らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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葭雰神社物見 (長野市七二会)  

◆川中島と戸隠を結ぶ山岳間道の物見か?◆

川中島の北を流れる犀川と裾花川との間には、陣場平山(1258m)を中心とした深く険しい山塊が壁の如く立ちはだかり、戸隠方面との往来はかなり厳しいものであったという。

だが、その立地故に多くの山城や物見砦、しいては逃げ込み城的な城も多く点在していたという。
今回ご案内するのは、陣場平山の北東800mにある「葭雰神社物見」(よしきりじんじゃものみ:名称は宮坂武男氏の仮称である)

葭雺神社物見 (1)
地蔵峠から林道坪根線を東へ向かうと神社への道標があるのでそこを右へ。(分岐から先は途中輪留めがあり車は入れない)

【立地】

長野市七二会から県道86号線に入り地蔵峠を目指す。地蔵峠から林道坪根線を東に入り陣場平山の脇を800m進むと葭雰神社(よしきりじんじゃ)があるので、そこが物見跡。陣場平山からも遊歩道があり道標もあるので迷う事はないが、林道の分岐から先は途中から輪留めがあるので徒歩で向かうのが良い。

ピークからの眺めは素晴らしく、戸隠や川中島平は一望出来る。ここから東へ800mで旭城(宮坂武男氏は記載無し)、さらに200m先の尾根に小野平城があり、南西2kmには萩野城がある。

IMG_3519.jpg
輪留めの先の分岐を右に登ると鳥居があり、ここからが物見跡と思われる。

葭雰神社物見見取図①
堀切一条の単純な縄張である。

葭雺神社物見 (5)
神社の勧進で郭は参道として改変されたかもしれない。

葭雺神社物見 (9)
神社手前に簡単な堀切。


【城主・城歴】

長野県町村誌にも記載がなく、口伝も伝わっていないのでここが城砦であったのかははっきりしていない。「七二村村誌」(昭和46年)では、「陣場平山の尾根続きの葭雰神社のある地は、明らかに山城の跡で、おそらく戦国時代に物見のトリデとして利用されたものであろう」としている。

葭雺神社物見 (8)
参道の途中に見晴らし台があるが、整備されなくなった為に樹木がj邪魔して長野市方面は良く見えない。

葭雺神社物見 (11)
堀切を越えた一段高い平地に葭雰神社がある。


【城主・城歴】

犀川流域と裾花川流域を結ぶ古道でピークの地蔵峠に面している。陣場平山の山脈は古くから霊山として山岳信仰されてきた場所で、葭雰神社は飯綱山の前宮とされている。
付近には萩野城、旭城、小野平城が詰め城または狼煙台として利用された中で、ここの場所がどのように使われてきたのか不明。
縄張りも明確でなく神社が勧進される前はおそらく自然地形を多少削平したに過ぎないと想像してみる。
ただ、ここからの眺望は優れているので軍事的緊張が高まっていたころには度々使われたのかもしれない。

葭雺神社物見 (14)
古墳の石室を思わせるような場所に安置されている社殿。祭神は「保食神」(五食の神)で、俗称は「飯綱様」。

葭雺神社物見 (16)
社殿の背後は緩やかな傾斜地となり北東の尾根伝いとなる。

葭雺神社物見 (27)
北東尾根には隣接する村との入会地の権利を巡って争いとなり敗訴し処刑された地元の義民を祀る慰霊碑が建っている。

●ここからの視界の良さに圧倒される

ここから至近距離にある現在の朝日城や小野平城も訪問したが雑木林が視界を遮り、往時の風景は偲ぶことすら出来なかったが、葭雰神社からの見晴らしは素晴らしい。物見砦と呼ばれる所以であろう。

葭雺神社物見 (24)
戸隠の城砦群が手に取るように分かる。

葭雺神社物見 (23)
現地で攻め入った砦なので、風景から位置関係がバッチリ読める。(鬼ヶ城は未訪です・・・汗)

