らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~
「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。
0524
猿が城物見 (東筑摩郡生坂村下生坂) 
◆眠峠・雲根峠を監視する物見砦◆
山城巡りがだいぶ市民権を得たとはいえ、「趣味は山城あるいは中世城郭です」なんて言ってみても世間的にはまだまだ通用しない・・・(汗)
なので、こんなブログを書いているヤツは一見フツーの市民のように見えるが、実態は「???」であろうか・・・(笑)
この趣味が家族に理解を得られるケースは滅多にない。ヲタクに昇格することは無く、未だに奇人・変人の領域に留まる・・(汗)

猿が城物見から見下ろした「城が原・こやしき」(拡大5倍)
そんな事を書くと、真面目に取り組む山城ツアラーを自称する諸氏からはお叱りを受けそうだが、実態とはそんなものである。
そして我々のような山城ブロガーが目指すのは「ハツモノ・レアモノ・キワモノ・ゲテモノ」。この表記もかなり反感を買うと思うが、SNSの世界とはそんなものだと自覚している。
「一番槍」 「初掲載」 「SNS初公開」 「ネット初披露」・・・・
どこかの政党の予算の仕分け作業ではないが、「二番じゃダメなの・・・?」 敢えて言おう、「ダメなのである」・・(笑)

だいたい信濃の山城をとことんSNSでアップしている方は少ないので、敢えて書かずとも殆んどがハツモノ・レアモノとなる・・(笑)
今回ご案内するのは生坂村シリーズ「猿が城物見」。猿とか鬼とか名の付く城は人を寄せ付けないが、ここは車で近くまで行ける。

下生坂地区から林道を北へ登ると途中に眠峠(ねむりとうげ)への登り口がある。「眠」とは「多くの曲がり坂」の意味だという。
【立地】
犀川の右岸、日岐大城に続く生坂さんちの北端に近い山の上に立地する。猿が城と呼ばれる範囲は広く、宮坂武男氏が特定したのは、周辺の各城が見通せる雲根峠の小山とその北80mの小山で、物見としては最も適しているという。我ら信濃先方衆ももちろん異論などない。

雲根峠の北側80mのA地点。ここが物見の中心らしく頂部は削平されている(11×6)

郭Aと雲根峠の小山Bの尾根の東側の沢状窪地。横堀と称する記録もあるようだが、自然地形の沢であろう。
【城主・城歴】
日岐丸山氏に関連する物見砦と推定され、尾根を通る眠峠や雲根集落の通路の雲根峠を抑え、犀川沿いの動向を探るための物見砦と推定されている。

窪地は領民の逃げ込み場所としても最適な構造である。

対岸の土塁状尾根との間の沢状窪地。(郭Aより見下ろしています)
【城跡】
物見砦へは林道を通るのだが、よく整備された林道なので小型乗用車であれば4WDでなくても通行は可能である。ただし、下生坂村から登る途中には害獣除けフェンスがあるので、開けて閉める作業が必要になる。尾根の先端を右に回り込むと道路脇から鉄塔の保安通路が見えるのでそこから鉄塔に向けて入り、鉄塔から西側が崩落した尾根を南に伝って登ると主郭Aに着く。

物見からの景色はあまり良く見えないので、登り口となる北側の鉄塔から撮影しよう。
「生坂村村誌」によれば、城址には数基の旗塚が絵図に書かれているのだという。恐らくA~Bの間の尾根上に何基か置かれていたのであろう。
土塁状尾根との間に挟まれた窪地を横堀とするには無理がある。これだけの土木工事量が在地土豪に出来るとは思われない。

沢状窪地よりみた主郭A。
元々は有事の際に住民が逃げ込む場所だったような気がする。水の手は確認出来なかったが、この場所なら敵をやり過ごす為の緊急避難場所としては最適なような気もする。

雲根峠の分岐であるBの堡塁。Aよりはかなり狭い(5×3)

