らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~
「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。
0220
祢津下ノ城2 (リテイク 東御市祢津) 
このところリテイク記事が続き、過去の自分の呪縛から逃れようとする日々が続く・・・(笑)
そんな事をやり始めたら、過去記事を全てリニューアルする羽目になり無限ループの連鎖が始まる・・・(汗)
それでも、「山城は幾度となく再訪することで新たな発見もあり、往時の本当の姿に近づく事が出来るかもしれない・・・」
今回ご案内するのは、幾度となくアテンドした山城マニア垂涎の隠れた名城「祢津下ノ城」(ねつしものじょう)である。

西側より見た祢津下ノ城の遠景(東御市海善寺より撮影)
今回も縄張図を新たに描く気力などないので、宮坂武男氏の図面を引用させていただき現地で撮影した写真をもとに解説したいと思う。

著作権は作図者の宮坂武男氏に帰属します。無断転載はご遠慮ください。
【大手門】
登城口から整備された遊歩道をしばらく登ると、左右に土塁を伴う横堀が現れる。
東側の横堀の端は登り土塁も確認出来、その防御の厳重さからこの場所が恐らく往時の大手門であったと思われる。

大手口から東側の横堀。(真横から撮影)

全体を把握するために斜め上から見下ろして撮影。

大手口と左右の横堀防御を斜め上から撮影。東側の横堀の土塁は一部を残すのみ。

東側の横堀の先は横移動を制御する登り土塁が確認できる。(同色で見づらいため補助線使用)
【桝形門】
大手門からさらに登り数段の段郭を経ると、急坂を屈折させた左右に土手を伴う狭い場所となる。この場所が恐らく桝形門で、主郭に至る攻城兵を阻止する最終防御ラインであろう。
ここは元々あった帯郭を改修し桝形虎口を開けて土塁を築いて門が置かれたと考えられる。現在遊歩道はこの桝形門の接続する帯郭から直接本郭に通じているが、これは公園化に伴う後世の改修で本来は別の通路があったと考えられる。

下から見た桝形門。石積みが散見される。

桝形門の左右の土塁は石積みで補強されていたと推定されるが、後世の改修による破損が酷く往時の状態は不明だ。

全体像を分かり易くするため桝形を少し登った場所から見下ろして撮影。公園化整備と桜の植樹のため遺構が改変された可能性がある。
【主郭】
南に石積みで補強された虎口を開ける場所以外は土塁が全周していて、主郭背後はかなりの高さがある。一般的には背後の堀切の高低差を稼ぐためと思われがちであるが、それだけではなく、中枢部である主郭を敵に見通せないようにした工夫だともいわれている。

正面虎口から見た主郭。オレンジシートは烽火リレーイベント用のドラム缶の保護用。正面奥の土塁が一段高くなっている。

主郭背後の高土塁から撮影した主郭全景。

主郭虎口の石積み。南側に虎口を開けているが、守備側の実際の出入りは背後の堀切を経由させたものであろうか。
【主郭背後の処理】
信濃の山城の主郭背後はそのままストレートに大堀切で断ち切るケースが多くみられるが、祢津下ノ城は主郭背後に武者溜りのような平場を設置した後に大堀切で断ち切っている。これは、背後の尾根に連続する郭と堀切の高低差を意識したもので、ここに伏兵を置き攻城兵を狙撃させるような意図を感じる。或いは桝形門から北へ回り込み、ここから主郭へ出入りをさせたのかもしれない。

郭2から見た主郭背後の防御処理。

堀切㋐。

堀切㋐を東斜面から撮影。竪堀としてそれほどの長さは無いが、他の堀切との兼ね合いならばこの程度で充分であろう。
堀切㋐の先には長方形の郭2と扇形の郭3を落差のある切岸で接続させている。郭3の西側の斜面は堀切㋔が竪堀となって接続し攻城兵の移動を制限している。

