らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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南信濃の山城紀行②  

◆家康に忠誠を誓いながらも使い捨てにされ滅びた下伊那の国人衆の怨嗟が聞こえる城跡◆

伊那谷地方は天文二十二年頃より本格化した武田晴信(信玄)の侵略に対して部分的な抵抗はあったものの、領民を巻き込む大規模な合戦も無く済んだのは、古くからの国人衆の賢明な判断によるところが大きいと思われる。

しかし本領安堵と引き換えに「信濃先方衆」として武田軍団の最前線部隊としての過酷な軍役を命じられ、各地を転戦させられている事を知る人は少ない。これは南信濃だけの話ではなく、甲斐本国以外の被征服地では当たり前の事実であった・・・。

そんな前置きはさて置き、南信濃攻城戦は早朝6:00に出発するという過酷さであった・・・(汗)

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平谷村の滝之沢城に着いたのは6:40。飯田市からの距離は約30kmである。


【滝之沢城】 (下伊那郡平谷村)

まあね、平谷村の位置が長野県のどのあたりなのかを知る長野県人は少ない・・・(汗)
信濃の国の南西端にあって、西の山を越えれば美濃国岩村城だし、隣接する根羽村の先は奥三河の設楽町である。ここは通称「伊那街道」(最近では飯田街道)と呼ばれ、信玄の三河攻略の軍用道となり「とつばせ関所」と周辺を守る要害(滝之沢城)が武田軍により置かれたという。

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看板の拡大。滝之沢城が歴史上に出てくるのは天正十年の織田信長による甲州征伐の時らしい。

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平谷村指定史跡であるが、あくまで推定地らしい。

ここは信玄の娘を娶った吉岡城の下条信氏の領地であり、美濃・三河よりの信濃への出入り口として重要視され関所と共に要害が築かれていた。
天正十年(1582)二月、織田信忠軍が美濃口より攻め入ると、下条信氏父子は弟の氏長や家臣らと滝之沢の要害に布陣しこれを迎え撃ち、寡兵ながらよく防でいた。ところが、宗家乗っ取りを画策していた弟の氏長が織田に内応し、あっけなく要害は陥落。
下条信氏・信正父子は奥三河の黒瀬へ落ち延びた。(その後、父子は失意のうちに亡くなるが、家康の庇護により天正壬午の乱で信氏の次男頼安・信正の嫡男牛千代が宗家として復帰する)

ま、その辺の話はおいおいに。

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標柱の立つ本陣比定地。土塁も巡っている。城というよりは関所を守る陣城であろうか。


【根羽城ヶ峯】(下伊那郡根羽村)

美濃国・三河国と国境を接するかつての根羽宿(根羽村の中心部)の北東にある独立峰に築かれた城で、別名:根羽男城(ねばおじょう)とも云われ、武田統治時代は狼煙台として使われたという。

朝早くから比高300mはいかがなもの?と思いつつ道なきいつもの直登を敢行・・・結構大変だった・・・(汗)

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ヘロヘロになって辿り着いた本郭は笹薮だらけで意気消沈・・・

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主郭背後の三連の堀切を眺めてエネルギー回復!(笑)

まあ、何でもかんでも狼煙台で片づけてしまわれる信濃の山城が多いが、この城は街道を監視する役割も担っていたのだろうと推測されるが、いかがであろう・・。

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堀切も結構真面目に作ってます・・・ってか不真面目な堀切ってあるの?


【根羽女城】(下伊那郡根羽村)

根羽村役場の裏山にあり、根羽男城からは小川川を挟んで1kmの至近距離で対をなしているのでそのネーミングであろうか。
男城によく似た縄張りで街道の物見砦としてはこれで充分だったと思われる。

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円形の主郭。神社が勧進されている。

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主郭と副郭の間の堀切と「あれ」

役場からの比高は150mと緩い部類だが、その前の男城で体力を消耗していたので、思いのほかきつかった・・・(汗)

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堀切よりみた郭2(副郭)


【信玄塚】(下伊那郡根羽村横旗)

今回の南信濃遠征の目的の二つ目は信玄塚であった。
以前に記事で書いた「武田信玄終焉地考」(一之瀬義法著 1987年教育書籍)の訪問である。
信玄終焉の地の候補として五箇所あるうちの一つだが、一之瀬先生が推定される根羽説が案外的を得ているような気がした次第です。

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根羽村の観光名所として「ネバーランド」と共に推進しているようですが、知名度はいまいちのようだ。

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国道の改修工事によって元々の墓地は道路の下に埋没したらしい。信玄公の祟りは無かったのか?