郭A周辺を調査するていぴす殿。
猿とか鬼とかいう名のつく城はかなり険しい場所にあり、人をなかなか寄せ付けない。今回ご案内した「猿が城物見」も、林道が無ければかなりの苦労を要したと思われる。
普段は峠の監視砦として部外者の侵入を見張り、有事の際には、日岐大城の北を守る支城としての任務があったのだろう。

雲根集落から見上げた険しい尾根の裏側にこのような隠れ家スペースがあるとは思わなかった。
≪猿が城物見≫ (さるがじょうものみ)
標高:830m 比高:330m(雲根集落より)
築城年代:不明
城主;不明
場所:東筑摩郡生坂村下生坂区
攻城日:2017年4月2日
お勧め度:★★☆☆☆
城跡までの所要時間:林道脇から15分
見どころ:雲根峠、沢状窪地、土塁状尾根、鉄塔付近からの景色
注意事項:整備された林道だが、落石には注意し慎重に走行されたし
駐車場:鉄塔保安道の林道脇に数台駐車可能
参考文献:「信濃の山城と館④松本・塩尻・筑摩編」(宮坂武男著 2013年 戎光祥出版)
付近の城址:宇留賀城、金戸山城、城が原・こやしき、城平物見など
Special Thanks to ていぴす殿
![DSCF4086[1]](http://blog-imgs-110.fc2.com/r/a/n/ranmaru99/20170524225213afb.jpg)
雲根峠登り口の城が原・こやしき方面から見た猿が城物見。やはり「猿」の名が付くだけの峻険な地にある事がわかる。
山城巡りがだいぶ市民権を得たとはいえ、「趣味は山城あるいは中世城郭です」なんて言ってみても世間的にはまだまだ通用しない・・・(汗)
なので、こんなブログを書いているヤツは一見フツーの市民のように見えるが、実態は「???」であろうか・・・(笑)
この趣味が家族に理解を得られるケースは滅多にない。ヲタクに昇格することは無く、未だに奇人・変人の領域に留まる・・(汗)

猿が城物見から見下ろした「城が原・こやしき」(拡大5倍)
そんな事を書くと、真面目に取り組む山城ツアラーを自称する諸氏からはお叱りを受けそうだが、実態とはそんなものである。
そして我々のような山城ブロガーが目指すのは「ハツモノ・レアモノ・キワモノ・ゲテモノ」。この表記もかなり反感を買うと思うが、SNSの世界とはそんなものだと自覚している。
「一番槍」 「初掲載」 「SNS初公開」 「ネット初披露」・・・・
どこかの政党の予算の仕分け作業ではないが、「二番じゃダメなの・・・?」 敢えて言おう、「ダメなのである」・・(笑)

だいたい信濃の山城をとことんSNSでアップしている方は少ないので、敢えて書かずとも殆んどがハツモノ・レアモノとなる・・(笑)
今回ご案内するのは生坂村シリーズ「猿が城物見」。猿とか鬼とか名の付く城は人を寄せ付けないが、ここは車で近くまで行ける。

下生坂地区から林道を北へ登ると途中に眠峠(ねむりとうげ)への登り口がある。「眠」とは「多くの曲がり坂」の意味だという。
【立地】
犀川の右岸、日岐大城に続く生坂さんちの北端に近い山の上に立地する。猿が城と呼ばれる範囲は広く、宮坂武男氏が特定したのは、周辺の各城が見通せる雲根峠の小山とその北80mの小山で、物見としては最も適しているという。我ら信濃先方衆ももちろん異論などない。

雲根峠の北側80mのA地点。ここが物見の中心らしく頂部は削平されている(11×6)

郭Aと雲根峠の小山Bの尾根の東側の沢状窪地。横堀と称する記録もあるようだが、自然地形の沢であろう。
【城主・城歴】
日岐丸山氏に関連する物見砦と推定され、尾根を通る眠峠や雲根集落の通路の雲根峠を抑え、犀川沿いの動向を探るための物見砦と推定されている。

