らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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岩村城 2017再訪記  

◆10年ぶりに訪れた境目の堅固な山城に感動が蘇る‥◆

先日敢行した「美濃の山城弾丸ツアー」の当初のリストには無くて、相方のていぴす殿が未訪だというので急遽加えられた岩村城。

小生は約10年前の1月に、大坂への出張の帰りに立ち寄った場所である。

みぞれ交じりの雪に覆われた堅固な石垣の城の幻想的な美しさに囚われの身となり、得体のしれない邪気にも取り憑かれた因縁の城でもあった・・・(汗)

岩村城2 (1)
復元された藩邸跡の城門と太鼓櫓がお出迎え

岩村城の探訪記は「美濃の城」の「岩邑城①~岩邑城⑤」に連載しているので、今回は写真と前回と違った視点で見た場所を記載してみたいと思う。

岩村城2 (4)
ではこの案内図をご参考に・・・。

岩村城2 (6)
ピンボケの藤坂。前回訪問時の事件発生場所。やはり何か見えない力で空間が歪んでいる・・・(汗)

岩村城2 (7)
攻城兵にクランクを強いる初門。

岩村城2 (9)
一の門。攻城兵を高石垣から狙い撃ちする位置にあるが、何かチョッと変だなあー。

岩村城2 (11)
良く見れば、二段の高石垣が孕んで崩落しそうになっている。五百年の歳月に耐えてきたが、限界なのか?

【車で本丸まで乗り入れできる事への賛否】

小生も、「ならば楽して山城見物にあやかりたい・・」という不埒な願望に苛まれているが、岩村城の本丸に車で乗り入れ出来る事は今回の下調べで初めて知った。
足弱のご老人や身体障がい者への配慮であったとしても、遺構を破壊してまで本丸への車道の開通が必要であったか?というのは極めて疑問である。

観光客の中には犬の散歩をさせている場違いな方もおるし、全く歴史や城に興味のない子供が親にブーイングしている光景も目にした。竹田城と同じく観光地化が著しいのだと実感するが、このままでは、六段壁の崩落も時間の問題であろうか・・・。

岩村城2 (14)
思いっきりヘアピンカーブさせた通路を塞ぐ「土岐門」。この門の石垣は年代の違いを物語っている。

●畳橋・大手門・三重櫓

岩村城の最も防御が厳重な箇所だ。天主の代りとなった望楼の三重層櫓はここに置かれ、畳橋は木製で有事の際には破却され攻城兵がキルゾーンの阿鼻叫喚地獄に陥るのである。

岩村城2 (15)
大手門の石垣。ここもかなり傷みがひどく修復しなけれなならないようである。

岩村城2 (16)
大手門と三重櫓の石垣。

岩村城2 (17)
畳橋が架かっていた場所。

岩村城2 (19)
晩秋や冬の趣も良いが、時代の違う苔むした石垣を鑑賞できる夏も良いと思う。

岩村城2 (20)
夏場の石垣も悪くないねえ・・(笑)

●謎の三層張りぼて櫓?

車で岩村城に向かっているときに、山裾から岩村城址に何やら怪しい三層の櫓を見た。目の錯覚だろう気にしなかったが、まさか「ここで逢ったが百年目」になるとは思わなかった・・・(笑)

岩村城2 (22)
秀吉の小田原城攻めの石垣城(一夜城)を彷彿とさせる「張りぼて」の三層櫓。

岩村城2 (25)
いったい、何年前に作られたの?

岩村城2 (26)
けが人が出る前に撤去を希望します・・・(汗)

●名所「六段壁」も窮地に・・・

深刻なのは、「六段壁」の石垣も補修が必要になっている現状であろうか。
五百年の歳月の劣化であれば致し方ないが、押し寄せる観光客の無用な登壇によるものだとすれば人的災害であろう。
早急な復帰を望みたい。

岩村城2 (34)
真っ赤なスコーンが痛々しいし、史跡にはそぐわないものである。

岩村城2 (36)
「六段壁」は、最上段の石垣を支える為の土留めとして拡張され続け、六段になったのだという。

●美しき城の中枢部

埋門(うずみもん)を多用する本郭周辺は岩村城独特の構築であろう。武田支配下の秋山虎繁時代の岩村城の縄張りは近代城郭への改修により上書きされてしまい見る影も無いが本丸の位置は代々踏襲されたものと推測される。

