らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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青木城 (下伊那郡大鹿村下青木)  

◆大河原城の南を守る支城◆

目まぐるしく変わる春の天気に翻弄されながら、毎週末は山城巡りのラストスパートに勤しんでおります。

GWを過ぎると、新緑によって遺構は覆われてしまい藪化も進み何が何だか・・・だから今月は生き急ぐのです・・(笑)

山城探訪は熱心なのに、ブログ更新は怠慢・・・(汗)  今回ご案内するのは秋葉古道の南よりの侵入を監視した「青木城」。

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青木城より1.5km北の松平城より撮影。

【立地】

小渋川と青木川が合流する大河原地籍の青木川の谷口に位置する。青木川に突き出した岬のように張り出した尾根の上に築かれていて三方を急崖に囲まれた要害の地である。
城址へは、国道152号線から途中を左折し城域の南側を通る道路があるのでそれを上り、尾根の付け根あたりで車を降りる。それから秋葉古道の遊歩道伝いに下り尾根との分岐の稜線を5分ほど北へ進むと辿り着く。

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大鹿村でも秋葉古道トレッキングコースでは「城の腰」として認知されているらしい。(堀切㋐の手前の分岐点の表示板)

【城主・城歴】

大河原城防衛のための支城として南の守りを担った砦と考えられているが、城主や城歴については不明である。

青木城見取図①

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秋葉古道の分岐からちょっぴりスリリングな尾根先を下ると堀切㋐がお出迎え。

【城跡】

青木川に突き出た三角形の尾根先の先端に二段の郭を持ち、その付け根を二条の堀切で穿った砦である。近世に耕作地となっていたようで、どこまでが往時の遺構か判断は厳しい。郭1と郭2は元々緩い一つの削平地だった事も考えられ、後世に分離されたようにも見えるが何とも言えない。堀切㋐と㋑は往時の遺構であろう。

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南北朝の普請らしいが、尾根の処理は結構しっかり造り込んでいる。

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尾根の西側を削りだしたような郭2.

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耕作地であったらしい郭2.

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郭2から南の堡塁を撮影。結構な斜面である。

城址の南側を秋葉古道が通過しているので、往時は街道を監視するための番所が置かれていたのかもしれない。

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郭2から一段下がった場所の郭1。南北70mの長大な三角形である。

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綺麗すぎる削平地(郭1)

郭1を囲むように緩やかな段郭が形成されているが、往時の遺構とは断定できない。
尾根先の先端の郭3は、見張り番所として兵士が詰めていたものであろうか・・?。

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尾根の北端の郭3。

宗良親王が香坂高宗の招きに応じて南朝方の征東府を大鹿村に置いたのは、防御の優位性を重んじての判断だったのかもしれない。

北朝方の信濃守護の小笠原氏が危険を冒してまで大河原に攻め込まなかったのは、こうした天然の地形を理解し、無駄に兵を損なう事が無いように配慮したものであろう。
それ故、戦が長引き、南北朝時代の終焉が先延ばしになったのも事実である。

≪青木城≫ (あおきじょう)

標高:800m 比高:70m(国道より)
築城年代:不明
城主;不明
場所:下伊那郡大鹿村下青木
攻城日:2017年3月19日
お勧め度:★★☆☆☆
城跡までの所要時間:背後の市道より秋葉古道を歩いて10分程度
見どころ:堀切、堡塁など
注意事項:特になし
参考文献:「信濃の山城と館⑥ 諏訪・下伊那編 宮坂武男著」 「定本 伊那谷の城」
付近の城址:大河原城、松平城、堀田城、大島城など
Special Thanks to ていぴす殿

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城址付近から見た大河原城の北の砦群。

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Posted on 2017/04/10 Mon. 23:18 [edit]

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