窪地は領民の逃げ込み場所としても最適な構造である。

対岸の土塁状尾根との間の沢状窪地。(郭Aより見下ろしています)
【城跡】
物見砦へは林道を通るのだが、よく整備された林道なので小型乗用車であれば4WDでなくても通行は可能である。ただし、下生坂村から登る途中には害獣除けフェンスがあるので、開けて閉める作業が必要になる。尾根の先端を右に回り込むと道路脇から鉄塔の保安通路が見えるのでそこから鉄塔に向けて入り、鉄塔から西側が崩落した尾根を南に伝って登ると主郭Aに着く。

物見からの景色はあまり良く見えないので、登り口となる北側の鉄塔から撮影しよう。
「生坂村村誌」によれば、城址には数基の旗塚が絵図に書かれているのだという。恐らくA~Bの間の尾根上に何基か置かれていたのであろう。
土塁状尾根との間に挟まれた窪地を横堀とするには無理がある。これだけの土木工事量が在地土豪に出来るとは思われない。

沢状窪地よりみた主郭A。
元々は有事の際に住民が逃げ込む場所だったような気がする。水の手は確認出来なかったが、この場所なら敵をやり過ごす為の緊急避難場所としては最適なような気もする。

雲根峠の分岐であるBの堡塁。Aよりはかなり狭い(5×3)

郭A周辺を調査するていぴす殿。
猿とか鬼とかいう名のつく城はかなり険しい場所にあり、人をなかなか寄せ付けない。今回ご案内した「猿が城物見」も、林道が無ければかなりの苦労を要したと思われる。
普段は峠の監視砦として部外者の侵入を見張り、有事の際には、日岐大城の北を守る支城としての任務があったのだろう。

雲根集落から見上げた険しい尾根の裏側にこのような隠れ家スペースがあるとは思わなかった。
≪猿が城物見≫ (さるがじょうものみ)
標高:830m 比高:330m(雲根集落より)
築城年代:不明
城主;不明
場所:東筑摩郡生坂村下生坂区
攻城日:2017年4月2日
お勧め度:★★☆☆☆
城跡までの所要時間:林道脇から15分
見どころ:雲根峠、沢状窪地、土塁状尾根、鉄塔付近からの景色
注意事項:整備された林道だが、落石には注意し慎重に走行されたし
駐車場:鉄塔保安道の林道脇に数台駐車可能
参考文献:「信濃の山城と館④松本・塩尻・筑摩編」(宮坂武男著 2013年 戎光祥出版)
付近の城址:宇留賀城、金戸山城、城が原・こやしき、城平物見など
Special Thanks to ていぴす殿
![DSCF4086[1]](http://blog-imgs-110.fc2.com/r/a/n/ranmaru99/20170524225213afb.jpg)
雲根峠登り口の城が原・こやしき方面から見た猿が城物見。やはり「猿」の名が付くだけの峻険な地にある事がわかる。
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Posted on 2017/05/24 Wed. 22:54 [edit]
« 召田城 (松本市中川召田) | 城が原・こやしき (東筑摩郡生坂村下生坂) »
コメント
比高が高いですね
電車の車窓を眺めているときに
山城がありそうな急峻な山を見かけると
殿様「せめかかれ~」
自分「無理です、勘弁してください」
と妄想してしまいます。
犀川の周辺にはそういうお城が多そうですね
丸馬出 #- | URL | 2017/05/30 07:01 * edit *
Re: 丸馬出様へ
生坂村の城は犀川沿いの山道が生活道路だったんでしょうね。
なので大城、京ヶ倉など尾根筋を抑える場所に見張砦や詰城を築城したと思われます。
天正壬午の乱では貞慶さんが強引に攻めて多大な損害を被っています。
裏切者が次々と静粛されている中で日岐氏が生き延びたのはこの険しい立地条件も多少なりとも役立ったのでは・・と思ってます。
らんまる #- | URL | 2017/05/30 19:59 * edit *
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