らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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茶臼山陣場 (長野市篠ノ井有旅)  

◆第四次川中島合戦における武田信玄の本陣跡◆

増え続ける城跡の訪問数にブログの更新が追いつく日が来るのだろうか・・・・毎日アップしたとして2年はかかりそうだ・・(汗)

明日の事は誰にも分からないので、せめて心残りの無いように精進するとしよう・・(笑)

今回ご紹介するのは、4年前に訪問した武田信玄本陣跡と伝わる茶臼山陣場。もはや当時の記憶など断片的でしかない・・(汗)

茶臼山陣場 (1)
長野市篠ノ井駅から県道86号線に入り茶臼山動植物園の入口を過ぎて信里小学校前を右折し農道を200mほど入る。Y字路を左へ

【立地】

長野市篠ノ井の西方丘陵上に茶臼山がある。この山稜は南北に伸びる 平頂山稜で、現在では茶臼山北峯(標高730m)のみ姿を見ることができるが、地すべ り発生前はその南に並んで茶臼山南峯(推定標高 720m)が存在していた。この南峯の 頂上が割れ、東側の斜面に地すべりが発生し失われた。現在地形は大きく変わってしまったが、この山上の平坦地一帯が川中島合戦時の陣場跡と考えられている。

茶臼山陣場 (2)
稜線に沿った農道の北側に旗塚の標識が見える。

茶臼山陣場 (4)
稜線の北側は地滑りで崩落しているが、その内側に数ヶ所旗塚が残っている。

【城主・城歴】

「長野県町村誌」の旧石川村の古蹟に「茶臼山の砦」で、「村の北方にあり。東西十間南北九間の平坦にして四郡を一望に観る。中央に大山祇命を祭る。里俗伝に永禄四年(1561)九月甲越戦争の際武田信玄は本郡有旅村の茶臼山に本陣を据へ、弟刑部小輔信廉此砦に将となり、以て上杉謙信が妻女山の動静を候がひしと云ふ。」とあり、「茶臼山砦ノ図」が載っている。
隣接する山布施村にも川中島合戦における信玄の本陣との言い伝えが残り、ここを有旅城とする説もあるが、それらしい遺構は見当たらない。

茶臼山ノ砦
「長野県町村誌」に掲載されている茶臼ノ砦図。※長野県町村誌より転載。

茶臼山陣場 (5)
No.8の旗塚。旗塚は全部で9基あったようだが、現地で確認出来るのは6基のみである。

【城跡】

茶臼山の北嶺の山頂はここから北東350mにあり、その間の部分は地滑りで大きく崩落している。ここの山頂部は狭く南側を除く三方は地滑りで出来た崖に囲まれかつての面影は知る由もないが、昭和初期の写真には崩落前の南峰と北峰が写っている。
これだけの旗塚があれば、北峰と南峰の稜線の間に砦としての遺構が残っていても不思議でないが、大規模な地滑りで崩落している現状では確認のしようがない。
大軍を率いて武田軍が陣地として布陣したのは、旗塚のある稜線から信里小学校までの緩い南向きの台地上と推測される。ここからは川中島の様子が手に取るようにわかる位置である。

茶臼山陣場 (16)
武田軍が駐留したであろう南斜面。

茶臼山陣場 (26)
旗塚の東端には武田信玄陣場跡の石碑が建立されている。

茶臼山陣場 (21)
尾根の稜線の北側は抉れるように崩落している。

茶臼山陣場 (22)
指呼の間に川中島が見下ろせる。

茶臼山陣場 (24)
尾根先は断崖に囲まれているが、かつてこの先に南頂と東小屋があったらしい。

【茶臼山の地滑りについて】 ※長野市立博物館のHPより引用

地すべりの発生は、1847年(弘化4年)の善光寺地震によって地下に割れ目が生じたことが原因と考えられます。1884年(明治17年)に南峰頂上に地割れが生じ、その後山体の東側が徐々に沈みはじめ、山腹の各所にも亀裂が生じました。1930年(昭和5年)になると、梅雨期の長雨を契機に地すべりが活発化し、地すべり地上部全体で移動が始まりました。その後長いあいだ地すべりが続き、地すべりの先端は2km下の山麓まで達しましたが、1965年(昭和40年)から深井戸や排水トンネルの掘削などの強力な排水工事が実施されたことにより、次第に安定化しました。地すべりがおさまった後、広大な地すべりの跡地は恐竜公園や自然植物園として整備され、市民の憩いの場となっています。

茶臼山陣場 (25)
ここから北峰の頂上を目指す事も出来るようだ。

妻女山に陣を敷いた謙信が動かないのを見た信玄は、茶臼山の陣を引き払い海津城へ入城したという。
その後、謙信が妻女山から霧に紛れて兵を移動させ、武田軍の背後を突き、大規模な軍事衝突となるのである。

