らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0928

藪原砦 (鳥居峠砦 木曽郡木祖村鳥居峠)  

◆木曽領の入口として幾多の侵略を阻止した重要な境目の砦◆

木曽路の山城を取り上げているブログは極めて稀で、オーソドックな所では福島城や妻籠城ぐらいが大半と思われる。

ましてや鳥居峠の砦跡を記事にしているのは「武蔵の五遁、あっちへこっちへ」様ぐらいであろうか。

最近「信濃の辺鄙(または稀有)な山城」の検索キーワードランキングで常に上位にランクインしているらしい小生のブログが取り上げない訳にもいかないので、記事にしてみました・・・(笑)

藪原砦(鳥居峠) (1)
国道19号線の藪原(木祖村)の鳥居トンネル手前を左折し、しばらく進むと中山道自然歩道がある。石畳を5分ほど登ると峠入口。

ここに到着したのは夕方5時頃。 「さて、日没までには戻れるようにペースアップして攻めますか。」

3月下旬とはいえ、残雪が残る鳥居峠をこの時間から登るというのは正気の沙汰ではない・・(汗)

藪原砦(鳥居峠) (91)
アングルを引いて下方より撮影。結構雪が残ってましたが「何とかなりそうかしら・・」

【立地】

木曽郡の北東鉢盛山(2,447m)と木曽山脈の主峰駒ヶ岳(2,956m)との間を連亘する山脈が中山道によって横断されるよころが鳥居峠で木曽路の北端楢川村(現在は塩尻市)と木祖村の境にある。峠は海抜1,197mの峻嶺で、木曽川と信濃川の上流の奈良井川の分水嶺をなしている。
藪原砦はその鳥居峠の頂上手前の西麓の尾根を利用して築かれているが、峠との比高差はほとんどない。

藪原砦(鳥居峠) (5)
10分ほど中山道を登ると丸山公園の入口の分岐に着く。

藪原砦(鳥居峠) (9)
丸山公園の登り口からは藪原宿周辺は良く見える。

【峠の歴史と砦の履歴】

峠路の開通は歴史が古く、和同年間に開かれたという「吉蘇路」(きそじ)をこれに当てている。はじめ「県坂」(あがたさか)といい、中世紀においては「ならい坂」、あるいは「藪原峠」と呼ばれ、明応年間になって木曽領主木曽義元が松本の小笠原氏と戦った時、この頂上から西方はるかに御嶽権現を遥拝して戦勝を祈願、霊夢によって勝つことが出来たのでここに鳥居を建立、それよりは「鳥居峠」と呼ばれるようになったといわれている。

藪原砦見取図① 001
後世だいぶ改変されたものの、尾根を利用した砦で街道を封鎖する役目を担っていたようである。

戦国時代には、木曽氏の木曽防衛の第一線として重視され、天文、天正の二度にわたり甲州勢をここで迎撃し、いずれも勝利している。
天文十八年(1549)四月に始まった武田軍の侵攻に際して木曽軍は、贄川・平沢で戦ったが敗れ、鳥居峠で福島の本隊からの援軍を得て再度迎撃に及びこれを撃退することに成功している。
続いて天文二十四年(1555)の春、武田軍は鳥居峠を越えて藪原へ布陣するが、川中島へ上杉軍が動いたために武田軍は守備兵を残して転戦。同年八月に武田軍の主力が再度木曽領に侵攻し、木曽氏和議となり武田に降った。

天正十年二月、木曽義昌の織田方への内通が発覚すると、武田勝頼は木曽領へ2月6日と16日の2回にわたり討伐軍を派遣する。木曽軍は鳥居峠で武田軍を迎え撃ち、これを撃退する。この緒戦における敗北は織田方の甲州征伐に続く事となり、やがて武田氏滅亡への序章となった。

藪原砦(鳥居峠) (19)
東側から見下ろした丸山公園。

藪原砦(鳥居峠) (10)
後世に整地されたであろう丸山砦の中心付近には「鳥居峠古戦場の碑」と「俳句の句碑」が並ぶ。

※鳥居峠古戦場の碑は明治三十二年八月、木祖村の有志によって建立されたもの。戦国時代の終わりごろ、天文十八年(1549)と天正十年(1582)に、木曽氏の軍勢が甲斐の武田軍をこの峠で迎え討ったことや、峠の様子などが書かれている。藪原の「青木原」、奈良井の「葬り沢」など、時代を偲ぶ地名が記されている。

