らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0803

楡沢山城② (別名:木曽義仲隠れ城 塩尻市楢川楡沢山・辰野町瀬戸沢山)  

◆果てしなき大熊笹の藪漕ぎに心が折れ、挙句の果てに城址を間違える寸前にまで追い詰められたラスト85分間◆

【山の神の怒りの痕跡の残る林道を歩く】

坊主林道(ぼうずりんどう)と名付けられた道幅の広い林道が、上伊那郡辰野町方面の牛首峠から楡沢山城の近くの標高1500m付近まで続いているのだが、この道を通行するには営林署の許可が必要である。仮に営林署の許可が下りたとしてもあちらこちらで寸断され、廃道に近い状態だというのが、実際に歩いてみて分かった。

楡沢山城 (6)
幅4m以上のしっかりした林道に驚く。高度成長期ならではの土木工事量に驚愕する。

楡沢山城 (10)
そして林道を進むとクーさんの新しい「ウンチ」に驚くのである。まあ、この辺に住んでいてもおかしくはないか・・・。

楡沢山城 (11)
標高1500mの林道にガードレールとは信じがたいがひたすら歩く。

楡沢山城 (12)
山の神の怒りに触れたような土砂崩落で林道が埋まっている。これじゃジムニーも通れないし戦車ででも厳しいか・・(汗)

坊主林道を歩く事35分。平地を延々と歩くのもかなり疲れる。当初は、城ヶ平の真西の直下辺りから坊主林道を離脱する予定でいたが、相方のていぴす殿よりショートカットコース経由での最終トライを提案される。
前人未到のルートに挑むという冒険心と、帰路に備えて体力温存という一石二鳥を狙った我らは、「八甲田山死の彷徨」の夏バージョンを体験する事となったのである・・・(汗)

楡沢山城 (9)
楡沢山城に通じる城ヶ平の真下に辿り着くには、気が遠くなりそうな距離を歩くのである。「悪魔の囁き」に抵抗しながら・・・。

当日のルート
当初ルートを変更した後の行程。どのみち、道など無かろう・・・というのが我々の一致した見解であった。

【人間の侵入を拒み跳ね返す急斜面を覆う一面の大熊笹との死闘】

信濃先方衆のルートの当日変更は時々行われる。地形図が読めるので、合理的なルートを探索する。(なるべくラクしたいだけだが・・・笑)

当初の計画である城ヶ平からの攻城ルートも事前の情報から笹薮漕ぎを覚悟していたので、どこから城跡を目指そうと笹薮は避けて通れないならどこからトライしても一緒ぐらいに思っていた・・・・・。

楡沢山城 (13)
ポイント③地点から見上げた変更ルートの尾根。10分後には地獄の大笹薮のお出迎えに閉口する。

残念ながら、心が折れてしまったので、途中の写真など一切ない。

行けども行けども終わる事のない急斜面の大藪漕ぎに体力的にも精神的に追い詰められていた。正直、もう止めたかった・・(汗)

「進退ここに極まる・・・・」 とはこのことであった。1,000以上の山城を踏破してきたのだが、ここで諦めるのか・・・。

我々は楡沢山城まであと比高150m地点にいた。戻るも地獄、進むも地獄。何が出るか分からない笹薮のラッセルも限界。

「ここまで来たらもう登るしかありません!!もう少しで稜線に出るはずです。」 相方のていぴす殿の声に救われた気がした。

楡沢山城 (16)
見渡す限りの大熊笹。何処にも迂回出来ない。急斜面の向こうに空は見えてもゴールが見えない恐怖との戦い。

楡沢山城 (17)
足が何度か痙攣してしまい小休止。もはや林道に戻る事も困難であった。

1,600ⅿの山岳地帯で藪漕ぎすること1時間。強靭な笹薮に押し戻され斜面に倒れながら、両足が痙攣しても這いつくばって何とか稜線手前に辿り着いた。

すると、傾斜が緩くなり熊笹の背丈もかなり低くなった場所に横堀状の窪地を発見。「ここから城域なのか?」

楡沢山城 (18)
横堀状堀状の窪地。

【到達した喜びも束の間、「ああ勘違い」で冷静さを取り戻し、偽ピークからホンモノの城跡へ】

極限に追い詰められると、そこから脱出したい一心で物事が冷静に見れなくなるらしい。

「横堀状の窪地」「段郭」「尾根筋のピーク」 苦難の末に辿り着いたのは、確かに城跡の条件が揃っていた地形だった・・。

楡沢山城 (20)
段郭らしき遺構。

楡沢山城 (25)
主郭と勘違いしていた平場。

楡沢山城 (33)
ここが城の遺構なのだと信用させるに十分な散乱した石積み跡。

宮坂武男氏の縄張図と、ていぴす殿が持参した「「木曽義仲の隠れ城」(龍門堂)に描かれた朝日ヶ峯城(楡沢山城)の縄張図を確認すると、類似した地形だったので、ここが城跡と思い込み、二人して疲労を忘れて写真撮りまくりだった・・・。

が、「待てよ、この場所の地形、何か違うなあー」  この直感は経験値の為せる第六感であった。

楡沢山城 (42)
ここがピークの1754m・・・??なんか違うよなあ・・・。

楡沢山城 (36)
見方によっては尾根の郭に対する切岸で、一段下は帯郭のようにも見える。

疲労困憊はピークに近かったが、尾根に出てしまえば勇気凛凛で頭は冷静さを取り戻した。(ってか、アンパンマンかい!)

スマホのアプリの国土地理院の現在地は、「城跡の手前」を指している。

「さあ、先を急ごうか・・・・・・・」 この事であった。

楡沢山城 (3)
当日のオンタイムのスクリーンショット。ピークはまだ先なのが認識できると思うが・・この時はクライマーズハイだったようだ・・(笑)

危うく城跡を誤認するところだった我らは、腰まで埋まる笹薮の平原をピーク目指して進み、ようやく城跡に辿り着いたのである。

次回衝撃のラスト、「笹薮は、もうお腹一杯・・・そして伝説へ」を待とう・・・(笑)

楡沢山城 (23)
標高1700mの山岳の連なる高地に築城する必要もないし、横堀も必要ないと思うのだが・・・。





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Posted on 2017/08/03 Thu. 22:23 [edit]

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