らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0325

室賀氏墓所 (上田市上室賀)  

◆室賀ロスはいつまで続くのか・・◆

上半期の真田丸的流行語大賞は「黙れ、こわっぱ!!」で決まりでしょう・・・(笑)

しかし、もうそのセリフが聞けないのはとても残念。そんなムロガーロス状態の貴方のために室賀氏の墓所をご紹介。

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五百年前、室賀盛清によって開かれたという前松寺。三度の火災で焼失するも住職や寺の檀徒によって再興され今日に至る。

真田昌幸によって室賀氏当主の正武が謀殺されると、室賀氏の領地は真田の領土として併呑された。これにより小県郡は全て真田領として統一されたのである。

この時より室賀一族は真田氏に仕えるもの、徳川を頼って甲斐に落ち延びたもの(のちに旗本に取り立てられた)等分かれたとされる。
現在の室賀地区には室賀家は存在しない。信之の松代移封に伴い、松代へ移住したようである。
※上田市の富士山には室賀姓が残っているが、正武の正室の実家だとされるが、定かではない。

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室賀氏の史跡保存の為に110年ぶりに整備された室賀氏の墓所。地元の方の熱意には頭が下がります。

実は、室賀氏の墳墓は前松寺ではなく、毘沙門堂の旧地(所在不明)にあったものを、江戸時代に徳川の幕臣となった室賀氏が佐渡奉行から役替えの帰り道に先祖の墓参りをした際に、村で前松寺の裏山に移し祀ったとされている。

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宝篋印塔、五輪塔など五基が村人の努力により現地に現存する。

地元の郷土史研究家の西沢氏によれば、笹洞城も室賀氏の墳墓も原畑城(室賀氏居館)からは鬼門(北東)に位置しているので、鬼門除けだろうとしている。
それが事実だとすると、笹洞城の大手は南尾根であり、室賀水上神社からの道は鬼門となり大手筋とは考えられない事になる。

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重厚な山門。地元出身の佐藤清五郎の作といわれる彫刻も残っている。

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神社仏閣の趣味には100年早いようだが、竜の「阿吽」彫刻はこれなんだろうなあー、とは一応分かるような気がする・・(汗)

室賀氏の家紋は「丸に上」で、主家である村上氏と同じである。(分流の屋代氏も同じ)

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本堂の屋根には家紋が記され、室賀氏が開基である事を物語っている。

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室賀氏の墓所は寺の裏山にある。(誘導看板あり)

前松寺より、笹洞城のあった下洞山を見ると、結構険しいのがわかる。

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天文二十二年、武田信玄の小県侵攻に際し、村上方であった室賀氏は屋代氏と共に村上義清を見限り、武田方に降る。退路を断たれる危険を察知した義清は葛尾城を諦めて越後に退去した。

真田パパ幸に謀殺された室賀正武の墓所は今もって不明である。平山優センセも探索されているようであるが、全くもって分からない。郷土史研究家で室賀墓所の改修に携わった西沢氏ですら、わからないとの仰せである。

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前松寺の本堂。


≪室賀氏墓所≫

標高:620m 比高:20m
築城年代:不明
築城者・城主:室賀氏
場所:上田市上室賀
訪問日:2015年3月
お勧め度:★☆☆☆☆ 
所要時間:3分
見どころ:特になし
周辺の城跡:原畑城、伊勢崎城、跡部城、三水城、狐落城、浦野城、岡城など
注意事項:特になし

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Posted on 2016/03/25 Fri. 23:19 [edit]

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コメント

ほんとうにムロガーロスです。
今回から出ないと思うと寂しいですね。
先週の囲碁のシーンが凄く良かった。
(そのあとのきりさんで色々吹き飛んだけど・笑)

今回、時代考証の一人が平山先生なので大船に乗った気持ち?で視聴してます^^
こうして見ると地元にとって室賀氏の存在は小さくなかったんですね。
拍手☆彡

時乃★栞 #- | URL | 2016/03/27 14:08 * edit *

Re: 時乃★栞様へ

室賀氏は屋代氏と共に村上義清の被官であり、武田支配下においても小県にかなりの所領をもっていたので真田に対しても対等の自我は強かったと思われます。沼田問題で家康の弱みを握ったパパ幸は上田城の築城を進言しまんまと家康から貰い受けます。家康の直臣ではないので「城代」ではなく実効支配。この辺がパパ幸の勘ピューターの凄いところでしょうか。

