らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0903

木曽氏居館 (木曽郡木曽町福島)  

◆武田領の西端を守り続けた木曽氏の居館跡◆

記事は久々の木曽方面となる。

そう、某国営放送の大河ドラマ「真田丸」の第七話で、威張り三昧の田舎侍として登場した木曽義昌。人質となっていた信繁の祖母である「とり」に幼少名の「宗太郎」と呼び捨てにされ叱られた気弱なヤツといえば、何となく思い出していただけるであろうか・・・(汗)

今回ご案内するのは、武田氏滅亡の重大戦犯と言われ続け人気が全く無い木曽氏の居館跡。
家名存続をかけた木曽義昌の決断が非難されるのは何故なんでしょうかねえ・・。

木曽氏居館 (6)
現在の福島小学校が木曽氏居館の中心地だったという。

【立地】

福島城のある城山の南東の山麓が居館跡(向城 むかいじょう)である。木曽川へ黒川と八沢川が合流する所に木曽福島のまちがあり、木曽川の両岸の段丘上と山尾根上に多くの城砦、狼煙台があり、木曽氏及び後の山村氏の本拠地を形成している。

木曽氏居館 (7)
山村代官屋敷は木曽氏居館を更に拡張した広大な屋敷地であった。(写真は小学校に隣接する下屋敷)

【館主・館歴】

「長野県町村誌」に「木曽氏竝山村氏宅跡」として、「城山の麓、木曽氏の古宅跡、山村氏之に居住す。面積建坪一町五反九畝十一歩、外郭厩六畝二十七歩、馬場二反一畝、城山新建林一町、統計二町八反七畝八歩、木曽氏之を築くや、義元と云ひ、義康と云ふ。古記證すべきなし。伹殿守楼櫓の宏壮、木曽氏の建築ならむ。明治四年山村氏来地返上、悉皆破毀し田園と為す。曩者(さきの日)山村氏黒川を引て城山を囲繞し、向城用水と為す。其間二十六町。新開村平民、古畑惣右衛門、談兵を好み、築城の技に精し、山村氏選挙し之を督せしめ、文化十二年(1815)成る。之の陰地、水保ち難く溝廃す。明治三年之を復し、址田に灌ぐ。」とある。

木曽氏居館跡見取図①
木曽氏居館跡とその周辺。(yahoo地図を加工しています)

木曽氏の本拠は須原であったが、応永年間に親豊が小丸山城を築いて移り、以来木曽氏の本拠地となる。武田氏の木曽進入の時には、上之段城には義康が、其の子義昌は小丸山城を守ったが、義康父子は武田氏に降り、両城は戦火から免れた。その時の武田の陣城が向城とされる。
居館の造営の時期は、「木曽古道記」に「弘治二年(1556)義康新造ノ館善尽シ美尽シテ成ル(大川ノ西今山村氏ノ屋敷是ナリ)」とあり、弘治の頃に城山の福島城も築城されたと考えられている。

木曽氏居館 ①
福島小学校の校庭。木曽氏⇒山村氏と屋敷地であった。正面に火燃山狼煙台(ひともしやまのろしだい)が見える。

武田氏滅亡後、木曽氏と府中の小笠原貞慶との間に争いがおこり、貞慶の軍が福島まで攻め込み、上之段の館は焼かれ、義昌は向城の館に居館し守っている。天正十八年(1590)義昌は秀吉により下総に移封され、犬山城主の石川氏が木曽を支配する。木曽氏が改易になると木曽氏遺臣、千村氏・山村氏が木曽党を集めて家康に属して木曽へ乱入し、これを奪還し、その功績で山村氏は代官として以後維新まで木曽氏館跡に居住し、木曽を支配することとなる。

IMG_1411.jpg
居館跡から見上げる福島城。ここからの登城ルートが大手らしいが、道がハッキリしていない。

木曽氏居館 (16)
小笠原貞慶によって焼き討ちされたという上之段城の遠景。

木曽氏居館 (25)
段丘の先端にある小丸山城の遠景。

【館跡】

館跡に立つ「山村代官下屋敷」の案内看板には、山村氏は鎌倉幕府の大学頭大江氏の分流で木曽氏の重臣として活躍し、関ヶ原の合戦の前哨戦で功をあげ木曽代官として、木曽の山林、福島の関所を守り強大な権力を手中にする。屋敷は豪壮を極め、文政十一年の絵図によると、福島小学校を含む敷地に、庭園が二十あり、その一つが現存する下屋敷の庭とある。