茶臼山陣場 (18)
石碑の横に「川中島の戦いゆかりの会」の方々が建てた解説版があります。


≪茶臼山陣場≫ (ちゃうすやまじんば)

標高:699m 比高:50m (信里小学校より)
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:長野市篠ノ井有旅
攻城日:2013年2月3日 
お勧め度:★☆☆☆☆
本丸までの所要時間:10分 駐車場:なし
見どころ:旗塚、石碑
注意事項:転落注意
参考書籍:「長野県町村誌」
付近の城址:石川城、二ツ柳城、須立之城、飯森城、篠の城

茶臼山陣場 (32)
茶臼山陣場遠景。(奥の右側の峰が茶臼山の北峰)



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Posted on 2017/10/09 Mon. 06:09 [edit]

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コメント

茶臼山の山頂行った?

当然、この後、茶臼山の山頂に行ったよね。
あそこに長大な横堀があるんだけど・・
でも、何となく中途半端だけど。
あ!次の記事か?

あおれんじゃあ #- | URL | 2017/10/09 21:11 * edit *

鎧は胸に、借金は肩に、あれ?

すごい、ここで信玄公たちが重臣たちとズラリ並んで
川中島を睨んでいたなんて、ゾクゾクしますね。
「風林火山」の幟もはためいていたかとおもうとワクワクしてきますよ。

なんだか、久しぶりに映画 「天と地と」 を観たくなりました。
・・なんでこれからツタヤ行ってきます。
「手柄は脚にあり!」、ということで走っていこ!

久太郎より #- | URL | 2017/10/10 00:03 * edit *

Re: あおれんじゃあ様へ

そういえば、師匠の記事で北峰に何か遺構があるって書いてありましたネ。今度近く通ったら登って確かめたいと思いますw

なので次の記事には登場しません・・・(汗)
当分、在庫処分のような記事が続くと思います・・(笑)

らんまる #- | URL | 2017/10/10 07:26 * edit *

Re: 久太郎様へ

確か三船敏郎が山本勘助を演じてた映画ですよネ。あの兜がカッコ良くて、当時プラモデルを購入した記憶があります。
しかし、鎧フェチになれなかった・・・残念・・・(笑)

新しく始まる水戸黄門の主人公の賛否両論はともかく、時代劇とか、合戦映画が好きなのは日本人のDNAかしら。
「関ヶ原」観ました?小生はどうも黒田官兵衛が西軍の総大将になった錯覚を恐れ、ほとぼりが冷めたころにレンタルで見ようと思います。

らんまる #- | URL | 2017/10/10 07:36 * edit *

山本勘助、「天と地と」では今は亡き、夏八木勲氏が迫真の演技でした。
(今日観たから言える)
三船敏郎氏演ずる勘助は「風林火山」だったと記憶しております。
例の・・あの2本角の兜ですね(笑)。
最近は内野聖陽さんの勘助が印象深いですかね。

皆さん、片足の不自由さの演技が共通して上手い!ですよね
(役者さんなんで当たり前ですか・・)

「関ケ原」は公開日に奥方と観に行ってきましたよ。
岡田クンはホント、いい男でかっこいいのですが、やはり官兵衛のイメージがまだまだ強いし、もっと言えば「永遠の0」の宮部久蔵だったりで・・。
ちょっと映画に出過ぎですね。(笑)
イメージは引きずりますからね。
ほとぼりが醒めたら是非観てみてください。ボリューム大きめで、がポイントです。(観ればわかりますが・・)

私はドラマ「おんな風林火山」が一番好きな時代劇です。

久太郎より #- | URL | 2017/10/10 23:17 * edit *

Re: 久太郎様へ

ご確認いただきありがとうございました。この歳になるともの忘れが侵攻進行しているようで・・・(笑)

長野県民は征服されちゃったせいか、アンチ信玄派が多いようです。でも、武田家の領国統治の手腕はたいしたものだし、信濃の険しい山城を各個撃破していく山岳ゲリラ戦は謙信も及ばない。結構ファンだったりします。

役所さんも某宝くじCMの牢人がハマり役のような気がします。関ヶ原は真田丸メンバーで何年か後にリメイクして欲しいですネ。

小生の戦国好きのきっかけは某国営TVの「国盗り物語」でした。近藤正臣の明智光秀、最高でしたよ。本多佐渡も名演でした。
やっぱ時代劇はいいですねぇ。小生もDVD借りに走りますか・・・(爆)

らんまる #- | URL | 2017/10/11 07:44 * edit *
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