らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

1126

南信濃の山城紀行①  

◆信濃国の広さを今更ながらに実感した次第であった◆

今回の本格的な南信濃ツアーは葯1年半ぶりで一泊二日、いつもの「ていぴす様」そして八王子より「ナワバリスト」の「naomochi-u様」をお迎えしての攻城戦だったが、移動距離の過酷さは同じ長野県とは思えず遠征後に体調を崩す・・・(汗)

常々申し上げるのだが、疲労は移動時間で蓄積されるのではなく、移動距離に比例するのだ。これは実体験上断言できる。

まあ、そんな話はどうでも、記事になるのが何時になるのか不明なので行った先を記しておこうか・・・(笑)


【吉岡城】 (下伊那郡下条村)

naomochi-u様のリクエストで訪問。甲斐武田氏の同族で下伊那の有力国人として勢力を拡大してきた下条氏の居城。
詳細は以前の記事の「吉岡城」を参照願います。

IMG_4101.jpg
悲しい事に国道151号線が貫通しているが、伊那谷の城では珍しくない・・・(汗)

IMG_4092.jpg
主郭西側の大堀切。

IMG_4095.jpg
主郭の西側の郭は「後郭」と呼ばれ神社がある。その西側は上巾13mの落差を伴う鋭い堀切が残る。


【大沢城】 (下伊那郡阿南町)

ここもnaomochi-u様のリクエストで訪問。吉岡城に本拠を移す前の下条氏の本城と屋敷跡だ。
詳細は以前の記事の「大沢城」を参照願います。

IMG_4103.jpg
現在は古城八幡神社として国指定の重要文化財である。

IMG_4104.jpg
主郭跡に建つ八幡社。

IMG_4106.jpg
北側の堀切。小山の単郭ながら、斜面全体に切岸の加工跡があり中々険しく攻め手を寄せ付けない仕様だ。


【権現城】 (下伊那郡阿南町)

三河国との国境に近い新野千石平より身を興し、下伊那に覇を唱え下条氏と仁義なき戦いを繰り広げた関一族の最後の城である。井上靖の短編時代小説「犬坊狂乱」は、関一族の下条氏との抗争とこの城の落城にまつわる言い伝えをもとに書かれたという。領民の離反、家臣の裏切りで春の宴の最中に下条軍の奇襲によって惨殺された関一族の墓碑が今も城跡に残る。

IMG_4109.jpg
城跡に祀られた関三社八幡宮。その名の通り領民がその祟りを恐れ、殺された城主一族三名を祀った社である。

そう、1年半前にここを訪れるはずだったのだが、土砂崩れによる通行止めで断念。
今回は念願が叶って無事に訪城。途中、道を間違えるというハプニングがあったが・・・(汗)
これで「南信濃に覇を唱え、夢破れた関一族の山城シリーズ」が完成するのである。

IMG_4111.jpg
右から関盛永(権現城の城主・春仲の息子)、関安芸守春仲(元上田城主で盛永の父)、春仲の正室の墓碑

関一族シリーズについて興味のある方は、以前の記事の八幡城矢草城上田城をご参照ください。

IMG_4112.jpg
城域背後の尾根先を断つ深さ12mの大堀切。堀切の向こうの郭には奥社が祀られている。


【十原城】(飯田市南信濃村十原)

ここは当初の訪城リストには無くて、てっきり対岸の長山城(名古山城)と思い込んで辿り着いたら遠山景広の弟の景忠の居館跡だったという笑い話である。
いい年した大人が三人も揃いながら地図も読めないとは恥ずかしい・・・(笑)

IMG_4113.jpg
地元の方に聞いたら、「ここは十原館(とっぱらやかた)だよ」と真実を知り顔面蒼白・・(汗)

気を取り直して探索するも縄張図が無いので想像してみるしかない。
それにしても両側を遠山川の深い渓谷に囲まれた要害の地で、秋葉街道を監視するには絶好の立地である。
当主遠山景広の長山城と共に重要な役割を果たしたのであろう。

IMG_4118.jpg
神社の立つ場所は櫓台が置かれていたのであろう。

IMG_4117.jpg
土橋付近から見た遠山川の渓谷。

この後、対岸の長山城は日没が近く泣く泣く諦めた。南信濃和田の日没は結構早く、登っても写真が撮影出来ない悲劇となる。


【和田城】(飯田市南信濃和田)

まあね、何も無いのはわかっているんですが、日没とは言えせっかくここまで来たので和田城にチョッと寄ってみた。
当時の雰囲気が味わえる風景はそのままなんでしょうか・・・。

IMG_4119.jpg
城跡に立つ郷土資料館。既に閉館しておりました・・・・

IMG_4122.jpg
有名な「徳川家康と遠山土佐守 対面の場」

家康との夕食晩餐会で、遠山土佐守は自分のお膳の中身が見えぬよう袖で隠して食べたという。それを不思議に思った家康が土佐守に問いただすと「稗や粟しか実らぬやせた土地の穀物を食べております。そのような貧しい食事を家康公にお見せするのも見苦しいのでかくして食しました」と答えたという。
不憫に思った家康は遠山土佐守に伊那の地で1000石を更に加増したという。遠山さん、一枚上手、したたかでございますw

IMG_4123.jpg
長野県というよりも静岡県が似合いそうな和田集落。

日も暮れてしまい、我々はひたすら今夜の宿泊先である飯田市に急ぎ戻ったのであった・・・・

続きは②で。





スポンサーサイト

Posted on 2015/11/26 Thu. 09:02 [edit]

CM: 2
TB: 0

« 南信濃の山城紀行②  |  黒川城 (北安曇郡小谷村黒川) »

コメント

伊那谷いいですなあ

伊那谷なぞほとんど行ってませんわ。なにせ遠い。
北信からはほとんど隣県ですわ。
ここにはそっこら中に無駄にでけえ城があり、マニアには天国ですなあ。
美味そうな上物ばかり!

あおれんじゃあ #- | URL | 2015/11/26 23:19 * edit *

Re: あおれんじゃあ様へ

北信濃の緊張感溢れる一触即発状態の臨戦態勢の山城と比較してしまうと、ほとんどが「のほほん」な感じ満載(笑)
そうはいっても、それぞれの城歴を調べると血なまぐさい過去を持つ城もちらほら・・。

南信濃は早くから武田信玄の支配下に入り、さしたる反乱もなく時間が経過している印象が強いので仕方ないのでしょう。
それに甲州征伐でも高遠城の仁科信盛が抵抗しただけですし・・・。
天正壬午の乱以降、伊那谷の国人衆のそんな緊張感の無さを徳川に利用されてしまい松尾小笠原以外は全て使い捨てにされました。
河岸段丘のバカでかい物件が多いのですが、中にはピリッとした山城もあるんで捨てがたい地域です。

仰せの通り長野県ではなくて、もはや中京圏かと・・・(笑)

らんまる #- | URL | 2015/11/27 21:12 * edit *
コメントの投稿
Secret

トラックバック
トラックバックURL
→http://ranmaru99.blog83.fc2.com/tb.php/753-f8471dec
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

城主からのご挨拶

地域別攻城戦記

諸国在住の皆さまのありがたき進言

もののふ入城者数

在城中の「もののふ」

攻城戦記年表

▲Page top