれば、信長に送られた首の数は2450余であったという。武田の志賀城攻めをはるかに上回り、信濃における最も凄惨な虐殺史である。

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本曲郭より見た二の郭。高さのある堀切で大きく絶ち切っている

一揆勢を指揮した芋川親正と島津忠直は共に上杉景勝のもとに落ち延び、その後上杉の国境守備軍となる。
本能寺の変で織田信長が斃れ森長可が川中島より撤収すると、景勝は空白となった北信濃に兵を入れ占領する。

島津忠直は旧領の長沼城に返り咲き、芋川親正は牧之島城4400石を与えられ、中信濃の小笠原からの防衛を命じられ、景勝の期待に答えたという。

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本郭の石祠。左側には落城400年の供養塔があります。

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北側に隣接する井戸郭

織田軍による徹底した一揆殲滅戦。
芋川氏も島津氏も甘く見ていたのではないのだろうか。

この城とその周辺が阿鼻叫喚の地獄絵図になったとは、今の景色からは想像が出来ない。

供養塔にそっと祈りを捧げました。

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本曲郭から望む善光寺平

信濃の戦国時代は征服され続けたた屈辱の歴史であり武田信玄が悪者というイメージが強いが、地元の領主や豪族ですら保身の為には、時に宗教も利用し住民を煽動し犠牲にしてきたという事実がある。

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↑主郭背後は5本の深い堀切。単純構造の城にしてはかなりの規模で驚きます。

この小さな狭い城では、織田軍相手に持つ訳がありません。

無謀な一向一揆でたくさんの犠牲者を出したこの城跡、何故か虚しさを感じました。

(今回は霊の気配はありませんでした・・・ホッとしました)

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場所:長野市豊野町大倉
標高461m 比高100m
攻城日:2010年10月11日
時間:山麓から歩いて10分程度。歩道も城域もよく整備されています。
お勧め度:★★★★☆
見どころ:土塁、執拗で大規模な堀切、竪堀など。
その他:悲惨な歴史の残る城跡ですが、山城の構造としては単純なものの勉強になります。


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Posted on 2010/10/23 Sat. 17:30 [edit]

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