らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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8年ぶりの鎌原城に驚く  

◆真田丸は終わっても嬬恋村の名所・旧跡として継続整備をお願いしたい◆

いまでこそ、真田氏関連の中世山城としてお城フリークの皆さんにだいぶ知られるようになった鎌原城(かんばらじょう 群馬県吾妻郡嬬恋村)ですが、小生が最初に訪問した2009年9月当時は、地元でもその存在を知る方はほとんどいなかった・・(汗)

2009年の当時の記事⇒鎌原城

場所が分からず、嬬恋村郷土史料館で尋ねても??。農産物直売のお店を開いていたおばあちゃんが辛うじて知っていただけ・・(笑)

2017年5月6日、ていぴす殿との上州遠征の帰りがけに8年ぶりに寄り道して見た。その変貌にビックリマンチョコであった。

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岩櫃城の本丸の標柱にも劣らない本丸の立派な標柱。家臣の城なのにネ。

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こちらは現在の岩櫃城本丸に立つ標柱。こちらも最近建て替えとなった(2017年7月撮影)

8年前は道路からの入口看板も無く、適当にキャベツ畑を30分も彷徨ってようやく発見したのに、今じゃ日本ロマンチック街道に道標があり、未舗装ながら農道も整備され駐車場もあるので、乗用車で迷うことなく到着できる・・・(汗)

羽根尾城・鎌原城 071
当時は何の標柱もないキャベツ畑の農道をひたすら歩いた記憶しかない・・。

8年の歳月で城跡はどう変わったのか比較してみましょう。

羽根尾城・鎌原城 067
2009年。堀切、二の丸(鉄塔付近)。本丸はほとんどが雑木林。

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2017年。堀切脇にも標柱が立ち、本郭は刈り払われてスッキリした。

羽根尾城・鎌原城 055
二の丸と三の丸の間の堀切。雑草が生い茂り形が辛うじてわかる程度。

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見事に刈られてバッチリ観察可。

羽根尾城・鎌原城 058
2009年は堀切の脇にひっそりと標柱と説明板があるのみ。

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掘脇の標柱も説明板も本丸に無事移転されました(笑)

真田丸には一度も登場することのなかった鎌原氏ですが、滋野一族の出自で戦国時代は上杉⇒武田⇒真田と仕え、最終的には沼田真田藩の家老となります。沼田真田藩が改易となると、上州街道の大笹の関守として明治まで続きました。

詳しくは⇒大笹関所

吾妻川の断崖を利用した崖渕の館城で、三の丸の虎口は喰い違い虎口であったというが、はっきりしない。
本丸の先端には笹曲輪、二の丸の東には堀を隔てて東曲輪があるので、マニアならそこまで踏み込むと面白いかと。

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この立派な標柱は8年前にもありました。

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個人的にはこっちの標柱がレトロでよろしいかと。

せっかく整備したので、ブームで終わらないように定期的な整備を臨みたいものです。

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駐車場には縄張付きの解説版があり、やる気十分だ(笑)

そして快く私有地を解放してくださった土地所有者の皆さんには感謝感謝でございますw

お近くをお通りの際は、鎌原観音堂・嬬恋郷土史料館とセットでお勧めです。


⇑鎌原城の駐車場はここ。誘導看板があるので、ここまで車で入れます。
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Posted on 2017/07/11 Tue. 21:08 [edit]

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コメント

こんばんは

鎌原観音堂と資料館、行きました!
観音堂の傍のお堂に土地の方が集まって、お念仏を唱えていらっしゃいました。
あの近くに、こんな城址があるんですね。
三の丸の標柱、朽ちて倒れてしまったんでしょうか。

万見仙千代 #YR4Ixzf2 | URL | 2017/07/12 20:11 * edit *

随分変わったですね。

これも真田丸のご利益ですね。
整備してくれるのは嬉しいですが、続きますかねえ。
それが心配です。
ここに行ったのは5年ほど前でしたけど貴殿の2009年の写真とほとんど同じです。
この城ですが、小生は牧場ではなかったかと思うのですが?
そういえば、俺のHP,この城、まだアップしてねえ・・。忘れてたわ。

あおれんじゃあ #- | URL | 2017/07/12 20:18 * edit *

Re: 万見仙千代様へ

天明の浅間焼けにおける鎌原村の被害状況が展示されている資料館は思わず見入ってしまいました。
鎌原堂で親を背負って石段を登る途中で被災した親子の亡骸にも衝撃を受けました。
先週の九州の集中豪雨災害にしても、いつの時代も天災には無力なんだと思い知らさせる今日この頃ですネ。

三の丸の追手の標柱は石柱に代わっていたので、それまで使用していた標柱が鎌原家の墓地の片隅に片づけられていました。
キャベツ畑に往時を偲ぶのも良いものですw

らんまる #- | URL | 2017/07/13 07:18 * edit *

Re: あおれんじゃあ様へ

往時、こんな痩せた土地しかも浅間山の爆発に晒された火山灰の多い台地ではロクな作物も育たず、師匠の仰せの通り、牧場だったかもしれません。それに鎌原氏のルーツは滋野一族なんで、牧の経営には秀でていたと思われます。

お役所仕事は、作るのは得意なんですが、その後の維持管理は全くダメ・・(汗)
この城址も数年後はどうなることやら。地元の方の善意だけが頼りの現状だと思われます。
少子高齢化で、キャベツ畑も滅亡しているかもしれませんネ。

らんまる #- | URL | 2017/07/13 07:25 * edit *
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