らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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鷲尾城 (東御市新張奈良原)  

◆「図解山城探訪 第三集 上田小県資料編」のトップに掲載されていた城◆

今さら何を・・・と思うかもしれないが、小生の山城への情熱のスイッチを押したのは宮坂武男氏の「図解山城探訪」シリーズである。(当時は非売品、県内の図書館でも館内閲覧のみで貸出禁止のところが多かった)

現在は「信濃の山城と館①~⑧」(戎光祥出版)として2012年度より随時内容も改訂され限定数量ながら販売されているが、今も長野県の山城の第一級資料としてゆるぎない地位を確立し山城ファン垂涎のバイブルでもある。

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今回ご案内する山城は、小生が初めて東御市の図書館で拝見した「図解山城探訪 第三集 上田小県資料編」の一番目に掲載されていた山城である。取り立てて比高が高いとか奥深い山だとかでもなく、何回かチャレンジする機会はあったものの何故か後回しとなり、東御市における未訪の城として唯一残っていた。「いつでも行ける」と思うか「今しか行けない」と思うか・・・心掛け次第であろう・・・(笑)

図解 山城探訪 第三集 上田小県資料編 (102)
「図解山城探訪」では1番目の山城だったが、改訂出版された「信濃の山城と館」では4番目に変更されている。

【立地】

東御市から地蔵峠を越えて群馬県嬬恋村鹿沢に通じる県道94号線の途中の奈良原集落の西側「鷲尾山」の山頂に築かれている。比高は麓を流れる所沢川より約150m程度である。

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奈良原集落からの鷲尾城遠景。右のピークが主郭。

【城主・城歴】

立地から祢津氏の本拠地である祢津下の城・上の城の詰めの城と考えられてきたが、簡素な縄張で改修された跡もないので祢津氏に属する在地土豪の城であったようだ。

大正十一年発刊の「小県郡史」には鷲尾城址として「祢津村新張區(ねつむらみはりく)小字楢原の西山なる鷲尾の山上にある山城なり。麓より登ること約五町にして本郭に至る。本郭は東西十間、南北一町。二郭は東西狭き處にて五間廣き處にて十間、南北に二町に亘り段あり。城跡中堀切二條あり。石垣の残るあり。先なるを鷲尾城といひ、後なるを萩城(はぎのしろ)といふ。新張の聚楽より一里十町の山奥にして僻阪の地たり。所傳を聞かず」とある。

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最近東斜面全体が伐木されたようだ。比高100mぐらいなら直登でも何とかなりそうと腹を決めて登る。

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藪の直登も厄介だが、禿山の急斜面の直登も掴む枝や木が無いので「転落注意」。

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「ういやつ」のジムニー君がゴミのように見える高さである・・(汗)

何だかんだ20分間急斜面を直登して二郭へ到達。尾根部分も伐木されていて遺構が鮮明に見易くなっていたのは有難いのだが、来年の夏は藪化必死であろう。そうでなくとも斜面に蔓延る棘科の植物に刺されまくって直登したので「こりゃ痛そう・・」

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二郭南端の岩を利用したと思われる木戸。ここが城域の南限らしい。

【城跡】

段差のある郭を二つ繋げ、主郭の前後を堀切で断ち切った簡素な縄張の山城である。小県郡史(ちいさがたぐんし)では、主郭を「萩城」南側の二の郭を「鷲尾城」と記載しているが連続しているので一つの城であろう。南限には岩を利用した木戸が設けられ、北側の鞍部方面にも天然の岩石を削り出して防御構造としている。

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木戸の南側の削平地。

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木戸側より見た二の郭。削平は曖昧だが結構な広さだ。

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伐木されたおかげで眼下に奈良原集落が良く見渡せる。

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二の郭と主郭の間には高低差を利用した堀切があるが短い。

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主郭側より見下ろした堀切。かなり浅くなってしまったようだがこの城では最も大きな堀切である。

主郭は堀切側に土塁の遮蔽を付けて二段の長方形を成している。北側には岩で虎口を作り更にその先に堀切を穿っている。

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主郭と南の堀切側の遮蔽土塁

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北側より遮蔽土塁を撮影

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本郭北側の虎口。左右を土塁と岩石で守っているのが分かる。

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虎口を北側より撮影。小さな山城だけど上出来だネ(笑)

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虎口を抜けると落差を利用した岩盤堀切。結構鋭い。

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堀切の先は岩が剥き出しの痩せ尾根が続く。

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痩せ尾根の北の先にある岩盤堀切。ここまでが城域であろう。

さて、如何でしたでしょうか?