郭2。

郭2から見下ろした郭3。

郭2と郭3の接続部分の切岸。かなりの落差があり階段が無ければ登れない・・。

郭3の西側に接続する竪堀㋔。
【長大な二重竪堀を基調とした搦め手の堀切群】
この城の最大の見どころは、搦め手から東斜面を麓まで這う石積み堀底土塁付きの長大な二重竪堀と搦め手を守る竪堀群とのコラボであろう。
滋野一族とはいえ、祢津氏がこの山城にこれだけの土木工事の人的・物量的投下が可能だったのかは疑問が残る。
仮説を立てるとすれば、天正壬午の乱で北条方への従属を決めた祢津氏に対して、信濃へ侵攻した北条軍が北信濃への前線基地として祢津上ノ城を駐屯地として整備し、その守りとして祢津下ノ城を改修したという事はかんがえられないだろうか?
そんな想像も楽しいものである。

またスクロールして戻るのも大変だと思うので縄張図に再登場願った・・・(笑)

郭3から見下した郭4との間の堀切㋑。上から見るとW型の折れを伴う変則的な堀で東斜面で二重竪堀と連結し収斂する。

郭4に接続する「池」。ここは後世の改変による造作で「水の手郭」ではないらしい。この日は池の水も無く歩いて横断できた。

搦手の最終で西斜面を豪快に下るW堀切の㋕と㋖。ため息ものですw

東斜面に対して竪堀となる堀切㋓。本来は㋖と繋がっていたものであろう。

堀切㋑と㋒。尾根を分断する竪堀は全て東斜面の巨大な二重竪堀に収斂(しゅうれん)する。芸術的な美しさだ。

二重竪堀との合流地点から見た堀切㋑と㋒。

堀切㋒。残雪に埋もれた石積みが見えるでしょうか?竪堀の両サイドの土塁は石塁で補強された堅固なものです。
【東信濃では珍しい集合竪掘と石塁で補強された二重竪堀】
中信濃では小笠原系の山城に多く見られる集合竪堀だが、東信濃では上田市の室賀にある竹把城ぐらいで非常に珍しい。更に二重堀切の堀底土塁だけでなく外側の土塁にも石塁を伴うのはかなり特殊である。
周辺の他の山城には見られない特異な防御システムとその設計はこの城の重要性を物語っている。

東斜面を長大な竪堀となり麓まで下る二重堀切。そのシルエットの美しさには言葉が浮かばない・・・。

石塁で補強されている堀の外側の土塁。

途中林道により二重竪堀は2ヶ所寸断されているが、この写真は上側の寸断ヵ所からの撮影。

林道の上側の寸断された二重竪堀の下方向写真。これだけ残っているのはある意味素晴らしい。

林道の下側の寸断された場所から見上げた二重竪堀。この土木工事量は凄い。

上記場所から見た斜面下の写真。
今回のリテイク解説はここまでとしたいが、紛れもなく東信濃を代表する中世の山城である。この地域では珍しい輪郭方式の縄張りと、斜面を這うように作られた長大かつ巨大な二重竪堀は戦国末期の改修のテイストを充分に堪能出来る秀逸さである。
一度と言わず二度、三度と訪れて欲しい山城である事は間違いない・・・・。

抜群のロケーション。
≪祢津下ノ城≫ (ねつしものじょう )
標高:826m 比高:130m
築城年代:不明
築城・居住者:祢津氏
場所:東御市祢津
再踏査日:2018年2月4日・11日
お勧め度:★★★★★ (満点)
城跡までの所要時間:10分
駐車場:登山口脇に数台のスペースがあるが、途中の道路が狭く急坂ですれ違いも難しいので城前集会所を借りよう。
見どころ:東斜面を下る長大な二重竪堀、主郭背後の堀切群、大手門、枡形門、主郭周囲の土塁・石積など
注意事項:林道経由で搦め手まで登るなら軽のオフロード4WD以外は無理なので注意。
参考文献:「図解山城探訪 第三集 上田小県資料編 宮坂武男著」(縄張図)
登り口はここ。

