らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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中信濃のラスボス「仁熊城」(東筑摩郡筑北村)に挑む  

◆四年越しのリベンジマッチ◆

2012年12月9日、仁熊城(長野県東筑摩郡筑北村)の攻略を目指した我ら信濃先方衆は、絶壁の岩壁に行き場を失い、迫りくる雪雲に身の危険を感じて撤退という苦渋の選択に甘んじた。

「ここで無理するより、いずれまた再起を計ろう・・・」

猿ごや (1)
2012年12月9日撮影。登り口の「笹ノ平」から仁熊城の大手口。

あれから四年の月日が流れた。いつか再攻略しようと思いつつ、巨大な岩壁の連続する城までのルートに確信が持てずにいた。
しかもこの城、厄介なことに麓からは全く見えない「隠れ城」なのである。宮坂武男氏以外に行った方はネット上誰もいないのだ。

「このままでは終われない・・・」

2016年11月13日、各個撃破を信念とする信濃先方衆のリベンジマッチを敢行する。

仁熊城(筑北村) (4)
行く手を阻む岩壁の連続。

【まさか1時間30分の激闘になるとは・・・】

今回は東の尾根または西の尾根伝いのルートも考えてみたが、国土地理院の地図でも途中の岩場が読めないので、鉄塔の保安道経由で再度正面突破と決定し攻城開始。

仁熊城(筑北村) (3)
この狭い岩と岩の間をよじ登るのだが、その先がどうなっているのかは登ってみなければ判断出来ないという過酷さである。

山城探訪に命を賭してはいけない・・というのが持論であるが、今回ばかりは正直「ヤバイ・・・」の連続であった。

「どの獣道(けものみち)が正解なのか?」  岩壁に突き当たってはトラバースを繰り返し、隙間を這うように登る。

水気を含んだ滑りやすい斜面を登りながら頭の中を去来したのは、「生きて帰れるのかしら・・・」 このことであった・・・(汗)

仁熊城(筑北村) (102)
途中の岩場から、見納めになるかもしれない雲海の絶景に心がしばし和む・・(笑)

悪戦苦闘して、我々は何とか第一関門である尾根北側の鞍部に辿り着いた。

休憩がてらに849.6mの三角点に登った「ていぴす」殿が、「仁熊城の標柱ありましたよ!!」と」叫ぶのである。

仁熊城(筑北村) (104)
三角点=山城跡という発想は安易だが、中世城郭専門研究員など不在の村の教育委員会としては自然な発想であろう。

仁熊城(筑北村) (1)
標柱のある場所のログ。仁熊城まではあと二つピークを越える必要があった。

来年あたり、筑北村の教育委員会に「仁熊城跡」の場所に関して異議申し立てを行おうと思うが、余計なお世話と一蹴されるかもしれない・・・現地調査で村の職員に遭難などされたら村としても責任の所在は免れないのであろう・・・・(笑)

さて、ここの標柱から本当の城跡まではさらに山を二つ越えるので30分以上かかった。そして念願の仁熊城に到着。

仁熊城(筑北村) (17)
小山を削り土塁を残した主郭。前後に数段の郭を繋げているが、堀切などない。必要もないのだろう。

圧巻なのはこの主郭の南側の沢沿いに展開する居住空間で、6~7段の大きな削平地が階段状に連なっている場所だ。

仁熊城(筑北村) (49)
城の中心部と接続する鞍部から南の沢沿いに居住空間が・・・

仁熊城(筑北村) (50)
居住空間を調査する「ていぴす」殿。大きさがおわかりいただけるでしょうか。

さて、あまり書いてしまうのもどうかと思うので、続きはまたいつか・・・(笑)

仁熊城(筑北村) (2)
仁熊城の位置はここ。麓からは見えない「隠れ城」だ。

仁熊城(筑北村) (116)
仁熊城の南側の堡塁からは東方面に大城・京ヶ倉(生坂村)が見える。ここが青柳氏の境目の城でもあった。

中信濃のラスボスをなんとか攻略したものの、退却に際して道をロスしてしまい、二人してあやうく遭難する寸前であった・・(汗)

久々に「命の危機」を感じた。

山城探訪は命がけより「安全第一」ですよ・・(笑)

詳細のレポートはお約束出来ませんが、またいつか・・・・(爆)

仁熊城(筑北村) (121)
無事に生還出来た後の昼飯は美味かった・・・(仁熊城の大手方面。麓から城は見えない)

Special Thanks:ていぴす殿
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Posted on 2016/11/16 Wed. 07:59 [edit]

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コメント

No title

ラスボス、すごい場所にありますね・・・。
しかし標柱が別のところにあるというのは実に危険ですね。
そもそも、標柱を目指す人がどれくらいいるのか(笑

まさはれ #iXQNhkLY | URL | 2016/11/16 20:27 * edit *

見えない城

どこからも見えない城、茨城にもあります。
しかし、さすが信州、険しさ半端じゃないですね。
やはりここは隠れ家じゃないでしょうか。
何かあってもここに1週間隠れていればなんとか生き抜いていけるかもしれません。
しかし、標柱ねえ・・「もう帰るべ・・」そのような思いが籠っています。

あおれんじゃあ #- | URL | 2016/11/16 21:52 * edit *

昔は

昔は城と城を繋ぐ道があったのかなあ
と思わせる城ですね。

意外と山城はネットワークで
つながっていたのかもしれませんね。

丸馬出 #- | URL | 2016/11/17 05:04 * edit *

Re: まさはれ様へ

このような場所に城を造成した土豪も凄いのですが、忘れ去られたこの城を発見し場所を特定した宮坂武男氏も凄いと思いました。
で、教育員会の間違いを指摘しながらこの場所を観たいと心底思って二度目の正直で到達した我ら・・・アホでございます(笑)

筑北村と麻績村の全山城踏破まであと二つ・・・そこに何の意味があるやら・・・(爆)

らんまる #- | URL | 2016/11/17 07:28 * edit *

Re: あおれんじゃあ様へ

周囲を峻険な断崖の山に囲まれた日当たりの良い沢筋なので、水さえあれば10日間程度は過ごせそうです。
小生が攻城兵なら、攻めるのも馬鹿らしいので放置してそのまま通過します(笑)

村の教育員会の方は普通に人間だったと思います。
たった一人でこの城の位置を特定した宮坂武男氏の執念はやはり「神」でしょう。
そこを見てみたいと思い、本当に行ってしまった我らはビョーキでしょう・・(爆)

らんまる #- | URL | 2016/11/17 07:37 * edit *

Re: 丸馬出様へ

今じゃ考えられませんが、往時は生坂村へ通じる生活道路としてこの城のある山塊にも何本か道が通じていたものと推察されます。
地元の方も茸山として山奥まで入っているようですが、生坂村の入山や丸山までのルートは消滅したようです。

堀切や切岸などありませんので、やはり「隠れ家」とか「逃げ込みの城」の類いでしょう。
付近の沢にも人工的な段差が構築されているので、全てが往時のものだとは言い切れないような気もします。

らんまる #- | URL | 2016/11/17 07:46 * edit *
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