らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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春日城 (伊那市西町)  

◆河岸段丘を巧妙に利用した城◆

信州もだいぶ気温が下がり、朝晩は寒いぐらいだ。しかし、紅葉シーズンは例年より一週間以上遅れているので、山城探訪は10月末ぐらいからシーズンインと見た方が良いと思われる。

今回ご案内するのは、「春日城」(かすがじょう)。伊那谷の河岸段丘の城を代表する一つだ。

春日城(伊那市) (2)
二の曲輪と三の曲輪の間の巨大な堀切。上巾14mは圧巻だ。

【立地】

この城は、天竜川西の河岸段丘上に位置する。東側は中段を持つ段丘壁であり、天竜川の氾濫原との比高は40mにも及ぶ。さらに市街地との間には尾花ヶ崎が岬のように張り出して段丘を守る防壁の役割をしている。
また、北側と南側は自然の沢で、共に堀の役目を果たしている。西側には自然の防御となる沢などなく、木曽山脈の麓までの広大な台地に続いている。

春日城(伊那市) (9)
三の曲輪の西側には堀切があったようだが埋められてしまい痕跡が僅かに残る。

春日城(伊那市) (58)
三の曲輪の東側。ここに大手の虎口があったと推定されている。

【城主・城歴】

築城時期については、公園化整備計画に基づく二度の発掘調査によって、城の原初は南北朝に遡り、室町中期には現在の形に近い縄張になっていたものと推定されている。

また、築城者などについては不明で、城の動向を伝える文献も戦国時代に限定される。まず「伊那武鑑根元記」には、天文年間に平家の末流がこの城に来て「伊奈部大和守重慶ト称シ三百貫文を領シ」とある。「上伊那郡史」はこれに関して「伊那部氏は本姓春日氏」とし、美篶(みすず)の大島城との関連にも言及している。また、「小平物語」は天文十四年(1545)の武田勢による福与城攻めの部分に、小笠原定信が伊那衆を率いて「鋳部(いなべ)に本陣をとり・・・・・・」とあり、その人数は二千余に及んだと記されている。「鋳部」は「伊那部」でこの城と考えられるが、ここで戦いがあったかなどは不明である。

春日城縄張図① 001

春日城(伊那市) (10)
堀切㋑。うぐいす洞方面。

【城跡】

現在堀切として残っているのは主郭をL字で遮断している堀切㋐と二の曲輪と三の曲輪を隔てる堀切㋑のみである。三の曲輪の西側には堀形が僅かに残る。さらに何本かの堀切が設けられていたと思うがはっきりしない。城の大手口は三の曲輪の北側で遺構が確認できる。

春日城(伊那市) (14)
二の曲輪に残存する土塁。

春日城(伊那市) (16)
二の曲輪の内部(北方面)土塁がL字に建物の裏まで残っている。

春日城(伊那市) (19)
二の曲輪の東側。

河岸段丘を巧みに利用したこの城は平山式館城で、主郭は南北70m、東西約60mのほぼ方形。二の曲輪は南北120m、東西約120mでL字形。三の曲輪は南北約100m、東西約50mの長方形である。

春日城(伊那市) (30)
二の丸との間に渡る本丸橋から堀切㋐を撮影。(市街地方面)沢を隔てて尾花ヶ崎出郭跡が見える。

本郭と二の曲輪の東側崖下中段の尾花ヶ崎には出曲輪があったと推定され、その東側も高く急な崖になっている。

春日城(伊那市) (27)
オレンジ色の屋根の建物が建つ付近が尾花ヶ崎出曲輪と推定される。

春日城(伊那市) (35)
主郭の東側の土塁。

春日城(伊那市) (37)
ほぼ方形の本郭(70×60)

春日城(伊那市) (25)
二の曲輪から見た本丸橋。堀切㋐の巨大さがお分かりいただけるでしょうか?

本郭からは、眼下に天竜川と三峰川の合流地点を中心とする平地(現在は市街地)が広がり、ほぼ真東の遠方の山麓には高遠城までも見渡せる。城域西側の台地上には古くから東山道が通過し、東の中段は近世の伊那街道が通っていた。
このような立地と堅固な構えのこの城をいつ、だれが、何の目的で築いたのかは、残念ながら分かっていない。

春日城(伊那市) (28)
伊那市の中心部、そして東の山麓には高遠城が見える立地である。

春日城(伊那市) (32)
本丸橋の脇の標柱。背後に低い土塁跡が残っている。

春日城(伊那市) (43)
主郭の一段下の腰郭から見た南側の沢である「うぐいす洞」。結構厳しく落差の大きい天然の沢である。

春日城(伊那市) (49)
南側の「うぐいす洞」から見た堀切㋐。

現在、城址は春日公園となっていて、桜の名所として、また憩いの場所として、隣接の文化施設などとともに市民らに広く親しまれている。

≪春日城≫ (かすがじょう 伊那部城)

標高:670m 比高:40m
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:伊那市西町伊那部
攻城日:2015年2月22日 
お勧め度:★★★☆☆ 
館跡までの所要時間:5分 駐車場:有り
見どころ:大堀切、土塁など
注意事項:特になし。
参考文献:「信濃の山城と館⑤上伊那編」(2014年 宮坂武男著 戎光祥出版 P442参照) 「信州の古城」(2007年 湯本軍一監修 郷土出版社 P88参照)
付近の城址:小黒城、狐林城など

春日城(伊那市) (52)
伊那谷の河岸段丘の城は、いずれも大名系城郭に匹敵するような深くて広い堀切が特徴で、いずれも謎に満ちている。

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Posted on 2016/10/15 Sat. 22:15 [edit]

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コメント

JKがあ

ここねえ。
堀が見事で驚きました。眺めも抜群。
それなのに歴史も曖昧というのもまた驚きです。

ここに行ったら、どういうわけか女子高生がうようよ。
何していたのかは分からんけど、近くに高校があるねえ。
そこにカメラ持ったおっさんがウロウロ・・怪しいねえ。

あおれんじゃあ #- | URL | 2016/10/27 21:37 * edit *

Re: あおれんじゃあ様へ

正面に高遠城があるというのは最近知りました・・・・(汗)
伊那谷は広いので、城の場所と距離感がイマイチつかめません。移動距離も長い物件が多く効率がよくありません。

デカイ城を記事にするのは難しいですね。似たような写真ばかり。しかも数年前の写真ともなると記憶が消えかけて認知症です。
女子高生をパパラッチする中年男ですか・・・即通報されて留置場で宿泊となりそうで怖い・・・(笑)

らんまる #- | URL | 2016/10/28 07:49 * edit *
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