らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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新海三社神社 (佐久市臼田)  

◆「神社の宝庫である」として、廃仏毀釈の静粛を免れた奇跡の三重塔が鎮座する由緒正しき神社◆

どう悪あがきしても神社仏閣の専門の方には及ばないのは仕方がないので、素人なりの視点で取材をしてみた・・(汗)

佐久市臼田のミニ五稜郭として有名な龍岡城跡の近くにある新海神社が、歴代の戦国武将の庇護を受けた著名な神社と知ったのは最近の事であった。

明治時代の廃仏毀釈の嵐の中で、併設する神宮寺は解体され南300mの上宮寺に移転統合、三重塔も解体の危機に瀕したが、神社側が「代々新海三社神社の宝物庫(倉庫)である」として難を逃れたという。
「嘘も方便」で貴重な文化財が救われたのである。

新海三社神社 (27)
豪快な「一の鳥居」。参道の途中まで車が入るので誘導看板に従って神社西側の駐車場に止めると良い。

新海三社神社 (26)
立派な杉並木の残る参道。源頼朝を始めとした歴代武家に保護されてきた証である。

【新海三社神社について】

※出典元⇒佐久市ホームページ新海三社神社

新海三社神社は、その創建は不詳ながら、興波岐命(おきはぎのみこと)を主神として東本社に祀り、その父神・建御名方命を中本社に、伯父神・事代主命を西本社に祀ります。
特に興波岐命が、新開神(にいさくのかみ)とも称されることにより、「佐久」の地名の由来ともいわれるほか、諏訪湖の御神渡の「佐久の渡」は、興波岐命が湖上にて父神とご参会された跡とされています。

新海三社神社 (1)
駐車場腋に立つ神社境内周辺の見取図。

古来佐久三床三十六郷の総社と言われた新海三社神社は、広大な社地を有し、境内の古墳からは蕨手刀(わらびてとう)が出土や、武神としても崇敬あつく、源頼朝による社殿の修理再興の口碑、武田信玄が箕輪城攻めの際における戦勝祈願の願文も残されています。
入口の大きな鳥居をくぐると遠くに大ケヤキと大スギが立ち並ぶ参道が薄暗い木影を落とし心地よい風が吹き抜けます。
その先の石段を上ると、拝殿が正面に見え、その脇には神楽殿があり、非常に静かな佇まいは、とても落ち着いた雰囲気を感じさせてくれます。

新海神社2 (12)
拝殿に続く石段。

新海神社2 (14)
丸っこいチビッ子たちがお出迎えです。

新海神社2 (15)
愛嬌たっぷりの表情を見せてくれます。

拝殿と神楽殿は共に木造の簡素な装飾で、大きな社叢の中に静かに鎮座しているように見えます。
拝殿後方には、西本社、中本社、東本社の三つの社殿が並んで建っており、素木で作られた拝殿の質素な雰囲気とは一変し、西本社と中本社は朱と彫刻が見事な流造となっています。
また、西本社と中本社の間には、御魂代石(みたましろいし)の石幢(せきとう)があります。

新海神社2 (18)
拝殿。

新海神社2 (19)
拝殿の東に位置する神楽殿。

新海神社2 (22)
朱色が並列する西本社と中本社。

新海神社2 (26)
西本社と中本社の間の「御魂代石(みたましろいし)」の石幢(せきとう)。

新海神社2 (58)
社殿の背後から見た「御魂代石」。結界より内側には入れないが、龍の彫刻が彫られているのが確認出来る。

新海神社2 (56)
「御魂代石(みたましろいし)」の真北には層塔が建つ。何かを意図している事だけは感じ取れる・・・。

一番右の東本社は一間社流造(いっけんしゃながれづくり)・桧皮葺(ひわだぶき)で、母屋の柱貫木鼻(はしらぬききばな)の笹模様などに時代的な特徴が示され、国の重要文化財に指定されています。
当社の奥には、室町時代末の永正12年(1515年)の建造物で、東社と共に国の重要文化財として指定された三重塔があり、その建築様式は三間三重塔婆(さんけんさんじゅうのとうば)・柿葺(こけらぶき)で、禅宗様と和様を折衷した建築当時の特性をよく示しています。

※以上、佐久市のホームページからの引用転載終了

新海神社2 (32)
室町期の独自の美しさを表現している東本社。(背後は三重塔)

