らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0103

小泉上の城2 (リテイク 上田市小泉)  

◆郭は最低限でも堀切は厳重に重ねる村上スタイルの物見砦◆

2016年の最初に掲載するのは、2011年に一度記事にした「小泉上の城」(こいずみかみのじょう)の改訂版である。

いつか再踏査して真面目に書かねばと思いつつ、城の真下まで通じている林道を四駆で上って楽したい・・・。
ようやく念願かなってリニューアル編をお届けしたい・・・(笑)

小泉上の城201601 (103)
林道入口。城山(933.1m)の西側の下室賀より沢沿いに林道「神宮寺線」を終点まで上る。(四駆なら軽トラでも大丈夫)

【城跡への行き方】

●正攻法:小泉の日向地区の大日堂から小泉下の城を経由して尾根伝いに登る。かつての大手道だが比高は400mもあり斜面もかなり急だ。体を鍛えるにはいいかも。

●邪道:下室賀地区から神宮寺組集落に入り、その先の林道「神宮寺線」を終点まで上る。道路は荒れていないがオフロードバイクか四駆が条件。終点に車を駐車して鉄塔No128の表示の保安道を登る。ここからなら比高は葯100m。

小泉上の城201601 (101)
終点は整地されており駐車可。

小泉上の城201601 (95)
鉄塔No128への標識に沿ってひたすら沢を詰めると、稜線に出るための保安道の階段があり登った先が城域となる。

【城主・城歴】

小泉氏及び城については「小泉下の城」をご参照ください。


【城跡】

城山(933.1m)のピークではなく南に派生した尾根先の第2ピークが城跡で、楕円形の単郭の背後を何重もの厳重な堀切で断ち切った物見砦である。残念な事に鉄塔の設置に伴い城域で最も大きく深かったであろう二重堀切の一部が大きく改変を受けてしまっているが、その他の遺構は良好に残存している。

小泉上の城見取図① 001

では、北側の鞍部から城の遺構を見ていこう。

小泉上の城2015 (8)
搦め手の最終の堀切㋖。ここから登った先が城内となる。

尾根を登った先には現在残る堀切では最も上巾の広い堀切㋕が出現する。(上巾13m)

小泉上の城201601 (9)
保安道の為に道形が付いているが往時はもちろん無かったはずだ。(北側より撮影)

小泉上の城201601 (10)
堀切㋕の西斜面への処理。(北側より撮影)

さて、問題の鉄塔改変部分である。鉄塔が建てられた部分は整地されてしまい堀は埋められたようだが、宮坂武男氏は東斜面に残るW型の二重竪堀がそのまま尾根を遮断し分岐して西側の斜面に落ちていたのではないかと推測している。
小生も藪に埋まるW型の竪堀を探しつつ心の目で見るのだが、どうも想像できない・・(汗)

小泉上の城2015 (75)
南側より見た鉄塔とその東のW竪堀との連結想像図。

鉄塔の辺りは案外と副郭があり、両袖もしくは片袖の堀切だったのかもしれない。単郭に六連の堀切は考えられない・・・。

小泉上の城201601 (31)
東側斜面のW型竪堀の探索。枯れ草が邪魔して写真映えしない・・(汗)

小泉上の城201601 (33)
鉄塔からは室賀城、子檀嶺城(青木村)が一望出来る。

小泉上の城201601 (34)
物見砦としては当然ながら上田盆地が一望できるロケーション。

他の堀切が尾根を遮断するだけの機能で竪堀となる事は無いのに、堀切㋔だけは急峻な斜面に対して竪堀としている。
二重堀切の㋔と㋓はこの砦の末期の改修だろうと思うが、どうであろうか。

小泉上の城201601 (39)
初見の判断が分かれる二重堀切㋓。元々は郭があって、改修して堀切としたような感じが残る。色々な角度から観察する必要あり

さて、主郭背後の堀切㋒と㋑は村上連珠砦群に見られるオーソドックスな堀切である。落差を付けた二連の堀切で、東西の斜面はかなり急斜面なので竪堀にはしていない。東側の斜面を大きく削ったのは、堀切㋔と同時期の改修であろうか。

小泉上の城201601 (45)
堀切㋒(東斜面より撮影)

小泉上の城201601 (48)
北側から撮影した堀切㋒の壁(へき)と重なる堀切㋑。意識的に段差が付けられている。

小泉上の城201601 (47)
堀切㋒の東斜面は崖状に削られている。堀切㋔との相乗効果を狙ったようだ。

小泉上の城201601 (58)
主郭手前の堀切㋑(上巾8m)

