らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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城が原・こやしき (東筑摩郡生坂村下生坂)  

◆犀川沿い集落と雲根峠の沿道の監視で築かれた居館跡◆

先日の碓氷峠の陣城の記事は全国区の皆様にとって、かなり刺激的だったらしい・・・(笑)

グンマー県の教育委員会様が登録し忘れた城跡について、「再登録したほうがいいですよ」と、軽井沢町役場の職員が忠告した事が現実となり、今回の発表まで斎藤慎一先生の手助けも借りて足掛け三年の長旅だったらしい・・・(汗)

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それよりも熊野皇大神社のこまいぬの価値のが上かも知れない・・・(笑)

今回ご案内するのは、生坂村の領主であった日岐丸山氏と深く関りがあったであろうとされる「城が原・こやしき」。

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国道19号線から入ると上り坂に堀状の沢が見える。天然の防御構造である。

【立地】

国道19号線の東、犀川の第二河岸段丘上に城が原(城の原とも)・こやしきがある。雲根集落の白山神社の北の台地上で、ここから犀川右岸の道は、山清路の岩山で通れなくなるために後背の山越えの道、雲根峠を通って込路(こみじ)へ出るのが往古の道である。雲根はその峠道の起点となる。

城が原・こやしき見取図①
天然の沢を堀と見做した河岸段丘上の屋敷地であろうか。

【城主・城歴】

史料・伝承等不明。立地からみて、犀川べりの監視と、雲根峠の備えで、その監視・警備にあたった番士の居住したところではないかと考えられている。また、猿が城の直下にあたるために、その根小屋ではないかとの説もあるが、雲根集落そのものが、雲根峠の要地で、大岡、麻績、坂北、入山、丸山地区への交通と深く関り、戦略上も重要なところであったと思われる。

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推定居館跡から猿が城物見、雲根峠を臨む。

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犀川を挟んだ北側の対岸には城平物見が見える。

【館跡】

耕作地化と道路の開通により細部は失われたようで詳細は不明。明治六年の切り図には、こやしき、城の原、上ノ原、下原道上、墓地などが記されている。民家の裏手に西から入る幅30mの沢が自然の堀となり、それを利用して造られたと思われる。付近には、馬セバ、カマ田の地名がある。

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標柱のある場所が「城が原(こやしき)」と呼ばれているようだ。

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城が原から見た天然の沢。ここが堀の役割となり段丘上の居館の防御の要になっている。

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城が原の北側の郭。耕作地となり往時の面影は見ることが出来ない。

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城が原の中心部。猿が城物見を命令された番兵の掘立小屋があったのだろうか。

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辺境の地とはいえ、正面の小山を経由した雲根峠を目指して、猿が城に行けというのは酷な話でございます・・(汗)

≪城が原・こやしき≫ (じょうがはら・こやしき)

標高:500m 比高:15m(国道より)
築城年代:不明
城主;不明
場所:東筑摩郡生坂村下生坂
攻城日:2017年4月2日
お勧め度:★☆☆☆☆
城跡までの所要時間:国道19号線の道路脇から10分
見どころ:自然沢の堀、標柱
注意事項:農道は狭いので、国道19号線のパーキングエリアに車を止めて歩いていくこと。
駐車場:国道19号線北側にパーキングアリアあり。
参考文献:「信濃の山城と館④松本・塩尻・筑摩編」(宮坂武男著 2013年 戎光祥出版)
付近の城址:宇留賀城、金戸山城、猿が城物見、城平物見など
Special Thanks to ていぴす殿



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猿が城物見より見下ろした「城がはら・こやしき」と対岸の城平物見。
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Posted on 2017/05/21 Sun. 21:38 [edit]

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