新海神社2 (64)
元々は敷地内にあった神宮寺の建物だったが、明治の廃仏毀釈運動で取壊しの対象となる。しかし、新海三社神社側が「の宝庫と申告して破壊を免れた三重塔。

新海三社神社 (20)
背後から見た三重塔。


【信玄の願書について】

永禄八年(1565)、武田信玄は上州箕輪城の攻略における先勝祈願の願文を新海三社神社に奉り見事勝利をおさめている。
その時の願文の文面は以下の通りであったという。

「今年永禄八年乙丑春皇二月七日、えらびて吉日良刻となし、天道運数に任せて吾が軍を上州箕輪に引率するの日、まず願状を新海大明神祠前に献ず。その意趣は、殆んど箕輪の城十日を過ぎず撃砕散亡せんことは必せり。それ当社は普賢菩薩の垂跡なり。人の願轂に来り苦を救い難を救う。しかのみならず、細軟の衣を鎧となし、瓔珞冠を甲となし、如意鉄を干戈となし、大白象を駿馬となし、百億の化身みなぎって吾が方に満たば、迂誕なかるべし。ここに太刀一腰(銘あり)・孔方五今緍進納せしむるところなり。神感なお余りて惣社・白井・嶽山・尻高等の五邑、たやすく予が掌握に帰さば、苾芻衆(僧侶)を請じ神前に於いて三百分部の法華経王を読踊し、もって神徳に報謝すべし、急々律令の如し。

時に永禄八年乙丑二月吉辰 信玄敬い白す (花押)」

箕輪城2016(高崎市) (237)
願文によって上州箕輪城の攻略に成功した信玄。ちゃんと願掛け成就のお礼はしたと思うのだが・・・。


【廃仏毀釈運動により移転統合を余儀なくされた神宮寺】

明治元年、明治新政府は「王政復古」「祭政一致」の理想実現のため、神道国教化の方針を採用し、それまで広く行われてきた神仏習合(神仏混淆)を禁止するため、神仏分離令を発した。

仏教排斥という誤った考えが引き起こした廃仏毀釈運動は全国に広がり、新海三社神社の別当寺であった神宮寺(本号:新海山上宮本願院神宮密寺、本尊は阿弥陀如来)も、神社の南300mに移転を余儀なくされ名前も「新海山上宮寺」と変えたようです。
※この時に三重塔は神社の宝庫として解体を逃れた。


●新海三社神社に残る神宮寺の跡地

神社の東側に広大な敷地跡があり、一部往時の石垣が残る。
現在は竹林に覆われ、往時の姿は不明となってしまった。

新海神社2 (34)
現存する石垣。

新海神社2 (36)
仁王門や堂宇を含めた伽藍があった跡地。

●現在の上宮寺

神宮寺からの移築物としては、南北朝初期の作である梵鐘、室町時代後期の作とされる金剛力士像が残る。(いずれも県宝)

新海神社2 (80)
何の変哲もない上宮寺の本堂。

≪梵鐘≫

南北朝時代初期の作で、鎌倉寺㋐ぢの風格を保っている点、県内でも数少ない貴重品で、鐘身高約70cm、竜頭高約17cm、口径約50cmである。
陰刻の銘文に暦応元年(1338)上州群馬郡高井郷(前橋市)に東覚寺(とうがくじ)の為に造られたとあり、のちの天文十二年(1543)に当地田口城主 田口左近将監長能(たぐちさこんしょうげんながよし)が、別当寺として神宮寺があった新海大明神に寄進したとある由緒来歴ある梵鐘である。(現地説明板より)

新海神社2 (78)
プアな鐘楼に貴重な県宝の扱い。これでいいのか?

新海神社2 (83)
鐘楼には登れないので、ズームで撮影。

≪金剛力士像≫

新海神社の境内にあった観音堂(本地堂)の仁王門としてあったが、慶応四年の神仏分離令によって、神宮寺の堂宇とともに現在地に移された。
構造は、檜材や松材を使った寄木造りで、躯間部は前後左右で接ぎ、体内は内刳り、頭部は耳の前で割り、玉眼を嵌(は)め入れている。
平成十九年の調査により、体内墨書銘から、造立が文明二年(1470)、仏師が大工祐得(ゆうとく)、小工伊賀寺雄真(いがじゆうしん)であることなどが判明した。