岩村城2 (38)
二の丸門。石垣が強力な防御構造であることを思い知る瞬間である。

岩村城2 (41)
二の丸と本丸の接続部分。

岩村城2 (47)
本丸から見た埋門の枡形。

岩村城2 (54)
岩村城の本丸。降って湧いた観光客の切れ間をぬっての撮影。

岩村城2 (58)
岩村城の本丸その2。

●美しき石垣の山城

とかく忘れがちなのは、この城が山城であることだ。これだけの高所に石を運び石垣を造作するのはかなりの難作業であったと思われる。

岩村城2 (63)
六段壁に繋がる美しい二の丸の側壁。

岩村城2 (65)
出丸(駐車場)側の壁面を形成する二段の美しい石垣。

岩村城2 (66)
出丸側から撮影した本丸の側壁。


●中世山城の遺構

秋山時代の中世の山城の遺構を求めて、我々は出丸の隣の南曲輪に突入した。
石垣に魅了された我々ではあるが、土の城探索となると何故か嬉しくなる・・・(笑)

岩村城2 (72)
南曲輪の最初の堀切跡。

岩村城2 (79)
南曲輪を探索するも藪が酷く写真は無理っぽい。

●再訪によせて

「境目の城」・・・我々はその言葉の響きに、その時代の背景を思い起こしてみる。

織田方との最前線にあった武田方の近畿方面作戦司令官「秋山虎繁」はここで何を想い、そして散ったのであろうか・・。

岩村城2 (80)

さほど険しい山城ではありませんので、坂道と石垣を楽しみながら散策して見て欲しいお勧めの山城ですw

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Posted on 2017/08/27 Sun. 22:34 [edit]

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コメント

こんばんは

岩村城
張りぼての櫓にはおどろきますね。
その他の場所は、悲惨な末路を辿った人たちがいたにふさわしく、何とも暗い感じですね。
石垣は素晴らしいですね。
何にも分からないながら、石垣の素晴らしさは分かります・

万見仙千代 #YR4Ixzf2 | URL | 2017/08/30 20:03 * edit *

Re: 万見仙千代様へ

観光客の減少に歯止めをかけたいという願いの張りぼての城・・・気持ちは分かりますが、遠目から見てもよくわからん(笑)。

信玄公の幕下の秋山時代の遺構もほとんどなく、出丸の隣の南郭に僅かにかつての面影が偲ばれる程度です。
見どころである石垣の傷みは酷くて、国指定史跡なので復旧工事があるようですよ。

時々石垣の城も「いいなあー」なんて密かに思ってますw

らんまる #- | URL | 2017/08/30 22:52 * edit *

岩邑城と書く?それとも岩村城?

@らんまるさま

東美濃への越境見学、お越しいただきありがとうございました。
やはり他県から足を運んでいただくと嬉しく思いますね。

城そのものの雰囲気と風光明媚さや整備度の違いもあって、ここのところ岩村城と苗木城の人気は逆転傾向にあるようですが・・。

「岩村」は地元民は意識するかしないか、なぜか「岩邑」という字を使います。これ結構読めない方が多く、戸惑われること度々です。

さて、秋山時代の遺構、なかなか埋もれてしまったようです。
本丸から派生している尾根筋の遺構は恐らく戦国期のものとみられ
近世は放置されていた分、良好に残っているようです。
らんまるさんが足踏みした南尾根の遺構もそのひとつでしょう。

らんまるさんがご指摘されるとおり、車道が付けられている尾根は破壊されてしましましたが、水晶山との連絡を断ち切る大堀切や大切岸などは当然あったものでしょうに、残念です。

ともあれ、地元民以上の観察記や旅情感にあふれた記事には感激しました。またお時間がございましたら美濃へお越しくださいませ。

久太郎 #- | URL | 2017/08/31 21:23 * edit *

Re: 久太郎様へ

岩邑城って書くのが正統派と思い、最初の記事はそれを使いましたが、確かに一般的には読めませんネ・・・(汗)

そうですね、小生が訪問した10年前は中津川周辺では岩村城や明智城の知名度が高く、苗木城の存在は正直知りませんでした。
あの張りぼての城は、岩村城の危機感の表れなんでしょうか?
そんなことしなくても、境目の城として実戦を経験してきた経験値は揺るがないし、時代の変遷を物語る石垣も儚く美しい残像だと思うのですが、それだけじゃダメなんですかねえ。

以前訪問した時には明智鉄道も乗りましたよ。上田市の別所線に似た風情がありとってもローカルで好きな電車です。

「美濃は遠くにありて思うもの」でなく、これからは遠くても積極的に訪問したいと思います・・(笑)

らんまる #- | URL | 2017/09/01 06:24 * edit *
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