この館は木曽義康の館に始まり、更に石川氏の代官が居て、その後山村氏が完成させたということになる。
山村氏の勢威は、その墓所を見ればいかに強大であったかが伺える。

木曽氏居館 (8)
説明板に掲載されている山村代官屋敷。壮大な屋敷地であったことが分かる。

木曽氏居館 (9)
下屋敷地には山村大明神なる稲荷社が祀られている。


≪木曽氏居館≫ (きそしきょかん 向城・山村代官屋敷)

標高:765m 比高:10m
築城年代:不明
築城・居住者:木曽氏、石川氏、山村氏
場所:木曽町福島
攻城日:2015年5月24日 
お勧め度:★★☆☆☆
館跡までの所要時間:- 駐車場:町営駐車場を利用
見どころ:山村代官屋敷(有料)
注意事項:小学校なので不用意に撮影すると通報される可能性あり。要注意。
参考文献:「信濃の山城と館⑦安曇・木曽編」(2013年 宮坂武男著 P441参照)
付近の城址:福島城、小丸山城、上之段城、火燃山狼煙台など

小丸山城 (13)
対岸の小丸山城から見た木曽氏居館遠景。

スポンサーサイト

Posted on 2016/09/03 Sat. 10:58 [edit]

CM: 4
TB: 0

« 小丸山城 (木曽郡木曽町福島)  |  栗田城 (長野市栗田) »

コメント

こんばんは。

武田氏の最期があまりに哀れだったので、木曽氏、穴山氏、小山田氏は、武田贔屓派の目の敵にされてしまっているんじゃないでしょうか。
私も、その一人で(笑)
木曽福島、学生時代に訪れ、とても静かな魅力的な町だった思い出が。
色々知識を仕入れて、また再訪してみたいと思います。
藤村の姉も、ここの旧家に嫁いだんですよね。
そのお宅を見た覚えがあります。高瀬家だったかな。

万見仙千代 #YR4Ixzf2 | URL | 2016/09/03 21:42 * edit *

Re: 万見仙千代様へ


何時の時代も歴史の勝者は敗者の歴史について変更を加え時には抹殺しようと試みます。
信玄の憎き生涯の敵であった村上義清の現存する自筆の手紙は3通しかありません。恐らく焼却されたのでしょう。

藤村の姉の園子は仰せの通り高瀬家に嫁ぎ、資料館は木曽福島の関所にございます。さすがの記憶力に脱帽ですw
「家」では「お種」として登場し「夜明け前」では「お粂」、「ある女の生涯」では「おげん」として描かれました。
藤村の身内に「心の病」に冒される方がいらっしゃった事は衝撃であり、藤村自身も姪と関係を持つなど血の濃さがその要因であることは容易に想像出来たものです。

偉そうに言っておりますが、「夜明け前」は2/3読んだまま中座しております・・・(笑)長編過ぎて飽きてしまいます・(爆)

らんまる #- | URL | 2016/09/03 23:35 * edit *

こんにちは~

旧武田領の人にすれば織田時代に酷い目にあって、その後の混乱。
武田時代の秩序が懐かしくて依怙贔屓が出てるのかも?^^

広い代官屋敷ですね。
初出仕の若造なら迷子になりそう^^

>小学校なので不用意に撮影すると通報される可能性あり。
御苦労お察しします^^;

拍手

時乃★栞 #- | URL | 2016/09/04 16:59 * edit *

Re: 時乃★栞様へ

義昌さんも、家康の二枚舌に業を煮やして小牧長久手の戦いでは秀吉側につき、妻籠城で徳川軍を蹴散らします。
宗太郎さんも怒るんだ・・(笑)

せっかく戦乱の世を生き延びた木曽氏も、息子の義利の代に乱暴狼藉を理由として1600年に改易されてしまいます。
重臣だった山村・千村両家は木曽に戻り、勝手知ったる地元で徳川に協力し地位を保全してもらう事になりました。
家来が木曽家を見限ったとも考えられますネ。

市街地の取材は結構神経を使います。カメラもってウロウロするのは不審者ですもの・・・(汗)そんな時はカメラと地図(縄張図)はセットで手に持ち、不動産業者の顔で徘徊します。結構怪しまれない・・(笑)

らんまる #- | URL | 2016/09/05 07:48 * edit *
コメントの投稿
Secret

トラックバック
トラックバックURL
→http://ranmaru99.blog83.fc2.com/tb.php/816-93841e72
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

城主からのご挨拶

地域別攻城戦記

諸国在住の皆さまのありがたき進言

もののふ入城者数

在城中の「もののふ」

攻城戦記年表

▲Page top