らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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霜台城2 (リテイク 長野市若穂保科)  

◆前後に物見砦を備え、石積みの郭と土の郭で構成された戦国末期の山城◆

霜台城を最初に訪れたのは2011年7月なので、かれこれ6年の月日が流れている。

拙いブログ記事で、信濃の山城マニアの皆様には「隠れた石積みと土の城が混在する名城なのでお勧めですよ!」とか言いつつ、面倒なので再訪しなかった。

先日、対岸の尾根上にある加増城を攻略した際に、加増城から霜台城が雑木林の間に見えたので、「では、久々に再調査も兼ねて登ってみますか・・・」といつもの思い付き・・・(笑)

霜台城2 (15)
前の山砦からしばらく登ると「弾正岩」と名付けられた巨岩に辿りつく。保科弾正忠正利の名を由来としていて十畳ほどの広さがある。

霜台城2 (13)
三日前に攻略した加増城がよく見える。あの高さは「今日も元気に狂ってる」と言われても仕方あるまい・・・(笑)

【立地】

保科川の右岸、太郎山(996.9m)の南側の支脈上に霜台城がある。麓の須釜集落から比高300mを登った山嶺の尾根を利用して築城されている。現在はトレッキングコースがキチンと整備されているので、長野市若穂隣保館(公民館)に車を駐車して保科川を渡った対岸の登り口に標柱があるので、迷うことは無い。(平日は公民館の事務室に声を掛けて駐車の許可を貰う事)

霜台城見取図①
郭8の物見台は宮坂氏の縄張図には無いので今回追加しています。

「比高300m」と表示すると、信濃ではかなり険しい山城に属するが、霜台城は登山道が斜面全体を緩く這うようにジグザグに斜行しているのでさほどのキツさを感じる事も無く、ゆっくり50分程度で到着する。

霜台城2 (54)
登山道は城域の郭6の一段下の段郭に通じている。

霜台城2 (161)
段郭は南側の斜面に向かって数段連なっている。耕作地の跡ではなく従来の遺構であろう。

霜台城2 (60)
郭6から見上げた郭5。石積みの見える瞬間が至福の時に変わるのである。

【城主・城歴】

保科氏の居城と伝えられるが詳細は不明。城の名は、保科氏が代々弾正(霜台)と名乗ったことか、または、近くの春山城は信濃守護上杉朝房(霜台)からとったものと考えられる。

霜台城2 (66)
郭4と郭5は完全に石積み仕様であり、周囲を厳重に石積みが周回している。

霜台城2 (67)
郭5の全面の石積み。背後は郭4との繋ぎであるが、堅固な石積みである。

【城跡】

郭3・4・5は周囲を堅固な割石の石積みで囲んでいる。7年前に訪問した時はロクな予備知識も無かったので、単純に割石を積み重ねて、風化による崩落などと勘違いしていたが、今回の再訪問と調査で、この石積みは明らかに「積石塚古墳」(つみいしづかこふん)に使用されていた割石の転用であることが判明した。

霜台城2 (68)
松代町周辺の山城は、古墳を利用または破壊してその石を積み上げて防御に利用している城がほとんどである。

霜台城2 (19)
郭4と郭5の東斜面は夥しい量の石積みが斜面を覆うように崩落し散乱している。

霜台城2 (21)
郭4の東斜面には一部原形を留めている石積みがあるので、往時の景観は凄かったに違いない・・・。

●積石塚古墳とは?

積石塚とは、石を積んで墳丘を造っている墓で、主に古墳時代の墳墓の形式の一つとして定着している。(5世紀~6世紀)一部の地域に顕著にみられ、特に長野県の大室古墳群(長野市松代町)は日本最大の積石塚古墳群として有名で、そのほとんどが積石塚であり横穴式石室を備えている。

以下の写真は昨年7月に調査で訪問した時の大室古墳群の積石塚古墳である。霜台城のある保科地区も大室古墳群に関連する古墳が多く点在する。

DSCF1270.jpg
大室古墳群の241号墳。

DSCF1269.jpg
大室古墳群の242号墳。中央の窪みが陥没した石室の跡。

●古墳の積石を転用し石積みの郭を増設したのか?

縄張図の郭3と郭4の間には大量の積石が残っている。ここに規模の大きな積石塚古墳があったことは、横穴式石室の残存遺構が残る事から推定される。また郭4と郭5の間にも古墳があり窪地は石室の跡であろうか。
どの程度の高さまで積んであったかは不明だが、石の形状が平石では無いので、それほど高くは積めなかったと思われる。

霜台城2 (23)
郭3と郭4の間に残る石室の跡。戦時中となれば死者の祟りなど恐れている場合じゃないか・・(笑)

霜台城2 (24)
古墳も完全に解体せずにある程度残す事で防御効果を狙ったものとみえる。

千曲市~長野市松代町にかけては多くの古墳が集中している。山城も古墳に被るように築城された為に、縄張に古墳を取り込んだり、古墳を解体して石材を防御や土塁の土留めに転用している例が多く見られる。信濃の山城は独自の石積み技術を特徴としているが、それは岩盤が固い地盤を掘るよりも、古墳を壊して廃材を利用するのが手っ取り早いという作業の集大成であろう。

