らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

1127

須々貴城(上田市)  

◆上田原合戦で村上義清が本陣を置いた城◆

よーく考えたら自宅から一番近い城跡を掲載していない事に気がつく(笑)

いつでも掲載出来るからいいか、と思いつつロクな写真も撮っていないので改めて違うルートで攻城。

意外な発見があるのに驚く。やはり城跡は三度以上訪れなさい!という鉄則はホントらしい(爆)

susuki01.jpg
須々貴神社(すすきじんじゃ)の鳥居が登り口。

この地に居を構えて22年になるのだが、らんまるの自宅の場所は上田原合戦の激戦地で、近くには武田軍の重臣だった板垣信方公の墓所がある。

毎年二年参りと称して、大晦日から元旦にかけて墓所に詣でてらんまる家の武運長久を祈っております・・?

susuki03.jpg
鳥居を潜ると、斜度50度以上の石段(596段あるという・・ご苦労なこったぁ?)

いつもはこの階段を瀕死必死な勢いで登るのだが、今回は手前を右に折れて軟弱男子用の大手道を登る。

sususki04.jpg

実は、この場所は地元では天白山(てんぱくさん)と呼ばれており、らんまるの自治会が整備をしているという。
(参加したことが無いので、村八分になりそうです、ハイ。)

大手道でも息絶え絶で登ると途中に凄い長さと深さの竪掘りを発見。尾根から麓まで貫通している。

susuki05.jpg
城域の北側にある唯一の竪掘り。斜面の東側をイッキに貫いている。感動した!

大手道を登り城域の尾根に着くと、北側の郭と思われる平坦地がある。ここも初めて訪れた。

susuki06.jpg

石段を登り詰めた場所と高台の社、その南側山頂にある本郭しか知らなかったので勉強になった。

susuki07.jpg
↑石段の頂上にある郭。この北側に連続する郭が存在する。

≪上田原合戦≫

天文十七年(1548年)二月、信濃攻略を進める武田晴信と葛尾城を本拠とした信濃豪族連合軍の盟主村上義清が激突したのが上田原合戦である。
この時、武田晴信は小牧山の倉升に本陣を構え、対する村上軍は天白山に本陣を構えて采配を振ったという。

最初は武田晴信が戦局を有利に展開するが、地の利のある村上方が形勢を逆転し武田方では板垣信方、甘利虎康などが討死し、晴信自信も負傷する敗北を喫する。

武田方の兵力約八千、対する村上方の兵力は七千だったと云われ、村上軍に馳せ参じた北信濃や東信濃の反武田の諸豪族が結集した壮絶な戦いだったという。

susutaka08.jpg
須々貴神社の社に登る参道。物見台か烽火台であったと思われる。

合戦終了後も二十日余り対陣した晴信は諏訪の上原城へ引き上げるが、敗戦の動揺は隠せなかったらしい。

susutaka09.jpg

susuk10.jpg

susuki011.jpg

物見台とおぼしき郭からは村上支城群が見渡せます。

そして武田晴信の本陣である倉升方面。

susuki012.jpg

若気の至りで突き進む武田晴信と老獪な外交術を持つ村上義清の駆け引きは、砥石崩れまでは村上の勝利でしたが、その後に学習効果を得た晴信の独壇場へと変化します。

susuki013.jpg
最高地点にある本郭。

千曲川を挟んだ対岸の和合城とともに、村上の東信濃の防衛拠点だった須々貴城でしたが、その後の利用価値は薄れていったようです。

susuki014.jpg
↑上田 道と川の駅から望む須々貴城

≪須々貴城≫  (すすきじょう、別名:天白山城)

場所:上田市下之条天白山
標高646m 比高576m 比高150m
攻城日:2010年11月13日
お勧め度:★★★☆☆
見どころ:竪掘り、堀切、土塁、腰郭、社からの眺め
時間:山麓の鳥居から20分弱で城域へ。
その他:石段はかなり傾斜がキツイので転落の危険あり。雨や雪の日の攻城は危険なので注意してください。

susuki015.jpg
須々貴城全景。右奥の山は城山と呼ばれ小泉上の城跡。

スポンサーサイト

Posted on 2010/11/27 Sat. 21:57 [edit]

CM: 6
TB: 0

« 水の手城(上田市)  |  姫城(坂城町) »

コメント

NoTitle

らんまる様、なんとあの古戦場にお住まいでしたか!

