らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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横川関所 ・堂峯番所(安中市松井田町横川)  

◆信濃国と坂東を分け隔てる峠にして古来よりの最大の難所◆

某国営放送局の大河ドラマで草刈正雄が演じる「真田パパ幸」の黒さは限度を超えている・・・・(汗)

「そこまで描いていいのか?」と史実を知る中世城郭ヲタの我々が危惧するぐらいに放送事故寸前の際どさがある。

脚本を手掛けた三谷幸喜なる人物こそ、「表裏比興の者」であろう・・・(笑)

今回ご案内するのは、天正壬午の乱で北条氏政・氏直を見限り、甲斐で北条軍と対峙し窮地に陥っていた徳川家康の調略に応じて徳川に臣従した「真田パパ幸」が北条方の兵站補給路となっていた碓氷峠の封鎖に成功した上野国側の起点の横川。

横川関所 (4)
横川の碓氷関所跡の碑

天正十年十月、徳川方の依田信蕃、真田昌幸は北条方となっていた国衆の調略を行い切り崩しに成功。また、上野から碓氷峠経由で甲斐前線の北条本隊に送られていた荷駄隊を襲いこれを封じた。これにより佐久での足場を失い兵站補給すら不可能となった北条氏直は、圧倒的な大軍を擁しながら徳川家康との和睦に応じるほかなかったのである。

横川関所 (1)
横川関所は元和九年(1623)に江戸幕府により設置されたが、それ以前にも見張小屋が置かれていたのかもしれない。

【碓氷横川関所の立地】

碓氷峠の東麓、坂本宿の東、旧JR信越本線横川駅の西側になり、霧積川と碓氷川が合流する所に接する位置になる。付近は信越本線の廃線に伴い大きく改変されたが、旧街道の県道沿いには、東側に諏訪神社、茶屋本陣があり、街道より一段高い場所に関所跡が残っており、復元された東門から往時の面影が偲ばれる。

碓氷峠の変遷
碓氷峠における交通の変遷(※ウィキペディアの「碓氷峠」の補助資料を引用添付しています)

戦国時代の碓氷峠越えは、最も北側の中山道ルートの旧碓氷峠とほぼ同じだったらしく、江戸時代に整備されたという。

横川関所 (3)
旅人はどんな思いで通行手形を出したのだろうか・・

【碓氷関所の沿革】

東海道箱根関所と並び称される中山道碓氷関所が、現在地に設置されたのは元和九年(1623)でした。横川は碓氷峠山麓の三つの川が合流し、険しい山が迫って狭間となり、関東の境を守る関所要害としては最適の場所でした。

寛永十二年(1635)に参勤交代が行われるようになると、徳川幕府は関所で「入り鉄砲に出女」を厳しく取り締まりました。関所手形を提出させ、鉄砲などの武器が江戸に持ち込まれることや、人質として江戸に住まわせておいた大名の妻子が国元国え元h逃げ帰るのを防いだのです。

しかし十八世紀後半以降になると、街道交通の増大に対応を迫られ、関所改めも緩やかになります。享和三年(1803)以後は「女改め」が簡略化え、ついに徳川幕府が倒れると、新政府は明治二年(1869)二月に関所を廃止しました。

碓氷関所の構えは、中山道を西門(幕府管理)と東門(安中藩管理)で区切り、あいだの五十二間二尺(約95m)を関所内として木柵などで囲い、碓氷峠の登り口に堂峯番所を置いて二重に監視しました。
※碓氷関所保存会の現地説明版より引用

碓氷関所見取図
碓氷関所絵図(現地説明版より引用添付)

天正十八年(1590)、秀吉による小田原征伐が始まると、東山道方面からは前田・上杉・真田を中心とした約35,000の軍勢が碓氷峠を越え、小田原城を目指した。

そんな歴史的背景も思い浮かべながら峠道を歩くのもなかなかいいものですw

【堂峯番所】

復元された横川碓氷関所の東門だけ見ても実感のわかない方は、ここから旧国道18号線を3kmほど北西に辿ると「堂峯番所(遠見番所)」があるので、訪ねることをお勧めします。

横川関所 (10)
坂本宿を過ぎ、旧国道18号線の脇の東屋から中山道を10分ほど歩くと堂峯番所跡がある。

横川関所 (7)

実はこの堂峯番所の東側には武田が築き北条が改修したと伝わる愛宕山城があり、見学予定だったが日没が迫り泣く泣く断念・・(汗)

まあ、お楽しみは欲張らずに残しておきましょう・・・(笑)

横川関所 (8)
堂峯番所の石垣跡。


≪横川関所≫ (よこかわせきしょ)