小泉上の城201601 (54)
堀切㋑の堀底から見た主郭背後の壁。

よくもまあ、これだけの堀を並べて普請したものだと感心する。段付きの小さな主郭に対して異常な防御体制である。でもね、この縄張とよく似た砦があるんです。
それが村上連珠砦群の「ケムリの城」と「物見城
堀の長さは短いものの、縄張がよく似ていますよね。

小泉上の城201601 (62)
祠のある場所が一段高くなっている主郭。櫓台が置かれたのであろうか。

小泉上の城201601 (69)
14×14の楕円形の主郭(南側より撮影)。

普段は物見砦だが、万が一の際は「小泉下の城」あるいは「須々貴城」の詰めの城として想定されていたのだろう。

小泉上の城201601 (71)
主郭の一段下の段郭。

小泉上の城201601 (77)
土留めの石積みも確認出来る。

小泉上の城201601 (73)
城域最終の堀切㋐。

小泉上の城201601 (79)
南尾根の急斜面をひたすら下ると「下の城」に至る。

思えば6年前、山城探訪初心者が原付バイクを廃車にしてまで上った林道・・なのに遺構なんかまともに見ていない・・(笑)

経験とはそういうものです。それから800を超える城跡を訪問しても青二才ですもの・・・(爆)

小泉上の城201601 (90)
真田丸で大忙しの上田城。実はここに小泉氏の古城の跡があり「小泉曲輪」と命名されているのを知る人は少ない。


≪小泉上の城≫ (こいずみかみのじょう)

標高:912m 比高:410m
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:上田市小泉
攻城日:2015年11月29日、2016年1月3日
お勧め度:★★★☆☆  
城跡までの所要時間:15分(神宮寺林道終点より) 駐車場:林道の終点にあり。
見どころ:竪堀、堀切など
注意事項:秋は松茸山になるので9月~11月10日頃まで入山禁止、その後は狩猟シーズンなので鉄砲隊に注意。
参考文献:「信濃の山城と館③上田・小県編」(宮坂武男著 2013年 戎光祥出版) 
付近の城址:小泉下の城、笹洞城、跡部城、須々貴城など

小泉上の城2015 (95)
正攻法では楽して登れる距離と比高ではありません・・・・(汗)





















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Posted on 2016/01/03 Sun. 21:35 [edit]

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« 鳥屋城(上田市武石鳥屋)の史跡整備の近況について  |  2015年のご愛顧ありがとうございました »

コメント

関係者じゃないですが

1月7日のBSプレミアム
英雄たちの選択で
川中島城塞群が取り上げられるそうです。
ご存知の内容かと思いますが
ご参考までに

丸馬出 #- | URL | 2016/01/05 09:46 * edit *

Re: 丸馬出様へ

この番組の件は知りませんでした・・(汗)

ほほう、磯田道史氏が司会ですか。千田学長も出演するんですネ。
どこまで突っ込んだ戦略・戦術論が交わされるのか?とともに山城愛好家の興味を引く遺構が紹介されるのか、が楽しみです。
復元された荒砥城のスチールがあるのが心配です・・(汗)

らんまる #- | URL | 2016/01/05 20:10 * edit *

ものみ

城域のほとんどが堀が占め、居住というか駐在スペースがほとんどないですね。
物見と狼煙台に特化すればそれでいいのかもしれません。
それでもこの異常なくらいの堀からは「死にたかねえ・」って叫びが聞こえそうです。
心配性に心配性が重なりこんな堀となったのでしょうか。
でも、さすがロケーションは物見の砦ということをズバリ証明してますなあ。

あおれんじゃあ #- | URL | 2016/01/05 22:23 * edit *

Re: あおれんじゃあ様へ

武田軍による佐久地方の撫で斬り政策は上田小県地方に強烈な戦慄を植え付けたと思います。
なので、村上義清ももちろん彼の従属同盟であった室賀氏、小泉氏、浦野氏も物見を必死に整備しその侵入に備えたのでしょう。

「怖いものは怖い・・・」

四重、五重の堀切を穿っても安心できない。彼らを支配したのは武田の名を借りた妄想の悪魔だったと思われます。
「抗うものは皆殺しにする」
お山の大将だった信濃の国人衆にとって天変地異の出来事。田舎者の悪あがきがこれらの山城群だったと思います・・

らんまる #- | URL | 2016/01/05 22:54 * edit *
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