らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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虚空蔵山城 (上田市塩尻)  

◆馬も登れず人も寄せ付けない村上連珠砦の最高地点を再利用した上杉の境目の城◆

「虚空蔵山」(こくうぞうざん)という名の山は全国に無数点在し、信濃にも結構多くある。その中で、上田市と坂城町の境に位置する虚空蔵山(標高:1079m)は戦国末期まで境目の城や砦が築かれた特筆すべき山である。

村上連珠砦群①
「上田 川と道の駅」から見た虚空蔵山の西尾根と砦群。

大河ドラマ「真田丸・第十回」に登場した上杉の守る「虚空蔵山城」とは、元々は村上義清が小県郡の防衛の為に虚空蔵山(標高1079m)を中心に複数の砦を築いた「村上連珠砦」(むらかみれんじゅさい)のネットワークの最も高い標高にある砦の名称である。武田統治下では使用される事もなかったが、天正壬午の乱が勃発すると上杉方によってVS徳川に対抗する境目の城として再利用されている。

村上連珠砦②
「上田 道と川の駅」から見た虚空蔵山の東尾根と砦群。

ドラマでは信繁が春日山城の景勝に直談判し、八百長の戦を演じるよう依頼し、虚空蔵山城にて直江兼続が攻め入る真田を打ち破る芝居をして、その結果として沼田城の北条勢を退却させる策に成功している。

放送直後から小生のブログは「虚空蔵山城」の検索ワードによりアクセス数がかなりアップした。残念ながら、真面目に虚空蔵山城の記事を書いていないので、お役に立てず心苦しく思い、この臨時号を思い立った次第である・・・(笑)

しかしながら現実の虚空蔵山城は、ドラマのように馬で登れるような立地ではなく、人すら寄せ付けない比高647mの険しいガレの岩尾根の頂上に築かれた砦である。十人程度の兵士が辛うじて籠れるような狭い場所で、とてもまとまった兵士を収容できる規模ではない。もし、そのような機能が持てる場所とすれば、西尾根の先端に築かれた和合城(わごうじょう)が最適であろう。

2015山城納め (19)
山城マニア必見の和合城。信濃の戦国時代の境目の城を代表する美しい縄張と絶景を体感して欲しい。

さて、肝心の虚空蔵山城は信濃屈指の比高差を誇る山城なので、生半可な装備と意思では辿り着けない・・・(汗)
登山道は地元の皆さんのご尽力により整備されているので歩きやすいが、片道125分の過酷な日帰り登山という認識で挑戦していただきたい・・。

kokuzou (68)
虚空蔵山城へは、上田市上塩尻にある「座摩神社」経由でトライするのが良い。

【城跡】

ここの頂上からは連珠砦の全てを掌握出来て、更に上田城はもちろん塩田平、坂城方面の諸城は全て監視下に置くことが出来る。軍事的な要衝として村上氏の時代から上杉景勝、そして真田昌幸も重要視したことがわかる。
1076mの頂上の看板のある郭から西側にかけて直線距離で約180mぐらいまでが城域である。吹きっさらしの山尾根の北側に削平地を穿って土塁を作り北風を防ぎ、小屋掛け出来る場所を設けた工夫が見られる。

虚空蔵山頂上
三角点のある頂上は主郭ではないので注意。

虚空蔵山城主郭付近
主郭は西尾根へ80mほど下がった場所で石の祠が置かれている。

虚空蔵山城東主要部
主郭から見た東側の頂部。

kokuzou (53)
上杉軍はここに交代で見張りを置いて上田城の築城を監視させ、和合城経由で海津城に状況を逐次報告していたのであろう。

虚空蔵山からの遠景①
遠く塩田方面まで見渡せる絶好のロケーションである。

虚空蔵山からの遠景②
北信濃方面も良く見渡せる。

上田市の北側に屏風のように聳える虚空蔵山。ここの山城群に対抗すべく大大名の徳川軍の力を借りて上田城が完成するのである。

この時徳川家康は、昌幸と約束した諏訪、甲斐における加増の約束を履行しないばかりか、事もあろうに沼田城の引き渡しを真田に命じ、反発した昌幸から断交される。そしてまさかに自分の築いた上田城を攻める立場になるとは思っていなかったでしょう・・・。