新海神社2 (70)
まさかこのようなミスボラシイ建物に仁王様がご在宅とは・・・・(汗)

新海神社2 (73)
逞しい阿形様

新海神社2 (76)
凛々しい吽形様

新海神社2 (81)
本堂との位置関係もおかしな仁王門の位置。扱いが酷すぎる。

こんな扱いしていたら長野県も笑われます。筋骨隆々の仁王様も湿気には弱いでしょうし・・・・(汗)
早めに改善を望みたい。今度、県の教育委員会に抗議しに行こう。




●おまけショット

新海三社神社の北側には三ヶ所の「御陵」(古墳)がある。ここまで見学する方はさすがに少ないが、小生、古墳マニアの端くれなので行ってみた。
本物のマニアは石室に入るらしいが、小生、「閉所恐怖症」であるとともに黄泉の入口みたいな羨道(せんどう・横穴式石室の入口部分)には怖くて入れない・・・(笑)

新海神社2 (60)
神社北側の中御陵(円墳)

新海神社2 (51)
中御陵の東50m付近には二基の東御陵。六世紀頃の方墳らしく復元作業が行われたようだ。

西側にもあるようだが、時間切れで断念。


≪新海三社神社≫ (しんかいさんしゃじんじゃ)

標高:810m 比高:-
造営年代:不明
場所:佐久市田口宮代
訪問日:2016年6月26日
お勧め度:★★★★★ (満点)
所要時間:-
駐車場:有り
見どころ:三重塔、拝殿、神楽殿、東本殿、西・中本殿など 上宮寺(旧神宮寺)はセットで必見。
参考文献:現地説明板
注意事項:特になし

新海三社神社 (8)
訪問したのが6月末だったので、夏越の祓の「茅の輪くぐり」。小生の厄は落としきれなかった・・(笑)



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Posted on 2016/08/11 Thu. 11:24 [edit]

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コメント

いつもお世話になっています!

「豪快な「一の鳥居」。」、私がこの地域に城めぐりした際にチラ見した記憶があります。
当時は神社仏閣にまったく関心がなかったのですが、この場所にこのような素晴らしい寺院があるとは知りませんでした。

埼玉県には良好な城館も少なく、自然と神社仏閣に傾倒する昨今です。
たいへん楽しく拝読しました。

「中世の有力者と神社仏閣と城館」というテーマで、新たな学問分野が興せそうな気がしますね!

まさはれ #iXQNhkLY | URL | 2016/08/11 20:42 * edit *

竜岡城近くに?

暑中、お見舞い申し上げます。
あの辺は出没してますが、この物件知らなんだ!
三重塔があったのか!古建築フェチとしては不覚でした。
でもさあ、ここそれほど紹介されていないような・・・
寺社も戦国武将と関わりがあり、奥深いですなあ。

あおれんじゃあ #- | URL | 2016/08/11 21:48 * edit *

こーまちゃん♪

こんばんは、らんまるせんせ。狛犬さん、かわいい♪子犬みたい♪

素晴らしいですねー!!いかにも室町な社殿も、そして残して下さった三重塔も。茅の輪横の巨木、すごいなー。
あさっての方向を向いてしまった仁王門は、ご愛嬌?慌てて移動したのかしら。
でも仁王様、余計な筋肉のもりもりがない分、とっても力強くて素敵。惚れちゃいます。
神仏分離の諸々はぼやかされる事が多いですが、神社に仏塔がある光景が貴重であること、忘れないようにしたいです。

古墳は冬がいいです。今だともれなく壁一面のカマドウマがお出迎えしてくれます。ええ、もう、パニックです。

つねまる #pjmS0te2 | URL | 2016/08/12 00:20 * edit *

Re: まさはれ様へ

この季節、何処へ行っても暑いのですが、神社の木陰でホッと一息。

日本史はいつの時代も宗教と密接な繋がりがあったはずなんですが、歴史を語るのもいつのまにか政教分離(笑)
そこを突っ込もうとすると神道や仏教のお勉強が必要になります。
万物に神が宿り、死んだら御仏の元へ・・・神仏習合は日本独自の世界観

小生はまだまだ神社仏閣など恐れ多くて語れませんが、そこに触れることで色々な時代の日本人の心を思うことが出来るような気がします。

いつもコメントありがとうございますw

らんまる #- | URL | 2016/08/12 09:01 * edit *

Re: あおれんじゃあ様へ

神社にある仏塔なので、あまり知られていないようですね。
当日団体さんが来てましたが、立派な三重塔に皆さん驚いてましたよ・・(笑)
古墳があったのは後で知り、その後もう一度見に行ってしまいました。