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大名クラスの宝篋印塔とされるが、比較対象する史料が無い・・・(汗)

まあ、念願かなって見れただけでも良しとしますか。


【松尾城・鈴岡城】(飯田市)

今さら小生が申し述べるまでもないが、南信濃の巨大城郭シリーズ「因縁の隣家バトル仁義なき戦い小笠原編」の舞台となった城である。
毛賀沢川の深い渓谷を挟んで隣接する松尾城と鈴岡城の立地にも改めて驚くが、引っ越し出来ない隣近所が骨肉の争いを演じると、どうしようもない結果しか残らない事が証明されてしまった。

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松尾城跡の碑。紆余曲折を経て戦国時代の下伊那で生き残ったのは高遠の保科家と松尾小笠原家だけだった。

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鈴岡城の郭3の解説版には血塗られた鈴岡城の城歴が書かれているので必見だ。

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鈴岡城から見た松尾城。中央の削平された場所が本郭である。

この城の血に塗られたおぞましい史実は、またそのうちに書きますので、あまり期待しないでお待ちいただきたい・・・(笑)

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近世城郭でも通用する巨大な空堀(鈴岡城)

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松尾城の追手口付近の空堀。



【上野南本城】(飯田市座光寺)

最近長野県史跡に指定された山城である。近隣の多くが天竜川の河岸段丘を利用した巨大な崖渕城であるが、この城は土塁と堀切を多用した正統派の山城で、隣の上野北本城の詰めの城ともいわれるが、そんな軟な城ではなく、その縄張は紛れもなく戦国末期の第一級品である。

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麻績神社からの登り口に立つ説明版

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土塁を伴う長大な堀切を多用する独特の縄張りは、この周辺には見られない高度な設計だ。

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本郭。西側のみ巨大な土塁が覆っている。

縄張りを見ると西側に対する防御指向を持っているので、飯田方面からの侵入に備えているようだ。松岡氏の一族の座光寺氏の領地であったが、松岡氏や座光寺氏が単独で出来る土木工事量ではないので、大勢力が関わったとみるべきだが、その勢力を特定するには至っていない。

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北の出曲輪と呼ばれる部分と本郭との接続箇所。

さあ、南信濃二日間の遠征紀行、いかがでしたでしょうか? 最後は疲れ果ててしまい、どうでもいいや・・(爆)

いつ記事にするかはお約束できません・・・(汗)

書かなきゃ男が廃る・・・そうかもしれません・・・・(笑) またそのうちということで。



































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Posted on 2015/11/29 Sun. 10:08 [edit]

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コメント

信州は広い..

こんばんは
根羽城ヶ峯という場所はもう愛知県境に近い感じなんですね 南信の城もなかなか興味深い感じがします
飯田の鈴岡城は以前に訪れましたが、確かにどことなく近世の城郭の様な感じもしました(もちろん石垣は無しですが)
関東へ移る直前まで小笠原氏の本拠としてたから?でしょうかね...

yama #mQop/nM. | URL | 2015/11/29 20:06 * edit *

Re: yama様へ

南信濃は戦国時代にはさしたる合戦も無く、城跡といえばデカ過ぎる河岸段丘の城が多いのであまり人気がありません。
北信濃の臨戦態勢の山城と比較してしまうと緩い城が多いのは否めませんネ。
まあ、それでもよく探すと所々に優良物件があるので、それらを含めて誰かが紹介せねば・・・と思っております。

仰せの通り、鈴岡城や松尾城の堀の幅は鉄砲を意識した100mの幅ですよね。飯田城の改修時に徳川が手を加えた可能性もありますがどうなんでしょう?松尾小笠原氏の単独改修には無理がありそうです。

らんまる #- | URL | 2015/11/30 07:23 * edit *

すごいなぁ

こんばんは、らんまるせんせ。先日は初心者の疑問にお答えいただきありがとうございました。
いずれもすごく大きなお城ですね。初心者でも楽しめそうだなー。見てみたいなー。
宝篋印塔、きれいな姿ですね。これだけでも拝見に行きたくなります。


つねまる #pjmS0te2 | URL | 2015/11/30 18:03 * edit *

Re: つねまる様へ

貴殿のブログには余計なコメントを入れ大変失礼なヤツとお思いでしょうがお赦しくだされ・・(笑)

南信濃の城は天竜川という巨大な河川の浸食によって出来た河岸段丘を利用した館城形式の巨大な城が多く、「こんなにデカくちゃ守れないでしょう・・」という「大は絶対に小を兼ねない」という結論に導かれますw
降雪も少なく、どちらかというと静岡や中京圏に近い気候と風土なので、一触即発という北信濃とは比較にならない緩さです(笑)

今回、根羽村の横旗の宝篋印塔はどうしても見たかった。
おそらく信玄公はここで荼毘にふされたのは間違いないでしょう。きっとその煙は西へ向かったのでしょう。合掌・・・。

らんまる #- | URL | 2015/11/30 20:21 * edit *
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