さっそく地元の方に質問なのですが、武田晴信が天文十九年(1550)七月二日、は、真田幸隆に文書を与え(『真田文書』)に、
   其の方年来の忠信、祝着に候
   然らば本意の上に於いて
   諏訪方参百貫并びに横田遺跡上条
   都合千貫の所これを進し候
             真田弾正忠殿
というのがあり、「横田遺跡上条」というのは、その場所がよく分からないのです。この文書は砥石関係で引用されるものなのですが、私のHPでは
「一説では、「横田高松の遺跡・上条」と読んでいる。
『妙法寺記』によれば、横田備中が歿するのはこの後の戸石崩れでである。上条という地を横田氏が領していたのかも明瞭ではない。しかし、なるほど、「横田高松の遺領である上条」と読むのは素直だと思う。場所的には、推測では、「中之条」「下之条」という地名のある上田原の辺りであろうか。」
などという愚説・思い付きを掲載してしまっている始末なのですが、そのあたり、何かご見識はおありでしょうか?

何だかメンドクサイ質問で申し訳ありません・・・。

マサハレ #- | URL | 2010/11/28 21:13 * edit *

Re: NoTitle

テキトーに住んでる場所が下之条ですので、難しい質問は困ります(笑)

しかたないので、小懸郡誌を調べました。産業編の地番表示によると、
「城下村大字諏訪形・御所・中之条の三区、川邊(川辺)村下之条に恒り、東南より西北に延びて千曲川南岸の平地たり。東は諏訪形区深町・中澤・宮田邊に起こり・・・・中之条区東町・西町・宮方・宮浦・・・・・下在家・横田・物見塚に至り・・・」とあります。
その表示が横田遺跡と合致するのかは不明ですが、愛読書の真田随想録には三好町付近(現在で御所と呼ばれる地籍)ではないか、との事です。
諏訪形と中之条の間であった御所という地籍が、上条だったのかという疑問はもう少し調べてみます。

らんまる #- | URL | 2010/11/28 22:40 * edit *

NoTitle

らんまる様、ご返信ありがとうございます。

さすが、地元の方はお詳しいですね。とても勉強になります。

しかし良い所にお住まいですね~。
私も長野の城にはまっていたころ、その周辺は何度も行きました。
山城に事欠きませんね!
室賀のあたりの城も良いし、青木の方なんて、行ってみたい城がたくさん残っています。

今は子育ての忙殺されて信州遠征は厳しいのですが、いつかまたシンドイ山登りをしたいものですv-7

マサハレ #- | URL | 2010/11/29 17:37 * edit *

Re: マサハレさんへ

この辺に家を建てたのは深い意味など無かったのですが、板垣信方公の霊が呼び寄せたのかもしれませんネ(笑)
県外の方が限られた時間の中で調査しているのに、地元がこれではイカンぜよ!と思いブログを書いています。体力と時間の許す限り長野県人の想う山城考を掲載出来れば、と思っています。
ご意見とご支援をお願いします。

らんまる #- | URL | 2010/11/29 23:40 * edit *

またリンクはりました

須々貴城に登って参りました。
中塔城に続いてリンクを張らせていただきました。

baseballnovel #VWFaYlLU | URL | 2016/06/13 00:00 * edit *

Re: baseballnovel 様へ

ご丁寧にありがとうございます。
信濃のお城を存分にお楽しみくださいv-221

らんまる #- | URL | 2016/06/13 07:30 * edit *
コメントの投稿
Secret

トラックバック
トラックバックURL
→http://ranmaru99.blog83.fc2.com/tb.php/85-dd59b153
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

城主からのご挨拶

地域別攻城戦記

諸国在住の皆さまのありがたき進言

もののふ入城者数

在城中の「もののふ」

攻城戦記年表

▲Page top