戸隠方面の写真を見て同感いただけるのは「あおれんじゃあ様」ぐらいかしら・・・(笑)

葭雺神社物見 (21)
川中島方面は写真ではちと厳しいが、文句なく監視出来る場所である。

葭雺神社物見 (28)
神社から約50m北に進むと城域の最終になる。この先はなだらかに下る山道(犬戻りの坂)が続き朝日城に至る。

県道86号線は小型乗用車でも通行出来るが、対向車とのすれ違いは結構リスキーなので慎重なハンドルさばきで通行願う。地蔵峠から東に走る「林道坪根線」も途中の葭雰神社との分岐も含めて小野平城や朝日城のある坪根峠までは舗装路ではないがある程度整地されているので小型乗用車での乗り入れも可能である。(車高の低い車は避けた方が無難)

IMG_3515.jpg
桃源郷のような戸隠が一望できるのはこの場所だけである。


≪葭雰神社物見≫ (よしきりじんじゃものみ 葭雰神社砦)

標高:1250.5mm 比高:500m(坪根集落より)
築城年代:不明
築城者・城主:不明
場所:長野市七二会坪根
訪問日:2015年9月23日
お勧め度:★★☆☆☆ 
所要時間:林道の分岐点より10分
駐車場:林道脇に路駐するか坪根峠駐車場に止めて朝日城経由での探訪
見どころ:景色と社殿
周辺の城跡:萩野城、朝日城、小野平城など
注意事項:特になし。
参考文献:「信濃の山城と館②更埴・長野編」(宮坂武男著 2013年 戎光祥出版)

円光館 (23)
戸隠の円光寺館跡から見た葭雰神社物見。結構目立つ山なのである。

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Posted on 2016/05/11 Wed. 22:22 [edit]

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コメント

素敵な景色♪

こんばんは、らんまるせんせ。
よしきり神社、たいへん好物でございます。石積の上に土が被されているようですが、ほんとに古墳のような不思議な形のお社ですね。
神社に夢中になると、堀切が結界に見えてしまいます。
らんまるせんせのように自分の足で訪れると、景色のひとつひとつがよくわかってさぞかし面白いでしょうね。いいなぁ。

つねまる #pjmS0te2 | URL | 2016/05/12 19:24 * edit *

同感じゃあ!

こんなところに行くのは、宮坂センセイと俺と貴殿!
まあそんなもんでしょうね。あの場所に立ってこそ、なんの使命を持った城なのか理解できますね。
価値は遺構ばかりじゃないですね。
あののどかな絶景にも緊迫した時があったというのも今一つピンと来ません。
しかし、当時の人、あんな険しい山中を歩いてここまで・・・そんな時代だったんですね。
今は車であそこまで行けるけど、けっこう怖い。
小野平城方面に向かう途中、俺の車の前に拳大の岩が転がり落ちてきましたわ。
それから正面から車が来て・・・すれ違いに難渋。多分、山菜採りかな?

あおれんじゃあ #- | URL | 2016/05/12 20:10 * edit *

Re: つねまる様へ

長野県内でも珍しい形の社殿なので、チョッとビックリ・・・(笑)

信玄さんが侵略する前の北信濃は「戸隠山」「飯綱山」「小菅山」の三大山岳信仰のメッカとして全国的に名を馳せており、山伏や信者が集う特別な場所であったとされています。
信玄も謙信も宗教勢力の取り込みには熱心でしたが、反抗勢力は徹底的に叩いたので、飯綱山も小菅山も荒廃し、辛うじて残った戸隠山も小川村に疎開する受難の日々となりました。

信濃の戦国時代を語るには宗教との関連調査は必須なのですが、「ちんぷんかんぷん」でどうしたものかと・・・(汗)

