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らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0317

信濃先方衆はこれからも険しき山城に挑み続ける  

◆「上田・小県編」のラスボス「馬伏城」の攻略に挑む(速報)◆

今ではその「比類なき働き」で、信濃の険しい山城攻略の相方となった「ていぴす」殿との出会いは2012年7月の事であった・・・。

お互い基本的には単独行動を基本としているが、難儀な山城へのアタックは同盟軍として相互補完し幾多の困難を切り抜けた。

その戦歴の中で最たる山城は、日本最高地の山城 楡沢山城 であり、次はまだ記事にしていない「仁熊城」(にゅうまじょう 筑北村)。この山城へは道が消滅しているので、辿り着けただけでも奇跡に近いという有り様だった・・。

仁熊城(筑北村) (8)
村役場の教育委員会の立てた標柱は全く違う場所だったというオマケ付きの仁熊城。(2016年11月)

さて、今回我ら信濃先方衆の2018年再始動は「馬伏城」(まぶせじょう 上田市塩田)と決まった。

もはや仙人の領域に達している宮坂武男氏も、この城からの期間途中に命の危険を感じたという曰く付きの山城である。
そのような険しく人を寄せ付けない山城に辿り着けるのか・・・・このことであった。

馬伏城 (52)
あそこが馬伏城の物見と知ったのは下山してからのこと。本隊は物見の裏側になるので見えない。

下見もせずにぶっつけ本番はいつもの事(笑)

あるはずの林道は廃道となり倒木で迂回させられるし、登る沢を間違えてUターンするわ、川底に古道が消えて万事休す。

「ならば直登しますか・・・(汗)」

馬伏城 (50)
この尾根を転がりそうになりながら直登。雪解け後なので、スパイクピン付きゴム長でなければ不可能な直登でした・・・。

尾根の先は岩盤で塞がれている・・・次の沢をトラバースしても突き当りは強靭な岩壁が行く手を遮る・・・。

「万事休すか・・・・・・・・次の沢を越えた尾根先がダメなら諦めるか・・・・」

我々は、佐久の高棚城と笠原城の攻略を思い出し戦慄した。

「入口は限られた場所だけ。」

そう、まさに逃げ込み城とはそういう条件を満たした閉鎖的空間なのだ。

三つ目の沢の獣道を斜面の草木につかまりながら這うように登る。

我々は息絶え絶えに岩盤の隙間の鞍部に辿り着いた。そう。ここが馬伏城の入口だったのだ!

馬伏城 (3)
恐らくこの鞍部だけが城域に入れる狭き関門のようだ。

馬伏城 (10)
巨大な土塁を伴う鞍部の削平された郭。

もし、「逃げ込み城」の定義があるとすれば、以下の要件が必須であろうか。

●麓からは見えない
●最低でも一か月は籠れる居住性と水源の確保
●敵が容易に攻め込めない険阻な立地と防御性
●味方の砦との連絡手段が確保できる立地

馬伏城 (9)
馬伏城の本城からは女神岳城のみが見える。

いわゆる「足弱」と記される女性や子供、老人は逃げ込み城の充足要件の定義に入るのだろうか?

峻険な場所に設営された逃げ込み城にどのように入ったのか全く想像が出来ない。

現代人の生活と単純比較してはいけないにしても、この場所に「足弱」が籠れるのであろうか???

馬伏城 (13)
北向きの沢は数段の削平地があり、籠城時の空間が確保されている。

筑北村の仁熊城は、立地条件も縄張も馬伏城によく似ている。

そう、これらの逃げ込み城をみて分かった事は、「当主は、絶対に生き延びなくてはならない。死んではいけない」・・・この事であった。

侵略軍に老人が殺されようと、女子供が略奪されようと当、当主(家名)の存続は絶対なのである。

馬伏城 (14)
人工的に削平された段郭。

天正年間、真田昌幸の統治に不満を持ち反旗を翻した土豪の斎藤氏は、女神岳城を新たに築城して立て籠もり、馬伏城を万が一の際の逃げ込み城として整備したと伝わる。
その後、昌幸の命を受けた長男信幸が女神岳城に籠る斎藤氏を攻めて降し、反逆の罪を赦し自分の家来として登用したという。