在地土豪の簡単な物見または逃げ込み城的な簡素な作りですが、こんな高地集落にも城が必要だったとは驚きです。

それにしても6年も7年も放置した甲斐があってか、伐木されてスッキリした遺構が見れて良かった。

結論として、「いつ行くの?」   「今でしょ!」  (古いなあー 笑)

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何とご褒美には城跡から「富士山」が拝めましたよ!


≪鷲尾城≫ (わしおじょう 萩城)

標高:1236mm 比高:150m (所沢川より)
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:東御市新張奈良原
攻城日:2017年12月3日
お勧め度:★★☆☆☆ 
城跡までの所要時間:20分 駐車場:墓地の駐車場借用(墓地までは軽自動車じゃないと無理かも)
見どころ:堀切、土塁、眺望
注意事項:伐木用の作業道が途中まであるが、最後は斜面を直登する。
参考文献:「信濃の山城と館③上田小県編 宮坂武男著」 「小県郡史」(大正十五年)
付近の城址:祢津支城、祢津下の城、祢津上の城、矢立城など

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まあ、こんな感じかしら。

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場所はここです。





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Posted on 2017/12/10 Sun. 11:17 [edit]

CM: 8
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コメント

この時期、枯れてていいんですが、枯れすぎも困ったものです

小さくみえるのも、うい度アップの要素ですね。
図説山城探訪、相模のM先輩が信濃の国の図書館にコピーに通い、顔パスになったという逸話があります。
1番の城、先の殿城山城もそうでしたが、土豪の城といっても、堀を堀り、土塁を盛り、虎口を構えて、体裁は整えるんですね。富士山を望む眺望、眼下の美しき信濃の里を見ると、殺伐とした機能ではなく、ある程度の身分の者が憩う別荘のような用途のほうを想ってしまいます。
先週鳥打峠から金井山城へ登りましましたが、落葉に埋もれた岩尾根で、経験したことのない修行となりました。藪を疎んじていましたが、掴まることができる草木の有難さを思い知りました。、

えいき #- | URL | 2017/12/10 20:25 * edit *

Re: えいき様へ

「甲斐の国からなんぞ武田さんが攻めてくるらしいから、見晴らしの良き場所に砦でも作るべさ」
この辺の田舎土豪衆はそんなノリだったのかもしれませんね(笑)

小生も2年前に鳥打峠からの金井山城に挑みましたが、あっさりと登れてしまい拍子抜けした記憶があります。
まあ、最も往時はもっと鋭い断崖だったとは思いますが・・・。

それにしてもこの趣味の醍醐味は、両手両足を駆使して獣道に目を凝らし必ず生きて帰ると誓う事でしょうか・・(爆)
下仁田町の山城群も大変危険な場所だということを最近知りました・・(汗)

らんまる #- | URL | 2017/12/11 07:49 * edit *

う~ん、直登したい・・。

宮坂さんの業績は人間国宝級ですよね。
出典のある城はもちろん、城郭呼称地、類似遺構、参考地、伝承地までもう行きつくしてしまわれたのですものね。
近年は信濃の境目の城の方にも研究意欲がみられ、ただただ脱帽してしまいます。
私も安曇郡より下の地域の巻は購入して参考にさせて頂いております。
(上田や佐久は遠くてなかなか・・)
お父さんのお小遣いではなかなか買いそろえることができません。(笑)

鷲尾城、細尾根を利用したなかなかベーシックな土豪の城、といった感じですね。これだけ伐採してあると見学しやすそうですし、眺めも抜群ですね。主郭部から富士山が見えるなんていいな~。

、で、「いつ行くの?」 「無理でしょ!」(笑)  

らんまるさんへ #- | URL | 2017/12/11 22:02 * edit *

Re: Q様かしら?