Posted on 2018/02/20 Tue. 22:27 [edit]
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絶妙の撮影時期
見事ですなあ。どんどんリテイクなさってください。
すでに、3エリアは城歩きが可能のようですね。
桝形門は、このエリアでは特異なのでしょうか。
Re:えいき様へ
依田川流域の城もリテイクしないと・・・と思いつつ未掲載の城も何とかしないと・・板挟み(汗)
なんせ休日となれば近くでも良いので城に行きたくて仕方ありません(笑)先日も平瀬城、寺尾城、象山城、屋代城、尾野山城。
東信濃や中信濃は日の当たる南向き斜面の山城はだいぶ雪が融けましたが日影はまだまだ残雪があり長靴では凍傷になりそうですw
祢津下ノ城と上ノ城はセットという考え方もあれば、上ノ城は下ノ城攻めの陣城という考え方をされるかたもいます。
滋野一族の光城、塔ノ原城なんかと集合堀の処理が似ているので案外築城技術の情報交換があったのかなあーなんて思ってます。
もっとも小笠原系の山城として貞慶さんの改修による部分も大きいのですが・・。
Qの久太郎です。
らんまるさん、お久しぶりです。
素晴しい山城ですね。
言葉が浮かばない、という表現にすべてが込められているようです。
長大な二重竪堀に竪土塁のセットが合流していく様、メインの大堀切が底内で屈折してる様、この地方の独特のものなのでしょうか?
こちらの地方ではあまりお目にかかれない遺構ですので是非とも見学したいと思います。光城ではなんだか用水路を兼ねたようなそれがありましたが・・。
しかし竪堀遺構の確認は一番大変ですよねぇ。
だって急斜面の堀底を下ってまたよじ登ってこなければいけませんから・・。キツイですわ。。
一本二本ならまだしも10本も20本もある畝状竪堀なんか、もう・・。(狂)
しかしそこ(底?)までいってはじめてその遺構の意味が判明しますよね。
逆の下から昇りつめればどのような反撃に遭うのか、とか・・。
二重なんかにされちゃったら横への回り込みなんか不可能だな、とか・・。
面白いですよね、山城って。よく考えてあって。
またのリテイクも楽しみにしておりますね。
久太郎より
北条さんですか
上信越自動車道を走っているとよそ見しちゃって危ないですね。
どう見ても城だもんなあ。
城からの眺めもばっちりですね。
多重に構築された堀の北側が畑でおっちゃんが作業していたのはびっくりでした。
北条氏整備説は考えてもみませんでしたね。盲点です。
川中島の山城の多くも最終使用者は景勝さん時代の上杉軍でしたもんね。
いつも武田さん時代とは限らない訳だわね。
Re: 久太郎様へ
読み逃げが得意ですが食い逃げはしません・・・(笑)
仰せの通り、竪堀は堀底まで下りて調べるので体力が続きません。
信濃先方衆の相方は堀底を走っていって時々行方不明になります・・・困ったものです・・・(爆)
これほどの長大な土塁を伴う二重竪堀は信濃でもあまりお目にかかれません。長野市信更町にある和田城が横堀で堀底中央に土塁を持ち竪堀となりますが、これほどの長さはありません。W型の堀底を持つのは他に御代田町の小田井城の大手口の堀切ぐらい。
小田井城は天正壬午の乱で侵入してきた北条軍が陣城として改修したという噂もあるので、短期間の大量動員による大規模な土木工事は得意だと思います。大手ゼネコンも真っ青。北条さんは戦よりも土木建築業がお似合いだと思います(笑)
正面に段郭を重ねて主郭の背後をバンバンバンバン(しつこい・・・)と断ち切る手法は中信濃北信濃東信濃のオーソドックスな手法です。長大な竪堀を落とすのは貞慶さん系の山城に多く見られ、天正十年頃の流行のようです。
北信濃はガイドブックに載らない名城が多く仙当城(せっとじょう 栄村)はため息ものです。
まあ、信濃にお出かけの際はお声がけいただければおにぎり1個でアテンドしますよ・・(笑)