そんな訳で、馬伏城が歴史の大舞台に登場する機会は無かったものの、斎藤氏にゆかりのある山城という事は伝承として残ったらしい。

twitterで馬伏城については攻略当日に現場実況中継としてお披露目しました。
すると、次回はブログ記事として掲載し、攻略方法等についての記載をお願いしたいという要望がありました。

が、ここは難易度がかなり高いのでお勧めしません。

当日は城跡で猪(イノシシ)にも遭遇して事なきを得ましたが、あの巨体で突進されたらマジでやヤバかったと思っています。
※親の後を必死で駆けて行った「うり坊」は可愛かったのだが・・・(笑)

常々注意喚起しておりますが、中世城郭探訪の趣味が「命懸け」の趣味になってはいけません・・・・。

千ヵ所を越える山城探訪の経験はあっても、常に初心は忘れないように心がけてしますw

まあ、皆さんが忘れたころに記事にしようかと思っています・・・(笑) ってか最近全く更新してません・・・・(汗)

馬伏城 (44)
宮坂氏の図面には無いが、馬伏城の北側には物見砦と断定できる素晴らしい郭が存在しますw

馬伏城 (2)
ここもGPSアプリが無いと厳しかったでしょうネ。
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Posted on 2018/03/17 Sat. 22:17 [edit]

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コメント

熱き情熱

籠城戦闘を目的とした城・要害とは異なる、このような逃げ込み場(城)も持っていたのですね。素晴らしい壮挙、ありがとうございました。
ここは伝承として伝わっていた故に500年の後に先方衆により日の目をみることになりましたが、消伝した逃げ込み場がもっとあるのでしょうね。発見を期待しています。
私も戸隠・更埴方面へ出撃を始めましたが、遠吠えのような鳴き声や大きな羽ばたき音に歓迎されています。明らかに蹄ではないグローブのような跡もあり、既にお目覚めのクーさんもいるのではないかと油断しないようにしています。

えいき #- | URL | 2018/03/19 07:07 * edit *

Re: えいき様へ

「険しき山城に挑み続ける」とはカッコ良き響きですが、もはや人を拒む奥地の山城しか残っていないというのが現状です(笑)

ここの城も筑北村の仁熊城も山麓からは全く見えない隠れ城で、よくもまあこのような場所を見つけて削平したもんだと感心しきりでございます。得体のしれない強大な敵をやり過ごさねばならない恐怖が、隠れ城を作らせる火事場のくそ力なんでしょうか。

鬼女伝説の戸隠はラスト一か所を残すのみですが、そこも人を寄せ付けない峻険な山奥にありGW明けかなーなんて思ってます。
最近は猪との遭遇が多くなりました・・・突進されたらひとたまりもありませんが、とりあえずは相手が撤退してくれるので助かっていますw
害獣駆除の鉄砲隊も怖いのですが、突然現れる物言わぬ同業者のがもっと怖いですネ(汗)

らんまる #- | URL | 2018/03/19 07:36 * edit *

上田城の基本戦略は落城しそうになったら、
真田郷、吾妻地方へ撤退する構想らしいですが
第二次上田合戦の時はその手法が使えないんですよね。
そうすると、搦手の松本街道方面に撤退することになるのですが
その際に、このお城で、西軍が勝利するまで持久戦を行う
構想があったかも、と思ってしまいました。

安易に真田ブランドをだすと遭難者が出そうなんで
気が引けますが。

丸馬出 #- | URL | 2018/05/03 09:08 * edit *

Re: 丸馬出様へ

関ヶ原合戦では東軍の小笠原貞慶の息子が秀忠軍の援軍として保福寺峠を越えて青木村に進軍してました。

やはり長期化することを想定していたあしく、戦上手の昌幸に手出ししなかったのは賢明な判断でした。

西軍の呆気ない敗北に驚愕したのは景勝も昌幸も「想定外」の出来事だったと思われます。

が、世間に知られている「関ヶ原の戦いなど無かった」という説に興味を持ちます。

らんまる #- | URL | 2018/05/03 20:23 * edit *

「関ヶ原の戦いなど無かった」という説をしらべてみたら
一次資料は定説とは違う内容で驚きました。

戦に関しては孫子兵法を実体化したような
天才、昌幸さんでも、
豊臣政権内の内部対立や人間関係を
十分に理解できていなかったようですね。

文禄、慶長の役で渡海して、その辺の情報を収集していたら
西軍につかなかったかもしれませんね

丸馬出 #- | URL | 2018/05/04 07:59 * edit *
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