らんまる #- | URL | 2016/05/12 20:54 * edit *

教えてください

初めまして
つねまる様からご紹介いただきました。
天正10年の望月城落城の折り、脱出した人物について教えていただければありがたいのですが。
名前は「宮内将監・望月直義」
本当に実在していたかどうかはわかりません。
もしよろしかったら私のブログ「力石に魅せられて」を見てください。

雨宮清子(ちから姫) #- | URL | 2016/05/12 22:49 * edit *

Re: あおれんじゃあ様へ

七二会、中条、戸隠、鬼無里、小川・・・・信州の隠れ里のような場所にも否応なしに戦国の世が押し寄せました。
陣場平山を中心とする屏風のような山脈があればこそ、戸隠三千院は修験者の元締として栄えたのかもしれませんネ。

それにしてもすれ違いもままならない地蔵峠への道は何度通ってもハラハラドキドキものですネ。犀川や裾花川の往時は治水なんて事業がないので、梅雨や台風で増水したら河川沿いの道など通れないので、山道のが遥かに安全だったのでしょう。
平野部の暮らしに慣れた現代人には、山道が普通の生活道路だったなんて想像も出来ません・・(汗)
鄙びた山村を通過するたびに、今度通るときは廃村になっていないだろうか?などと余計な心配をしてしまうこの頃ですw

らんまる #- | URL | 2016/05/13 07:32 * edit *

Re: 雨宮清子(ちから姫)様へ

初めまして。

何しろ土木作業構築物がメインで城主・城歴は二の次的な扱いをしておりますので、天正十年の望月氏の最後の当主までは調べたとしても、落城の際に落ち延びた一族までは残念ながら存じておりません。

それでもそのような回答ではせっかく紹介で来られた方に失礼かと思い、小生が時々閲覧し参考にしているサイトがありますので、ちょっと覗いてみました。
確かに信雅の後継で最後の当主であった昌頼には兄弟として直義の名が見えます。

参考サイト「武家家伝」⇒http://www2.harimaya.com/sengoku/html/motizuki.html

昌頼は黒坪(上田市の神川沿いの地籍名で現在の蒼久保辺り)で落ち武者狩りの土民に討ち取られたようですね。
望月氏の末裔が徳川の世を忍び現代まで続いているとすれば、それもまた凄いストーリーだと思います。

貴殿のブログも狭く深く特化しておりますね。素晴らしい事です。今後の益々の精進を願っております。

らんまる #- | URL | 2016/05/13 17:59 * edit *

らんまる様
ありがとうございました。

雨宮清子(ちから姫) #- | URL | 2016/05/13 20:56 * edit *

こんばんは。

目が覚めるような、素晴らしい眺めですね。
これは神社から見た風景なんですよね。
『地元の義民を祀る慰霊碑』
これは、この場所で処刑されたんでしょうか。
それとも、慰霊碑だけをここに建てたんでしょうか。
昔は、こうやって命を投げ打って訴えるお百姓さんが多いんですよね。
自分なら、とても考えられないことだけど。

万見仙千代 #YR4Ixzf2 | URL | 2016/05/13 21:07 * edit *

Re: 雨宮清子(ちから姫)様へ

お役に立てず、申し訳ありませんでした。

「力石」にまつわる日本全国の各地の伝承を検証していただき、後世に伝えて欲しいと願っております。
ご活躍を影ながら応援しております。

らんまる #- | URL | 2016/05/13 23:11 * edit *

Re: 万見仙千代様へ

小生の自宅の近くは隣村との境になるのですが、田んぼの水利権を巡る争いは熾烈を極めていたために、何百年経過しても「先祖の受けた田畑の水の引き込みに関する恨みは忘れない」というお年寄りの苦労話を何年か前に聞いた記憶があります。

山の権利(入会権)についても水利権と同様だったらしく村人にとっては死活問題だったようです。
何処を目印に境を決めたのか難しいものがあります。
それにしても人間というのは争い事の好きな悲しい動物ですネ。

らんまる #- | URL | 2016/05/13 23:59 * edit *
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