らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0820

小幡陣屋 (別名:楽山園 群馬県甘楽郡甘楽町)  

◆信長公の次男信雄が非凡なる才能を示した美しい大名庭園◆

偉大な親父を持った息子の苦悩なんぞ、他人には分かる訳がない。

その親父が後継者として指名した長男ともどもあっけなく討死してしまったら、本家を継ぐと言いだしたものの心の準備など無理であろう。御神輿に担がれたまでは良かったが、百戦錬磨の妖怪たちに翻弄され坂道を転がり落ちてしまった。

今回ご案内するのは、土壇場で踏みとどまり家名を明治維新まで存続させた織田信雄の作と伝わる「楽山園」(らくさんえん)。

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楽山園の注文。高さ7m、門柱間4.5mで、屋敷の公式な出入り口であったという。

【立地】

信濃との国境の秩父山地から東へ派生する関東山地の稲含山を源流とする雄川(おがわ)が、富岡市で鏑川と合流する3km手前の小幡地区の河岸段丘上に位置する。陣屋の西側は雄川を挟んで紅葉山があり屏風の役目となっている。
江戸時代初期の築城で、小幡藩の藩邸として行政上の拠点としての機能なので要害性はあまり考慮していないようだ。

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中門を内側より撮影。意外と「門フェチ」だったりする・・(笑) 門の内側は桝形。

【藩邸とその周辺の構築物】 

建物は現存していませんが、藩邸としてある程度の軍事的な防御機能はキチンと施してあり、有事の際に備えています。といっても一時的な抵抗の為のものでしょうか。
それではツラツラと写真紹介しましょうか・・・(笑)

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中門の枡形を抜けて分岐点①。庭園よりもこの石垣と土塁にどうしても目が向く。

全体図①
パンフレットからの全体図。結構広い庭園なので、この図に基づいて掲載してみましょう。


元図①
入口の中門とその付近。

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西側より見た拾九間長屋。藩邸の使用人たちの居住地。現在は事務所と資料館になっている。


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この日の午前中に雨天決行して登った小幡氏の居城だった国峯城が背後に見える。ってか何で餅つき大会?

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庭よりもこのアングルに萌える・・(笑)

元図②
参考にしてください・・・

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北裏門。出口専用なのでご注意。

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北隅には作事小屋跡。

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分岐②から見た御殿(藩邸)方面。背後中央の山は国峯城(しつこい・・笑)

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藩邸北側の区画。

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藩邸跡(御殿)。奥に見える建物は「梅の茶屋」

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桶屋長屋から見た藩邸跡と庭門。中央奥の山城は「●●城」です・・・ハイ、正解ですw

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金明水井戸とその周辺。

【楽山園について】 ※甘楽町作製のパンフレットより引用

江戸時代初期に織田氏によって作られた小幡藩邸の庭園。池泉回遊式(ちせんかいゆうしき)の借景庭園で、「戦国武将庭園」から「大名庭園」へと移行する過渡期の庭園と位置付けられ、京都の桂離宮と同じ特色がある。

元図③
チョッと見づらいですが、ご参考までに。

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南東から見た昆明池を中心とした庭園。

「景石」の置かれた池を中心として、「中島」や「築山」を築いて起伏のある地形を造りだし、「梅の茶屋」や全国的にも珍しい五角形の形状をした「腰掛茶屋」など複数の茶屋を配し、それらを巡る園路にも工夫を凝らしています。

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梅の茶屋から見た庭園。

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梅の茶屋から見た五角形の腰掛茶屋。織田一族は多角形が好きなんだ。

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梅の茶屋から見た南東庭園方面。

借景庭園としても秀逸で、庭園の西側にある雄川(おがわ)を挟んで紅葉山、南方の連石山、熊倉山などの山並みを借景として取り込み、豊かな広がりを演出している空間構成は、「庭園美」の極みと言えます。

さらに、複数の茶屋を配していることから。「織田氏を茶事」との関連も深く伺うことができ、歴史的・文化的にも価値のある庭園です。

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背後を流れる雄川とその背景。残念ながら雨天の為「借景」は一部のみ。

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梅の茶屋。詫び寂びが分かる年頃になりたい・・・(笑)

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梅の茶屋の内部はこんな感じ。

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南東庭園の築山と泉水(せんすい)

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南東庭園の築山の上から見た風景。「借景」とは背後の山を借りたこのような構成をいうのであろうか。

楽山園という名前の由来は、「知者(ちしゃ)ハ水ヲ楽シミ、仁者(じんじゃ)ハ山ヲ楽シム」という「論語」の故事から名付けられたといわれています。群馬県内に唯一存在する貴重な大名庭園で、国の名勝に指定されています。
(※引用終わり)

≪小幡陣屋≫ (おばたじんや 楽山園)

標高:210m 比高:-m
築城年代:江戸時代初期
築城・居住者:織田氏
場所:群馬県甘楽郡甘楽町小幡648-2
攻城日:2017年8月15日 
お勧め度:★★★★★ (満点)
館跡までの所要時間:- 駐車場:無料 入園料:300円
見どころ:庭園、藩邸跡など
注意事項:特になし
参考書籍:甘楽町パンフレットなど
付近の城址:国峯城、内匠城、八幡山砦など
SpecialThanks:清之介様(ブログ情報を参考にさせていただきました)⇒そよ風訪城日記

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史料館に展示してある復元模型。



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拾九間長屋(資料館)の小幡藩初代藩主織田信雄公の木造。信長公の文化人としての才能の血を受け継いだのであろう。
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Posted on 2017/08/20 Sun. 11:31 [edit]

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コメント

信雄くん

以前行った時より随分整備された感じです。
信雄さんというと「清州会議」で妻夫木が演じたアホぶりが強くイメージされますが、この庭園を見ると武家とは違う才能が感じます。

彼は武人として才能がないと悟ったから逆に生き残れたのかもしれません。今川氏真さんも同じだったのかも。
逆に武人としても才能が中途半端にあったから武田勝頼さんは滅亡してしまったのかもしれません。まあ、運もあったのでしょう。財力のバックアップがなかったのも一因かもしれませんけど。

あおれんじゃあ #- | URL | 2017/08/24 23:31 * edit *

Re: あおれんじゃあ様へ

「清州会議」は小生も観ました・・・面白かったですね。大泉秀吉や柴田勝家もツボでしたが、妻夫木信勝はデフォルメし過ぎて「いいのかなー」なんて思ってました(笑)

信長配下の必死の家臣団から見れば、信雄さんはまさしく「お坊ちゃま」で信長の家系でなければとっくに打ち首でしょうか‥(汗)
家康も飽きれる「バカ殿」ぶりは常人を超越してましたが、この庭園を見れば文化人としては一流だったんだなあーと思いました。
自分の能力を過信せずに変化に対応出来たからこそ、織田家を幕末まで導いたのでしょう。

後世の評価はもうちょっと何とかならないものかしら・・・(笑)

らんまる #- | URL | 2017/08/25 21:31 * edit *
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