小県郡(ちいさがたぐん)の地場固めには室賀氏は邪魔でした。徳川の調略を想定していた真田にとって、室賀氏を逆賊として成敗するのは小県の統治の正当性を世間に誇示する機会となりました。

室賀亡き後しばらくは「家康と愉快な仲間たち」と「気弱な景勝と気難しい兼続」がしばらく楽しませてくれるでしょう・・(笑)

らんまる #- | URL | 2016/03/27 20:59 * edit *

依田さん

室賀さんがここまで受けるのでしたら
依田信蕃さんを坂本龍馬風な快男児で描いても
面白かったかなあ~なんて気がしています。

ところで、勝頼さんの功績なのかわかりませんが
BSで武田信玄の再放送始まりますね。

丸馬出 #- | URL | 2016/03/28 06:08 * edit *

Re: 丸馬出様へ

室賀正武、屋代秀正、依田信蕃を並べた時に、真田信繁から見た優先順位で決まりでしょう。
大久保忠世が出るなら依田信蕃は不要となるのは必然かと。
まして天正壬午の乱が中心のドラマではないので、小県の国衆の苦悩であれば、室賀氏が最適でしょうネ。

新田次郎原作の「武田信玄」は小生が戦国時代へのカムバックの動機になりました。懐かしい・・・(笑)

らんまる #- | URL | 2016/03/28 20:23 * edit *

ありがとうございます

「初めまして!」なのか、以前コメントで少しからんだことが、あおありでしょうか。

私も「真田丸」を毎週1回ですが、見ております。らんまる様のように3回は見ないです(笑)

室賀正武の墓どころか、信玄時代の室賀信俊(長篠合戦当日もしくは数日後死去)の墓も正確には分かっていないような・・・。

私は真田昌幸・幸隆は嫌いでないです。結構好きです。

では、またコメントします。





室賀 隆幸 #.8bT96/M | URL | 2016/03/29 11:48 * edit *

Re: 室賀 隆幸様へ

以前に「武蔵の五遁」様の繋がりでご来場頂いたと記憶しております。
遠路はるばる再訪いただき、ありがとうございます。

ドラマが始まる前までは、てっきり室賀正武・満俊の兄弟で海津城副将であった屋代秀正の出奔が描かれると思いきや、真田の目線では秀正よりも正武のパパ幸暗殺未遂事件にフォーカスが当てられていたので三谷劇場には感服した次第です。

相変わらず今回の大河ドラマに痛烈な批評を寄せる歴史研究者もいるようですが、関わらないのがよさそうです・・(笑)
素直に「真田が国衆から大名への生き残りを賭して駆け抜けた強烈な戦国時代」として先入観無しで観ると傑作ですよネ。

らんまる #- | URL | 2016/03/29 20:17 * edit *

私も真田丸見てますよ。録画含めて3回は見ます。
室賀正武、凄惨な最後でしたね。一突きで終わりかと思っていました。

私は最近久しぶりに松川町の大島城へ行ってきました。
本丸北側は眼下に天竜川が蛇行し、いつ見ても迫力があります。
井戸の近くには大島家と福興家のお墓がありますが、
大島家と言うのは大島城を築城した大島氏と関係があるのでしょうか。
家紋は丸に大の文字でした。

大島城は南信濃に残る武田氏の貴重な城ですので、
松川町はツツジ公園から方向転換し、戦国の形に戻していただきたいものです。
戦国ブームですので、大島城を全国にアピールした方がいいのでは。
そう感じました。

長野ロマン #- | URL | 2016/03/29 22:47 * edit *

Re: 長野ロマン様へ

コメントありがとうございます。

大島城は武田流の縄張りを今日に残す貴重な史跡で、町指定史跡のレベルではないと思います。残念ながらマレットゴルフ場や公園化による改変を受けていますが、これ以上破壊が進まない事を祈るばかりです。最近、上野南本城が県指定史跡となりましたが、大島城も早急に指定すべきでしょうネ。

大島領は片切氏の分流である名子氏と大島氏が知行していて、初期の大島城には大島氏がいたようですが詳細は不明。元亀二年(1571)三月、信玄は飯田城代秋山信友に大島城の普請を命じている。この時の大改修により大島城は現在の武田流の縄張りを持つ大城郭に生まれ変わり、飯田城と共に伊那地方統治の拠点となっています。
松川町もお隣の高森町ぐらいに古城整備に熱心になっていただけるとうれしいのですが、自治体により取り組みに温度差があるのは何処も同じようです。

らんまる #- | URL | 2016/03/30 07:44 * edit *
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