お名前が無いのでおそらく文体から推測すると美濃のQ様かとご推察申し上げます。

長野県でも教育委員会が昭和30年~40年代にかけて中世城郭の調査をしたようですが、結構いい加減でさすがお役所仕事って感じでした。(現在もこの資料は見ることが出来ますが、誰も振り返りません)宮坂武男氏の「図解山城探訪」を素人の小生が探訪して写真付で皆さんにご紹介出来ないものだろうか?という事から私のブログがスタートしました。そんな無謀な大志を抱いて良いものか?という葛藤はありましたが、当時は信濃の山城を専門に取り上げたブログやHPはほとんど無かったのでそういう意味での先駆者になりたいという「信長の野望・信濃編」みたいなヤマシイ下心もあった訳で・・・(笑)

なので、大枚はたいて購入した宮坂本は遺産として誰か引き継いでくれ!と家人に告げても誰も相手にしてくれません(笑)

松代町にある石積みの鷲尾城と比べるとシンプルですが、こういう山城も紹介するので何とか後世に語りついでいただきたい・・・そんな親心ですかネ。無理とは言わずについでで探訪お願いしますネ!

らんまる #- | URL | 2017/12/12 08:56 * edit *

すみません、Qめにございます・・。

あまりの興奮に名前を入れ忘れる、という失態。
文脈から逆探知されるなんて、さすがですね。

ところで、こちら美濃にも美濃版・宮坂氏といってもよいぐらいの大先生がいらっしゃいます。
熊澤さんという方で、お名前ぐらいはご存知かもしれません。
らんまるさんが最近いらした小里城にも先生の縄張り図が立ててあります。
熊澤さんとは飛騨の松倉城にて運命的な出会いをしまして以来、熊澤先生に師事して縄張り図の描き方や鳥瞰図の描き方を叩き込まれました。(笑)
業績はすごいのに、あまり表立って執筆したり講演などをされないので
生涯現場主義のひたむきな方です。美濃・飛騨のありとあらゆる城をめぐり、次々に新しい城を発見されております。
ご自宅に訪問すると、書斎ならぬ、城の部屋(笑)がありました。

先生曰く「どんな山城でも何とか後世に語りついでいきたい」
皆さん、そんな共通する思いがありますね。

長くなってしまいましたが、私のルーツはこの先生のお蔭様だと感謝しております。Qよりでした。

久太郎より #- | URL | 2017/12/12 20:53 * edit *

Re: 久太郎様へ

今度「探偵は 山城にいる」で主演しようかしら・・(笑)

おお、あの縄張図は熊澤先生が描かれたのですか。
貴殿のお師匠様とは凄いですね。縄張図の丁寧さも小生の独学ナンチャッテとは随分と違うのは正統派だからなのですネ(汗)
当初は自費出版だった宮坂武男氏も、最近は戎光祥出版とタッグを組み、色々と本がでているようですが、この手の専門書は全巻揃えるとチト高額なので、入門者向けの廉価版があってもいいように思いますが、どうなんでしょうか。

そういえば群馬県も山崎一氏の功績が有名ですね。「一城別郭」の解釈はイマイチ自分には理解できないのですが、群馬県の城と城館をくまなく歩かれ破壊前の城址の縄張図も描かれていると聞きました。

今流行りの「インスタ映え」とは全く無縁の山城探訪(写しても藪ばっかとか、一面緑とか茶色とか土が盛り上がったり削れたりとか意味不明・・笑)ですが、我々の微力をもってSNSで拡散し後世に伝えましょう!(チョッと何言ってんだか全然わかんない)

らんまる #- | URL | 2017/12/13 07:38 * edit *

掲載された写真を見て
和合城を直登したのを思い出しました。
今思えば、若気の至りですね
進退きわまって小休止していると
ああ、なにやってんだろーあほだなあ・・・と思ったものです。


丸馬出 #- | URL | 2017/12/16 07:12 * edit *

Re: 丸馬出様へ

和合城も登城路の情報が無ければ、坂城側の麓から城跡まで鉄塔が続き電線の下側は刈り払われているのでそこを直登するというのは充分アリでしょうネ。

「なんだ、ここにこんなに良き登山道があるじゃないか!!」なんて城跡巡りは日常茶飯事。
生きて帰れて良かったなあーなんて繰り返し。
それはそれで良き想い出ですよね。

らんまる #- | URL | 2017/12/16 19:51 * edit *
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