霜台城2 (18)
霜台城の石積みの原材料となった積石塚の石は、高く積めない欠点があったようだ。

霜台城2 (80)
郭3には新設された標柱が立つ。ようやく城跡として認知されてきたかと思うと感慨深い。

●土の城としての原型

霜台城は元々は土の城であったのだ・・・ということが、主郭を挟むように穿った堀切㋐、堀切㋑、堀切㋒を観察することによってわかる。

霜台城2 (85)
堀切㋐側から見下ろした郭3。

霜台城2 (90)
郭3と郭2を遮断する堀切㋐(上巾6m)

霜台城2 (94)
郭2。西側が一段低い変則的な郭だ。

霜台城2 (93)
主郭と郭2を隔てる堀切㋑。かなり埋まっている。

霜台城2 (27)
変則的な形の主郭(25×23)。石積みの補強は西側の縁の土留めだけ。

霜台城2 (26)
主郭と郭7の間の土手付き堀切㋒。最も幅が広く(上巾7m)長大である。

霜台城2 (96)
郭7は41×18の平場。

霜台城2 (29)
郭7の北端の堀切㋔。上巾7mで尾根を遮断する。

元々は郭1・2・3・7で形成された在地土豪の土の城に石積みの郭4・5・6を増設しドッキングさせ、大笹街道側の東尾根の斜面を石積み補強し見せる城を意識したものと思われる。
土の城に石積み郭を増設または補強する縄張手法は、千曲市森にある鷲尾城が非常によく似ている。

【北尾根の物見台】

ブログに相互リンクをさせていただいている春の夜の夢の管理人アテンザ様によれば、霜台城の北尾根には物見台があるといい、実際にその場所について考察されていた。小生の再訪の目的の一つでもあったので、太郎山に続く尾根を辿ってみた。

霜台城2 (107)
郭7から尾根を北へ登る。

霜台城2 (34)
すると人工的に削平した小さな平場と背後の岩場が現れる。

霜台城2 (31)
背後の岩盤堀切から物見砦を撮影。

宮坂武男氏はこの物見について記載していない。自然地形と見たのかもしれない。が、小生もアテンザ様の指摘する通り、背後を深く断ち切った物見砦であると思っている。
尾根を登った先には春山城が控えているので、尾根伝いに備えたものであろう。

霜台城2 (33)
トレッキングコースマップには「クマ太郎岩」とあり、その周辺である。

霜台城2 (35)
ここからは善光寺平、そして遠くに北信五岳を臨む素晴らしいロケーションである。

霜台城2 (126)
物見砦背後の岩盤堀切。

オーソドックスな山城に最先端の石積み仕様を融合させた貴重な霜台城。
当初は在地土豪の物見程度の山城が、甲越紛争時にその戦略的を見出され大勢力によって大掛かりな改修を受けて現在の最終形になったとみるが、どうであろうか。

比高300mだが、登山道も整備されているのでゆっくり景色を楽しみながら1時間も歩けば十分に堪能できる山城です。
是非、その目でこの素晴らしい遺構を見て頂きたいと思います。


≪霜台城≫ (そうだいじょう 城の峯) 

標高:720m 比高:300m 
築城年代:不明
築城・居住者:保科氏など
場所:長野市若穂保科須釜
再訪問日:2017年4月19日
お勧め度:★★★★★ (満点)
城跡までの所要時間:50分
駐車場:若穂隣保館
見どころ:弾正岩、積石塚古墳を利用した石積み、土手付き大堀切、物見砦、クマ太郎岩など
参考文献・書籍:「信濃の山城と館 更埴・長野編」(宮坂武男著 2013年 戎光祥出版) 
注意事項:石積みは脆くなっているので乗らない・足を掛けない・崩さない。
付近の城跡:保科前の砦・加増城・古城山城・和田東山城など

霜台城2 (70)
積石塚古墳を転用した証拠はいたるところで確認出来る。

DSCF4503.jpg
北西の若穂牛島の領家交差点付近から撮影した霜台城と背後の物見砦。

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Posted on 2017/05/12 Fri. 20:12 [edit]

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コメント

悔いの残る物見砦

物見砦、攻略されましたか。
見事に「今日も元気に・・」を地で行ってますなあ。
上の城の存在を知ったのは、2年前、ここに行って下山後。
長野市史にはバッチリ載っているんですなあ。
悔しかったけど、あとのまつり。
春山城との緊張関係にあった城か、それとも繋ぎの城か?

あの石組みは、積石塚ですか?知らんかったなあ。
古墳にしては高い場所にありすぎのような気もしますが・・。
大室古墳群は古いものほど高い場所にあり、新しいものほど低地に降りてくるとは聞きましたが・・。そう、天城城にも古墳がありましたね。
やっぱありか?

あおれんじゃあ #- | URL | 2017/05/13 20:32 * edit *

Re: あおれんじゃあ様へ

師匠、お供しますんでその節はまたお声掛けくださいましw

大室古墳群は昨年の夏に2回ほど調査に赴き、ジムニーで禁じ手の「ムジナゴローナ」「と「ドウサン」を探索しました。
そうはいっても古代人の墓地が集中している地区なので気味が悪くて早々に退散。写真も手ブレばかり・・・(汗)
積石塚古墳は須坂市の八丁鎧塚古墳も見学してきて、その壮大さにビックリしました。

そうそう、天城城の主郭は剥き出しの石室が放置されてますよネ。麻績村の安坂城や虚空蔵城も転用された古墳の石室が無造作に打ち捨てられているので、埋葬されたかつての権力者もさぞかしお嘆きの事かと・・・(笑)
風雲急を告げる北信濃の山城は古代人の祟りなんか気にしている暇は無かったんでしょうね。

らんまる #- | URL | 2017/05/13 20:57 * edit *
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