藪原砦(鳥居峠) (16)
丸山の中央部。往時は土塁が全周していたのであろう。

【砦跡】

鳥居峠に近い順に、「遥拝所」、「丸山公園」、「測候所跡地」、「峠登り口の尾根」の四ヵ所が砦の遺構の跡らしい。
迎撃するというよりは、峠の守備隊の駐屯地の役割が強いように見受ける。

実際に現地を歩くと、敵が鳥居峠を越えた場合には、出来るだけ砦に引きつけて伏兵を出撃させたようにも思えるがどうであろうか・・・・。

藪原砦(鳥居峠) (21)
遥拝所と丸山の間には「義仲硯水」がある。

ここには、木曽宮の越で平家討伐の旗挙をした木曽義仲が北国へ攻め上がる時、鳥居峠の頂上で戦勝祈願の願書をしたためさせて御嶽山へ奉納させたときの硯の水として使われたという湧水が残っている。

藪原砦(鳥居峠) (22)
丸山公園から遥拝所への急坂を登る「ていぴす」さん。結構な落差があり登るのも一苦労であった。

●遥拝所

先述した通り、木曽義元が小笠原との戦いにおいて御嶽山に戦勝祈願を行い、見事勝利したので、鳥居を建立し神社を勧進した場所。御嶽山を臨む遥拝所の北側には土塁を伴う郭跡があり、隣接する郭にも土塁があり、内側に大きな窪みがある。
社殿を取り込んだ郭だったようだが、確証は無い。

藪原砦(鳥居峠) (25)
尾根の先端に突き出す形の遥拝所。夥しい数の石仏や石像が並ぶ。

藪原砦(鳥居峠) (44)
現在、鳥居は崩落の危険があり付近は立入禁止。全国に多数の信者のいる御嶽教でも鳥居は救えないのか?

藪原砦(鳥居峠) (33)
遥拝所の北側の一段目の郭。土塁が囲んでいる。

藪原砦(鳥居峠) (37)
遥拝所の北側二段目の郭の大きな四つの穴。番兵の居住施設(竪穴住居)のように思えるが・・。

藪原砦(鳥居峠) (51)
遥拝所から鳥居峠に向かう分岐点。鳥居峠まで行きたかったのだが、膝まで埋まる残雪の行軍は危険なのでやむを得ず中止。

藪原砦(鳥居峠) (47)
遥拝所(神社)が迎撃用の陣地であることが分かる東側から見た写真。

●測候所跡

丸山公園の西側を尾根伝いに進んだ先が測候所跡で、ここにもかすかに遺構が残る。旧中山道は尾根の脇を通っているが、戦国時代の街道は峠入口から尾根をS字に登り測候所のあった尾根先に出たものと考えられている。

藪原砦(鳥居峠) (54)
丸山の西側の尾根より測候所のあった尾根先へ。

藪原砦(鳥居峠) (57)
現在、休息所の立つ郭跡は削平地としては結構な広さがある。

藪原砦(鳥居峠) (60)
森林測候所の跡地に立つ休息所。整地により失われた堀形の跡が一部確認出来る。

藪原砦(鳥居峠) (59)
堀形。郭手前は土橋なのか貫通していたのかは不明。

●峠登り口(測候所跡地の南尾根)に仕組まれた防御土塁

戦国時代の鳥居峠への道は藪原側より尾根伝いに登ったものと推定され、東側の中山道は江戸時代の五街道の整備によるものであろう。
S字にクランクしている尾根道の所々に人工的な土塁を確認する事が出来る。恐らく峠で迎撃できずに退却する場合を想定した防御施設であろうか。折れを作り土塁の上から通路の敵を殲滅しようとする意図が感じられる。

藪原砦(鳥居峠) (84)
藪原側の峠の登り口から尾根に取り付く部分には、両サイドに土塁が構築されている。

藪原砦(鳥居峠) (83)
通路を抑えるように土塁が構築されている。

藪原砦(鳥居峠) (72)
通路の脇の土塁。意図して造作されたことが分かる。

さて、如何でしたでしょうか。

残念ながら今回の調査では鳥居峠の分岐点には辿り着けなかったものの、木曽氏の領土の北限の境目の砦として築かれ、木曽氏が武田氏の配下となると、木曽氏が破られた場合の武田領の最終防衛拠点として重要視されていた事が分かります。
しかし、皮肉な事に木曽義昌の裏切りによりこの砦での勝敗が武田を没落させる要因の一つとなってしまいました・・・。