葛尾城よりの遠景

徳川に手切れを通告した真田昌幸は上杉に再度臣従を誓い、第一次上田合戦後はその功績によって景勝より坂城の知行を加増された。合戦で大きく破損した上田城の修築は上杉軍がメインで修築し、葛尾城や虚空蔵山城は真田によって改修されたという。引き続き上杉方の対徳川の最重点拠点として上田城とその周辺の山城が強化されたのは言うまでもない。


≪虚空蔵山城≫ (こくうぞうざんじょう 御殿城)

標高:1076.9m 比高:647m
築城年代:不明
築城者・城主:村上氏、武田氏、上杉氏、真田氏
場所:上田市塩尻(坂城町との境)
お勧め度:★★★★☆ 
所要時間:片道125分 駐車場:無し。迷惑がかからぬよう適当に路駐
※オフロードの四駆なら高津屋城のすぐ北側まで行ける。
見どころ:周辺の村上連珠砦も併せて見ると良いでしょう。車2台でデポして和合城まで縦走するのが効率的。
注意事項:登山です。それなりの準備と体力と心の準備は必要。縦走して見るなら5時間は覚悟。岩登りあり足元注意。
参考文献:「信濃をめぐる境目の山城と館③上田小県編」(宮坂武男著 2013年 戎光祥出版)

虚空蔵山城②
堀切の脇にある石祠。








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Posted on 2016/03/16 Wed. 07:46 [edit]

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コメント

天空から押えられては

根っからの流行嫌いと、原作者への嫌悪感から、そのドラマはみていない頑固者です。
ドラマの話はわかりませんが、煙、和合、虚空蔵山は行かねばなりますまい。駒沢主税討死地を探ってみたいです。表立っては真田の上杉帰属は天正13年ということになっていますが、虚空蔵山城を上杉に押えられた時点で、内々には真田は上杉に屈服したとみたほうがいいのではないでしょうか。オフロードの四駆で高津屋城のすぐ北側まで行くにはどこから侵入したらいいのでしょうか。車幅はどれ位まで許容でしょうか。オフロードの二輪はいかがでしょうか。

えいき #- | URL | 2016/03/16 23:39 * edit *

Re: えいき様へ

喰わず嫌いでございますか・・(笑) チョッとデフォルメはあるものの、平山さんや丸島さんがキチンと時代考証を担当しておりますので今までの大河よりは遥かに史実に対して真面目に取り組んでいる印象があります。特に内野聖陽家康の芝居は毎回楽しみでございますw

虚空蔵山の高津屋城裏手への林道アクセスですが、坂城町南条地区より菖蒲平林道が入っています。林道までの町道はチョッと狭いのですが、5ナンバーの小型乗用車程度なら問題ありません。「老人ホームさかき美山園」を目指し、その脇の林道を上がります。道は荒れていないし轍や凸凹、藪も無いので快適です。※老人ホームは⇒http://yahoo.jp/5eOtvk を参照。オフロードバイクももちろん大丈夫です。
高津屋城へは⇒http://yahoo.jp/YOS7uK に車を止めて稜線の登山道に出ます。東へ進み鉄塔脇からから南斜面の次の鉄塔への保安道を進めばケムリの城へも行けます。林道を終点まで突き当たると⇒http://yahoo.jp/fdzaPA 菖蒲平(勝負平)経由で和合城に行けますが、下って登るので疲れます(笑)
ご武運を! 不明な点があればお問合せください。

らんまる #- | URL | 2016/03/17 07:45 * edit *

燃えてきました。ありがとうございました。

えいき #- | URL | 2016/03/17 07:55 * edit *

Re: えいき様へ

燃え尽きないように・・・・・(笑)

らんまる #- | URL | 2016/03/17 15:10 * edit *

すごーいすごーい

こんばんは、らんまるせんせ。検索した人、はーい。
すごいですね。こんな所をさらっと会話してたんですね、ドラマで。
私がよいしょよいしょと登った城跡と景色が全然違いますわ。さすが信濃。手前のお城でもすごいなーと思うのに、背後の山のてっぺんにもこんな物凄いものがあるとは。
登るらんまるせんせもすごいです。
山男の浪漫ですわ、もう。おじょーちゃんは、こちらの記事で満足です。
ドラマで現場が出るといいなー。

