らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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橋ノ小屋 (松本市中川矢久)  

◆生き延びるための逃走経路の中継地点か?◆

天正十年十一月、小笠原軍の三度目の攻撃で召田城の城将の堀内越前守が討死し、召田城は落城、幼少の会田小次郎は僅かな侍従に付き添われ小県郡青木を目指し落ち延びていったという。

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標柱はあるものの、人工的な加工跡など全く無い平坦な土地。

会田領の召田城から東に隣接する小県郡青木村田沢にかけては「橋ノ小屋」「中ノ小屋(猿ノ小屋)」「鳥ノ城」があったと伝わる。
召田城から辛うじて落ち延びた会田小次郎が、山奥深いこれらの砦を経由して青木村に向かったと思われるが、その足取りは不明である。

昨年4月に探索にこれらの砦群を出掛けたが、「橋ノ小屋」へ通じる林道が通行止めだったり、「中ノ小屋では登る沢を間違えたりして中断を余儀なくされたが、今回、ていぴす殿の援軍を得て、一年越しでこの二つの砦の比定地に何とか辿り着いた次第である・・(汗)

橋ノ小屋見取図
旧四賀村教育委員会ではこの場所を城跡と認定している。

【立地】

矢久地区、矢久川の上流大沢の左岸の送電線の鉄塔のある山が橋ノ小屋で、その奥の鉄塔のある山が中ノ小屋になる。ここはキャンプ場のある場所(現在は廃墟)の続きになり、登路は小胡桃の方から林道があり、キャンプ場手前まで軽のオフロード車なら登れる。現在は落石等でかなり林道が荒れているので通行は自己責任で慎重にお願いしたい。

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鉄塔付近で分岐となるので、北に進む。(この日は予想以上の残雪の為、手前でジムニーを乗り捨てて徒歩で向かった)

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ログハウスの横の炊事場施設。ここを利用したのは数十年前で終わったらしい。

廃墟と化したキャンプ場をていぴす殿と歩いていると、「サイレントヒル」というゲームを思い出した。
かつては、キャンプファイヤーと家族連れの歓声で賑わったこの場所は「忘れ去られたアウトドア施設」なのであろう・・・。

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辛うじて原形の残る洗い場。水道が引けないので貯水タンクが置かれている。水の補給も大変な作業だったようだ。

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展望塔は崩壊してしまった。往時の見晴らしはどうだったのであろうか?

我々は廃墟マニアでは無いが、時として廃村、廃集落、そしてこのような忘れ去られた高度成長期の娯楽施設の残骸を目にする。
少子高齢化が進めば、「限界集落」は増え、このような光景は更にふえるのだろうか・・・残念な気持ちで一杯となる。

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キャンプ場の北側に広がる広大な平場。ここが「橋ノ小屋」と推定される城跡である。

【城主・城歴】

史料・伝承等もなく、位置についてもはっきりしていないが、旧四賀村の教育委員会はこの場所を比定している。「猿ノ小屋」も「中ノ小屋」の奥というだけで位置は特定出来ていない。
会田岩下氏は小笠原貞慶の侵攻に対して召田城(覆盆子城)を急造しているが、ここはそれよりも更に奥になり、会田岩下氏やその家臣の家族を避難させた場所とも考えられるし、この場所の領民が戦乱を避けて逃げ込む場所であったとも考えられている。

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橋ノ小屋の中心部。この辺に小屋掛けでもしたのであろうか。

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橋ノ小屋の北側。この先の尾根を下れば大沢。

【城跡】

恐ろしく広い平場であり、人工的な加工は見当たらない。沢を挟んだ東側の尾根先にある中ノ小屋も、逃げ込み場所として指定され、女子供や老人の為に簡単な小屋掛けがなされたのであろう。
また、青木方面への連絡のための詰め所か一時的な待機場所として、会田岩下氏の逃避行の際にも立ち寄ったのかもしれない。

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標柱付近から南側。キャンプ場のテントを建てる平場としては申し分ない立地だが、今となっては不気味である。

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相方がいなければとても一人で探訪出来る場所では無かった・・・(汗) 廃墟の建物にクーさんが潜んでいるかも・・・(汗)

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鉄塔付近はまだ残雪が多く歩くのも難儀した。

数年前に読んだ「青木村誌」には、四賀村との境に連なる入山(1626.5m)⇒御鷹山(1623m)⇒十観山(1284.6m)には修験者の山道としての古道があり城跡と伝わる場所もあると書かれていた事を思い出した。

会田小次郎は小笠原軍の執拗な追撃により逃げるのを諦め、十観山(じっかんざん)で頂上より故郷の会田領を臨み生害したという。自害した会田氏の甲冑や刀剣、持ち出した財宝は侍従が十観山のどこかに埋めたという伝説が残るという。

十観山 017
十観山の山頂から見た会田虚空蔵山城と会田領。最後の瞬間に会田小次郎は何を思ったのであろうか。


≪橋ノ小屋≫ (はしのこや)

標高:1145m 比高:200m
築城年代:不明
城主;不明
場所:松本市中川矢久
攻城日:2017年4月2日
お勧め度:★☆☆☆☆
城跡までの所要時間:召田集落より林道経由で車で20分
見どころ:標柱、平場、廃墟のキャンプ場
注意事項:林道は自己責任で。途中の落石には注意。
駐車場:キャンプ場跡
参考文献:「信濃の山城と館④松本・塩尻・筑摩編」(宮坂武男著 2013年 戎光祥出版)
付近の城址:岩渕城、召田城、中の小屋、鳥の城物見など
Special Thanks to ていぴす殿



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Posted on 2017/06/06 Tue. 21:54 [edit]

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コメント

廃墟マニア

城址はともかく、キャンプ場の廃墟は痺れます。
朽ち果て具合が堪りません。
一人でここに行ったら背筋に冷たい快感が突き抜けるでしょう。

信州に限らず山間の集落付近では廃校跡とかに出くわすことが多く、悲しくなります。自然に帰って行くのでしょう。

ところで城館遺構はともかく、こんな山の上にしてはけっこう広い平場があるんですね。住民の緊急時の避難場所として整備されていたのでしょう。
貞慶オヤジ来襲時に多分使ったんじゃないでしょうか?

あおれんじゃあ #- | URL | 2017/06/07 22:31 * edit *

Re: あおれんじゃあ様へ

四賀村にはもう一か所笹沢城(松本市五常)の登り口にキャンプ場の廃墟がありますネ。
村おこしの一環としてキャンプ場への観光客誘致に力を入れたようですが、いずれも失敗に終わったようです・・・(汗)
高度成長期の過剰投資は、平成のバブル期とはまた違った哀しさと不気味さが混同しております・・(笑)

こんな山奥の僻地に、ブルドーザーで地ならししたような自然の削平地があるとは驚きました。

「貞慶の野郎、今回は結構しつこいなあー、とっと深志へ帰れよ!!」

そんな地元の領民の怒りが聞こえてきそうな場所でしたあ・・・(爆)

らんまる #- | URL | 2017/06/07 22:49 * edit *
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