Re: あおれんじゃあ様へ
祢津下ノ城と上ノ城は、そこら辺のやわな麓の居館と詰めの城という関係ではなく、ベースキャンプとして設営された上ノ城を防御するための前衛基地として大規模改修された下ノ城という図式が正解のような気がしてます・・・。
やみくもに天正十年説を唱えてはいけないと思うものの、北条軍が天正壬午の乱で碓氷峠を越えて佐久に設営した陣城は小田井城、平林城が有力候補であるものの、さて上杉軍と対峙する前線としては表裏比興の真田昌幸の領地よりも祢津氏の領地のが安心だったと思われます。
その予感が的中して昌幸が徳川方に転じると、北条方の祢津氏の城は昌幸に攻められるも落ちることは無かった・・・その時に大規模な改修工事が行われたとみる事も出来るような気がしますw
こんばんは
はじめまして。
いつも楽しく拝見させて頂いております。
東京在住の山城好きです。
長野はなかなか遠くて行けずにいたのですが、この前の土曜日に上田地方を回って来ました。
回るに当たってこちらを大変参考にさせて頂きましたので、御礼申し上げます。
ありがとうございました。
ちなみに、佐久平PA車中泊→葛尾城6時攻城開始を皮切りに、坂城陣屋→上田城→染屋城→砥石城→洗馬城→根古屋城→尾引城→打越城→松尾古城→真田本城→真田館→天白城→矢沢城18時終了で、40000歩以上歩きました(笑)。最後に祢津下ノ城で締めたかったのですが、さすがに足がバカになってきたのでまた次の楽しみということで。
心残りは、葛尾城で泉平と岩崎城に行けなかったのと、遠見番所ですかね(笑)
これからも山城レポ、楽しみにしています。
お邪魔しました。
Re: む~様へ
コメントありがとうございます。
小生の愚ブログが足手まといにならずにお役に立てたのであれば何よりです・・・(笑)
日帰りツアーとしてはかなり綿密に計画されてますよね、最初にキツイ葛尾城というのは体力配分とすれば理に敵ってます。
信濃先方衆の合同ツアーではキツイ山城を最後に持ってきて玉砕寸前って事をよくやりますw
4万歩ですか・・・あたしゃ松葉杖のやっかいになりそうですw・・さすがの体力、素晴らしい!!
信州の山城は葉っぱの無い晩秋と春先が遺構がよく観察できるのでお勧めです。
遠見番所ですか・・・東信濃の秘境として最近流行りですよね。黙々と松尾古城から1時間ひたすら登った先に・・・。
不定期更新のブログですが、これからも御贔屓にお願いしますw
Re:
こんばんはー。
遠見番所、流行っているんですか?(笑)
私も秘境は大好きなので、遠見番所とか楡沢山城
とか鬼とか猿とかには行ってみたいですが、長野には行ってみたいお城が山ほどあるので、かかる時間と体力を考えると、他の所行きます(笑)
とりあえず、死ぬまでに仙当城とか鞍骨城とか桐原城あたりは行ってみたいですね。
今回の計画はかなり綿密に立てました(笑)
地図を見るのも好きですし、どう回ったら効率が良いかルートを考えるのも好きなので、予習の時間の方が長いです、たぶん。
なので、こちらのレポは本当に参考になります。
もう季節的に山城は厳しいので、また秋口の雪が降る前に行けるといいんですが...
またまたお邪魔しました。
Re: む~様へ
連コメありがとうございますw
信濃の山城は比高が結構あるので、経験値から言うと日帰り攻略する場合には比高の合計800mあたりが体力的に限界かと。
それに山城によっては長い竪堀や畝状阻塞なんかがあれば上ったり下りたりを繰り返すので600mぐらいでギブです・・(笑)
猿とか鬼とかは物好きなヤツに任せておきましょう(あっ、オレか・・・汗)
コンパクトにまとめてお勧めなのが海津城周辺の山城群ですネ。
鞍骨城、鷲尾城、寺尾城、金井山城、象山、霞城、尼巌城など。北信濃の石積仕様の山城は必見。
またのお越しをお待ちしております。
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