標高:405m 比高:-
建築年代:元和年間(1615~1623)
管理者:江戸幕府
場所:安中市松井田町横川
訪問日:2016年3月2日 
お勧め度:★☆☆☆☆ 
館跡までの所要時間:- 駐車場:無し 路駐
見どころ:往時の木材を一部使用して復元された東門
注意事項:特になし
参考文献:現地説明板
付近の城址:松井田城、松井田西城など




≪堂峯番所≫ (どうみねばんしょ)

標高:570m 比高:-
建築年代:元和年間(1615~1623)
管理者:江戸幕府
場所:安中市松井田町横川
訪問日:2016年3月2日 
お勧め度:★☆☆☆☆ 
館跡までの所要時間:- 駐車場:無し(東屋の脇に路駐)
見どころ:石積み跡
注意事項:特になし
参考文献:現地説明板
付近の城址:愛宕山城、坂本城、虚空蔵山狼煙台、刎石堀切など





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Posted on 2016/03/05 Sat. 09:06 [edit]

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コメント

今日の放送も凄そう^^
徳川劇場も楽しみです^^

北海道・地元には、関所って史跡がないので興味あります^^
明治になったら撤廃、国が一つなったから当たり前なんだけど、当時の人は不思議な感じがしたかもしれませんね。

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時乃栞 #- | URL | 2016/03/06 12:39 * edit *

Re: 時乃★栞様へ

天正壬午壬の乱の終盤、北条と決戦する状況に追い込まれた内野聖陽家康のピンチを真田草刈パパ幸が救うのですが、所領拡大の約束を守らないばかりでなく、パパ幸に無断で真田領の沼田を北条に差し出すという和睦を北条氏と締結。
怒ったパパ幸は「家康とゆかいな仲間たち」を相手に二度も裏切った生真面目遠藤景勝を後ろ盾に全面戦争に突入する・・・(笑)

今日は旧中山道の碓氷峠を往復で6km歩きました。現代人で良かったと歩きながら思いました・・・・(爆)

らんまる #- | URL | 2016/03/06 19:19 * edit *

とおりゃんせ♪

こんばんは、らんまるせんせ。
記事と併せてとても楽しく視聴しました。隊列が延びきって云々の箇所、まさにここですよね?
室賀のおいちゃんもパパ幸も、絶好調でしたねー。
街道筋に残る江戸時代ののほほんっとした遺構や復元ばかり見ていたので、関所なんか迂回したらいいのになーっと思ってました。
堂峰番所の画像でよく分かりました。これはすごいなー。ありがとうございます。

花粉症、辛いですね。お大事に~。

つねまる #pjmS0te2 | URL | 2016/03/06 21:38 * edit *

Re: つねまる様へ

本日はリベンジと称して碓氷峠の堂峯番所の隣にある愛宕山城を徘徊したらクシャミが止まらず、目はかゆい。
「はて?」と思って周囲を見たら杉林が「いらっしゃ~い」(笑)

その後、大道寺政繁が豊臣軍を迎撃すべく築いたという堀切を見るために片道3kmの峠道をひたすら登る。
途中で本当の猿軍団と遭遇し焦りましたが、何とか通していただきました・・(汗)
まさか豊臣軍が三万五千とは思わなかった大道寺さん、峠で迎え撃つ発想は良かったのですが大軍相手じゃ無理でしたネ(笑)

らんまる #- | URL | 2016/03/07 07:30 * edit *

タイトルねえよ

愛宕山城、藪が半端なかったなあ。
だいたい、夏場、行くもんじゃねえよなあ。
結局、城は中途半端になり、鉄道文化ムラとめがね橋で終わっちまったなあ。まあ、いっか!
しかし、この狭い碓氷峠、軍勢もだけど食料運搬するの大変だったろうね。
襲撃するのは逆に楽だろうね。

来週はあの虚空蔵山城での真田VS上杉の八百長合戦とか・・?・

あおれんじゃあ #- | URL | 2016/03/07 20:31 * edit *

Re: あおれんじゃあ様へ

愛宕山城、行ってきましたよ(笑)
踏査途中で「安中市緊急災害地震速報」のアラートが入りスマホが鳴りっぱなしで驚きました・・この城で死ぬのかと・・(汗)
山梨県の北杜市にある「朝日の塁」と似たような感じで、「改修by北条」って感じの回字型の巨大な横堀と馬出、横矢掛は一見の価値がありました。

ついでに大道寺政繁さんが築いたという碓氷峠の「刎石堀切」まで遠足してきました。着眼点は良かったえすが、まさか豊臣の軍勢35,000が碓氷峠を越えて来週するとは信じられなかったのでしょう・・(笑)

それにしても大河ドラマの氏直さん、嘗ての勝頼さんのようなバカ息子ぶりに描かれるのは可哀そうです・・(爆)

らんまる #- | URL | 2016/03/08 00:00 * edit *
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