龍岡城が有名すぎるのと、神社まで大型バスが通れないのも知名度が低い要因でしょうか。
それにしても信玄さん、「十日以内の自落退散」って願文をそこらじゅうに出してます・・・(笑)

らんまる #- | URL | 2016/08/12 09:11 * edit *

Re: つねまる様へ

当日は狛犬フリークの方がやはり珍しかったようで、何枚も写真に収めてました。大事にされてきたんですね。

小生、この辺は龍岡城、田口城、勝間反砦なんかでしょっちゅう徘徊していましたが、この神社訪問は初めてでした。
神社に何で三重塔?という疑問は貴殿の記事のおかげで消化出来てました。感謝感謝・・(笑)
三重塔は宝庫で残りましたが、さすがに仁王様は言い訳出来なかったんでしょうネ。それでも破壊されずに近所への島流しで済んだのは不幸中の幸いだったと思います。

古墳は石室に入れるようにならないとマニアになれないようですが、あの閉塞された空間は苦手です・・(汗)

らんまる #- | URL | 2016/08/12 09:42 * edit *

こんばんは。
新海三社神社だわ!
昔は何回となく訪れたのに、最近はとんと行かなくなりました。
私の行動範囲も、本当に狭くなりました。
そんなことはどうでも良いんだけど、ここは本当に気持ちが清々しくなる神社ですよね。
裏の古墳、行ったけれど中にはとても入れなかった。
閉所恐怖症というか、中にうっかり入って崩れたら生き埋めだぁ!という恐怖心。
上宮寺も行ったけれど、おっしゃる通りなんの変哲もないチープなお寺さんですよね。
確かに、もっと保護してもらいたいと思います。
ここのお手水舎には、ワンコ用の容器が置いてあって、感激したのを覚えています。
秋になったら行ってみたいわ。
長々すみませんでした。

万見仙千代 #YR4Ixzf2 | URL | 2016/08/12 21:35 * edit *

Re: 万見仙千代様へ

この神社の事を知ったのは、取引先の方がご朱印収集の際に、この神社の「三重塔」にまつわる話をされた時でした。
神社に仏塔?・・・いつか行ってみたい・・でもこの場所、付近の城跡探訪で幾度となく訪れた場所のすぐ近くだった・・(汗)

古墳マニアが石室にへ入れないのは致命傷です・・(笑)
閉所恐怖症というよりは、死者の世界に対する畏怖の念があるからだと思います。
横穴石室の羨道は黄泉国の入口。この壁を越えないと、古墳マニアにはなれない・・・(汗)

それにしても新海三社神社と上宮寺。優良物件ですネ。是非再訪問なさってくださいませ。

らんまる #- | URL | 2016/08/12 22:02 * edit *

こんばんは~ご無沙汰してすいません。
夏バテとギックリ腰のダブルパンチでPC前に座るのが難儀してて、やっと先日復活しました。

>羨道
自分も怖いから入れない口です。

一の鳥居、三重塔、素晴らしいです。
ぷくぷくした狛犬も可愛い^^
仁王様の筋肉が自分好みなのが嬉しい。

貴重な神社、残って良かったです。
拍手

時乃★栞 #- | URL | 2016/08/14 23:03 * edit *

Re: 時乃★栞様へ

お返事が遅れに遅れて申し訳ございませぬ。

その後、腰痛の具合は如何でしょうか?
小生もヘルニア持ちなので、腰痛の苦しみは承知しておるつもりですが、養生してください。

石舞台古墳クラスの大墳墓の横穴石室ならなんとか入れますが、ハイハイしての入室はやはり無理です。
そのまま神隠しに遭って行方不明になりそうです・・(汗)

豪壮な柱落としの御柱祭りで有名な諏訪大社も神宮寺が同居していたのですが、廃仏希釈により悉く灰燼となりました。
明治政府も罪な法律を施行させたもんです。悔やみきれません・・。
神仏習合だから、庶民は死んだら黄泉の国ではなくて、仏様の元に行けるのが最大の幸福なんですw

らんまる #- | URL | 2016/08/16 19:29 * edit *
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