らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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平城 (小県郡青木村)  

◆背後に狼煙台を備える山を抱えて街道を押さえた土豪の要害◆

意外と思われるかもしれないが、地元の山城を全てコンプリートしている訳ではない・・・(汗)

「上田・小県」のカテゴリーで142ヶ所を掲載していても、まだ「宮坂教」の神が踏査した全ての領域には届いていないのである。

今回ご案内するのは、台地に築かれた「城の家」の訪問から4年ぶりの「城の山」の踏査で、その全容を逐次解明することが出来た青木村の平城(たいらじょう)の解説である。

平城 (2)
東側から見た平城。なかなかの要害である。

【立地】

青木村の沓掛温泉の南側に一する天狗山(1122m)から北へ派生した尾根の末端部にあたり、相染川の左岸の段丘上に居館である「城の家」があり、その後背の山上に「城の山」お呼ばれる砦がる。山下の集落は沓掛地区の中心の集落で本村である。
相染川の谷は南へ遡行すれば豆石峠になり、峠を越えれば西内の鹿教湯に通じ、東行すれば野倉を経て別所や前山へも出られるところである。また、天狗山の西の沢からは保福寺峠を越えて会田にも通じている。

平城 (4)
北側の沓掛公民館より見た平城。本村の集落に突き出た断崖の上に居館(城の家)があり要害の地である。

【城主・城歴】

「小県郡史」(大正十一年)には「青木村沓掛區字本村の山頂にあり。本郭東西十間、南北二十軒許、残礎尚存す。四方峻険敷𠀋、攀づるに難し。築城者詳ならず。」とある。
この方面には南北朝の頃より田沢氏や奈良本氏が所領を有していたことが諏訪大社の神長官守矢氏による「守矢文書」の記録で知られている。その後天文十年頃に村上氏の配下である福沢氏の支配下に入ったようである。武田の侵略で村上氏が追放されたあともこの城館は地域支配の拠点として存続していたと考えられるが、詳しい事は不明である。


平城jpg

【城跡】

麓の居館である「城の家」と狼煙台(物見)と思われる城の山」とそれぞれ見てみよう。

●城の家(居館部分) ※2012年12月訪問

2012年12月の取材当時は声掛けしてもお留守だったようなので、庭のみ撮影させていただいた。広さは90×45で下の道路からの比高は約30mほどある。沢を挟んだ西側のにも緩い傾斜の削平地があるようだが、不法侵入する訳にもいかず断念した。
背後の「城の山」に続く傾斜地にも段郭があるようだが、許可を得ない状態では入れないので諦める。

平城 (7)
城の家から見た城の山。比高差50mほどあり、登り口に三段ほどの段郭があるという。

平城 (8)
中央の沢は「みやしき」と呼ばれるらしい。対岸の西側にも削平地が確認出来る。

平城 (9)
段郭は墓地となっているようだ。結構傾斜のキツイ斜面なので、居館から城の山に登るにはどう行ったのであろうか。

平城 (11)
三方を険しい断崖に囲まれた居館部分は要害度も高く、充分な広さも兼ね備えている。

●城の山 ※2016年12月訪問

城の家の南背後の急峻な比高50mの小山が「城の山」と呼ばれ、狼煙台あるいは物見が置かれたと想定されている。主郭は28×20の広さがあり、その北側に副郭、その先にも小さな郭がある。主郭背後の尾根側を二重堀切で断ち切った簡単な構造である。

ここへの行き方は、「城の家」から登るのが順当なのだろうが、居館に住む末裔の方のプライバシーに配慮して背後の林道からお邪魔することにした。オフロード車か軽トラの四駆なら林道経由で背後からあっという間に接続出来る。

平城(城の山) (37)
林道の接続部分から一度下ってから登ると二重堀切がお出迎えしてくれます。

平城(城の山) (28)
上幅6mの堀切㋑。かなり埋まっている。

平城(城の山) (27)
堀切㋐は今も鋭い竪堀を形成している。

平城(城の山) (15)
主郭。

平城(城の山) (22)
主郭と郭2の間の切岸。

平城(城の山) (17)
郭2(19×6)。

平城(城の山) (18)
郭3(10×5)。

「城館一体型の背後の要害」というと堅固な詰め城のように思えるが、往時のスタンダードとしてはこの程度のものが主流だったと思われる。
平時は物見や狼煙台としての機能を備えていれば良いので、籠城戦など想定の範囲外であったと思われる。万が一の際は対岸の古城に籠ったのであろう。

平城(城の山) (10)
西の沢に落ちる竪堀㋐。

こんな辺境の地に城館一体型の居館の必要性など感じないと思われる諸氏が多いと思うが、現在の地図を当てはめて考察するのは無理な話なのだと心得ていただきたい。

平城(城の山) (26)
堀切㋐は結構しっかり残っているので驚いた。

今でこそ寂びれてしまったが、往時は東山道の保福寺峠を抜けて筑摩へ通じ、また、鹿教湯温泉から武石峠を越えて中信濃へ入る中世のスクランブル交差点であったのだ。

平城(城の山) (19)
「城の山」からは北側の正面に子檀嶺城(こまゆみじょう)と古城が視界に入る。

平城は、中世の地方の土豪の居館の形状を示すとても貴重な遺構なのだが、青木村教育委員会にはその価値が認識されていないようである。
「青木村の中世城郭=黒丸城・子檀嶺城」の既成概念を捨て、この平城、古城や東城、西城にも言及すべきであろう。

≪平城≫ (たいらじょう)

「城の山」 標高:763m 比高:70m(居館より) 「城の家」(居館) 標高:690m、比高:30m
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:小県郡青木村沓掛
攻城日:2012年12月、2016年12月 
お勧め度:★★☆☆☆
館跡までの所要時間:- 駐車場:無し
見どころ:二重堀切(城の山)、削平地(城の家)
注意事項:「城の家」の居住者の方は現在不在との情報もあるので無断侵入は絶対に禁止。
「城の山」への訪問も林道経由が望ましい。
参考文献:「信濃の山城と館③ 上田・小県編」(2013年 宮坂武男著 戎光祥出版 P403参照) 
付近の城址:古城、池田長門守居館跡など

平城 (5)
平城の登り口から見た古城。平城の詰め城は沓掛温泉の背後の古城であろうか。答えは風の中・・・(笑)
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Posted on 2016/12/13 Tue. 21:50 [edit]

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