つねまる #pjmS0te2 | URL | 2016/03/17 18:50 * edit *

Re: つねまる様へ

当初上田城は、上杉方の虚空蔵山城を攻略する徳川方の拠点として築かれたが、真田パパ幸の支配する沼田城の北条への割譲問題をこれ以上先延ばし出来なくなった家康が真田に下賜することで決着を図ったと云われています。
昌幸はまんまと上田城を手に入れ、家康より上野国の岩櫃と沼田の引き渡しを命令されると、「徳川方に味方し北条を駆逐した際の恩賞である諏訪郡の加増、甲州に千貫文の所領加増の約束も履行されないのに、我が武力で所領してきた岩櫃・沼田を北条に引き渡せとは到底納得出来るものではない」として「家康を主君として仰ぐものか!」と吐き捨て断交しました。
表向きはそんな感じですが、水面下では上田築城と同時に上杉への帰属について粘り強く1年間交渉を続けていた訳ですから凄い忍耐力と演技力でございますw

そんなことはどうでも、往時の上田市と坂城町は荒れ狂う千曲川と険しい虚空蔵山の峯によって完全に隔離されており、軍勢を通すルートは対岸の奥まった室賀峠経由の道か真田の郷から地蔵峠を越えて松代へ抜けるだけでした。虚空蔵山城を奪われると、北信濃の海津城の維持はかなり危うくなるので景勝は上田築城を何としても阻止しようと必死で、家康は築城を急がせる為に松本の小笠原貞慶に上杉方の麻績城攻めを命じています。

上田市にそんな険しい山城があった事はあまり知られていないので、今回のドラマで取り上げてもらえて嬉しく思います。だけど馬で攻めちゃダメでしょう。しかもあんな立派な城門もダメでしょう。まして重臣の兼続さんが来るわけもない・・・(笑)

らんまる #- | URL | 2016/03/17 21:59 * edit *

あの、私はさっぱり戦国の知識がないのですが、よく會田(会田)の城と書かれている虚空蔵山城とは別のものなのですか?良かったら御教示下さい。
私は會田、海野の子孫と伝わってる家の者です。信州には一度も行く機会がなかったので、いつかはと思っています。
戦国には関心なかったのですが、真田丸が面白すぎてようやく関心が出て来たところです。

時さん #oely/y8c | URL | 2016/03/22 01:18 * edit *

Re: 時さんへ

コメントありがとうございます。

「虚空蔵山城」という名の山城は結構多くて、佐久市にも武田の狼煙台と伝わる砦があります。
会田虚空蔵山城は松本市四賀地区会田にある山城で、場所は⇒http://yahoo.jp/EgKWvHにあります。ここもスケールの大きな城砦で、頂上の尾根一帯は「峯の城」、中腹には「中ノ陣城」「秋吉砦」が展開しこちらも複合的な構成になっています。
鎌倉時代に小県郡の海野一族が会田地区にを治め「会田海野氏」を名乗り麓に居館を構え、詰めの城として虚空蔵山に砦を築いたのが始まりと伝わります。会田氏は室町時代に信濃国主の小笠原長時の家臣となりますが、武田の信濃侵攻に際しては武田に降りました。武田が滅び、天正壬午の乱が勃発すると上杉景勝に従うのですが、徳川家康の後ろ盾で深志(松本)に復帰した小笠原貞慶(長時の息子)に攻められ滅亡してしまいました。(この時、生き残った一族は武州に逃れたと伝わります)

現在の会田虚空蔵山城は、会田海野氏(途中から会田岩下氏に代わる)が独力で築いたものとは考えにくく、その規模や縄張から武田が改修したのではなか、と推定されています。
登山道も整備されておりますので、信州へお越しの際は是非お立ち寄りください。


らんまる #- | URL | 2016/03/22 07:42 * edit *

ご親切に詳しくありがとうございました。
勉強になりました。
いずれぜひ信州に行ってみたいものだと思います。

時さん #oely/y8c | URL | 2016/03/26 18:32 * edit *

Re: 時さんへ

浅学ゆえ、あまりお役に立てず申し訳なく思っております。
ふるさと信濃は大好きなので、これからも信濃に地域密着したブログを発信していこうと思っております。

そんなこんなで信濃でお待ち申し上げておりますw

らんまる #- | URL | 2016/03/27 00:15 * edit *
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