明確な遺構がある砦ではありませんが、木曽義仲、武田勝頼、木曽義昌に関わりの深い鳥居峠。その目で確かめることをお勧めしますw

藪原砦(鳥居峠) (26)
遥拝所の夥しい石仏群。ここから御嶽山の噴火で亡くなられた方の冥福をお祈りしました。

藪原砦(鳥居峠) (24)
残念ながら夕暮れ時で御嶽山は見えませんでした。晴天時にはよく見えるそうです。

≪藪原砦≫ (やぶはらとりで 鳥居峠砦)

標高:1200m 比高:250m
構築年代:不明
構築者:不明
場所:木曽郡南木曽町木祖村鳥居峠
調査日:2015年3月22日 
お勧め度:★★☆☆☆
ピークまでの所要時間:20分 駐車場:無し。遊歩道の登り口に路駐。
見どころ:土塁、堀形など
注意事項:特になし
参考文献:「信濃の山城と館⑦安曇・木曽編」(2013年 宮坂武男著 戎光祥出版 P510~511参照)
付近の城址:垰山狼煙台、山吹山狼煙台、奈良井城など
Special Thanks:ていぴす殿

藪原砦(鳥居峠) (88)
鳥居峠の登り口から見た垰山狼煙台(とうげやまのろしだい)。ここも制覇しないと木曽谷は語れない。いつになるやら・・。


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Posted on 2016/09/28 Wed. 20:22 [edit]

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コメント

No title

ここが鳥居峠ですか。
新田次郎の「武田勝頼」に登場しますが、確かにこんな場所が木曽の山岳戦闘部隊が最小の人員で最大の戦果を挙げれそうな気がします。
それ以前にも何度か戦いの舞台になっているということは交通の要衝、戦略の要衝だったということを示していますが、今じゃただの山の中、まあ、それがいいのでしょう。
こういった街道閉塞施設、峠の防塁ってのも面白いですね。

あおれんじゃあ #- | URL | 2016/09/28 21:40 * edit *

Re: あおれんじゃあ様へ

木曽谷の入口を守る天然の要害なので、チョッと手を加えれば立派な防御施設になるんですね。

信玄公も、木曽谷統治の為に直轄の城を置くぐらいなら、木曽一族を親類化してそのまま治めさせたほうが無難という政治的判断だったと思われます。さすが・・。
義昌さん、小牧長久手の戦いで妻籠城は何とか持ちこたえましたが、鳥居峠の防塁は貞慶さんに突破され福島の本拠地まで攻められ城下町ごと放火されちゃいました。あと一歩のところで義昌を討取れなかった貞慶さん、さぞかし悔しかったでしょうネ(笑)

らんまる #- | URL | 2016/09/29 07:42 * edit *

いいなぁー

こんばんは、らんまるせんせ。ここのベンチでお弁当を食べたら美味しいでしょうねー。やりたいことは、おにぎり持って仁王立ち。

竪穴住居だったのですね、番兵さんちは。縄文時代の遺跡を見たときと同じ形でとても面白いです。
残雪があるとわかりやすいですね。

木曽は空が狭い分、あっという間に夜になるのではないかしら。
17時頃から攻めて真っ暗になりました、なのかとどきどきしました。
さすがらんまるせんせ。

つねまる #pjmS0te2 | URL | 2016/09/29 20:01 * edit *

Re: つねまる様へ

日帰りで木曽谷の山城の調査ともなると、それぞれが点在して移動に時間を取られてしまい数を稼ぐことが出来ません。
無理をすると、日没時間切れとなります。

つねまる様の仰せの通り、「竪穴式住居」などと書くと古代の日本史のように思えますが、信濃の田舎あたりでは相変わらずマイホームのトレンドだったようですw
それにしても、こんな山奥で寝ずの番は嫌だったと思われます・・・(汗)

らんまる #- | URL | 2016/09/29 22:22 * edit *

こんばんは~
さすが信濃ですね。3月でも残雪があるとは北海道なみです^^

鳥居の崩落、何とか防げないものですかね。
こういう山中の神社だと氏子さんも少ないかな?

拍手

時乃★栞 #- | URL | 2016/10/01 23:50 * edit *

Re: 時乃★栞様へ

最近地元の自治会の神社の木製の大鳥居が腐って危険な状態だったので、修理したら約100万円ほど費用がかかったようです。
政教分離で自治会が修理費を出すのはご法度なので、地元住民の寄付金を何とか募ってなんとか修繕出来ましたが・・・。

地方の小さな神社や無人寺は少子高齢化で廃墟と化しているケースも少なくありません。
「限界集落」という言葉が現実になりつつあります。

らんまる #- | URL | 2016/10/02 08:00 * edit *
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