らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~
「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。
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左右前山城 (長野市信州新町左右) 
まだまだ4月初旬だというのにここ数日は初夏の暑さとなり、上田城の桜もほぼ満開という異常事態・・・(汗)
恐らく4月7日から開催となる「上田城千本桜祭り」の初日は「散り始め」であろう。葉桜で一杯もまた風流かと・・・(笑)
今回ご案内するのは、前回ご案内した左右秋葉山砦(そうあきばやまとりで)の南約1kmに位置する「左右前山城」(そうまえやまじょう)である。

左右集落から大姥山に続く林道の途中で車を置いて鞍部を目指す。三角点(1006.4m)のある場所が城跡である。

尾根の鞍部には分岐点の標柱があり、ここを乗り越せば大町市八坂の布川峠に下り、東に向かえば大姥山山頂へ。
【立地】
大町市八坂地区のトレッキングコースとしては難易度の高い「大姥山」(おおばやま・おおうばやま 1003m)の西へ約600mの尾根続きにあり、城址には三角点(1006.4m)がある。
ここから南尾根を辿ると、犀川筋と金熊川筋を繋ぐ、布川峠に通じており、往古も道が通じていたものと推定される。仁科領との境目の城として牧野島城への伝達を担ったものと思われる。

三角点方面が城跡のようです。さあ、行ってみましょう!

三方の尾根伝いの古道を抑える場所に築かれたようだ。

北尾根に最初に現れる堀切㋒。

続いて現れる堀切㋑。上巾8mは城内では最大幅である。

西斜面側の堀切㋑。
【城主・城歴】
特に文献資料には登場しなかったようだが、左右集落の殿屋敷を拠点とした在地土豪の詰めの砦であり、秋葉山砦と共に仁科口の守備の一環として重要視されたのであろう。
三方の尾根をそれぞれ堀切で断ち切っているので、犀川沿いと金熊川沿いの集落を結ぶを山道の交差路上に築かれたようだ。

堀切㋑を越えると主郭をコの字に囲む腰郭。一段上に主郭が置かれている。

東尾根を遮断する堀切㋐。

南斜面に鋭い角度で落ちる堀切㋐。

主郭の三角点。修験者の霊場を示すお札が刺さっている。
ここを訪れたのは2016年11月なのだが、1年半も前の事なので写真を見て縄張図と照らし合わせても、どこの場所を撮影したのか記憶があいまいである・・・(汗)
いわんや、これより前に探訪して撮影し、未だブログに掲載していない山城の写真などは断片の記憶の継接ぎ作業になる。
さて、どうしたものか・・・・自業自得には違いないが・・・・(笑)

郭2は郭1より一段高い場所にあるが、削平の曖昧さと不整地処理が残る。

郭2は布川峠からの突き当りに位置し山道を左右から挟撃するような造りである。意図的なものだろうか・・。

郭2のピーク。30×20程度の広さがあるが敢えて加工しないという選択肢がとられたようである。

郭2の南の先端は崖渕でなかなか人を寄せ付けない。

西斜面を遮断して竪堀となる堀切㋓。埋まりつつあるがそのラインは美しい。

南斜面から見上げた堀切㋓と郭2。
この場所は天正壬午の乱において上杉方と小笠原方の境目となるのだが、積極的に改修した痕跡は見られない。近くには牧野島城代の芋川親正が景勝に進言して新たに築城したという大野田城もある。
上杉VS小笠原の境目を巡る戦いは、ここより北側の仁科口の美麻にある千見城の争奪戦となっていたので、左右前山城には物見兵が置かれた程度と考えられる。

東尾根から見上げた主郭。
≪左右前山城≫ (そうまえやまじょう)
標高:1006mm 比高:250m (左右公民館より)
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:長野市信州新町左右
攻城日:2016年11月13日
お勧め度:★★☆☆☆
城跡までの所要時間:林道より10分 駐車場:無し
見どころ:堀切、切岸など
注意事項:林道はオフロード車なら終点の大姥山まで行かれる
参考資料:「信濃の山城と館②更埴・長野編」(2013年 宮坂武男著 戎光祥出版)
付近の城址:左右秋葉山砦、戸谷城、牧野島城、和田城など

左右殿村より見た左右前山城遠景。
Posted on 2018/04/06 Fri. 07:58 [edit]
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私は冒険的な挑戦でした
雪解け直後の林道はぬかるみきつく、かつ確信のない林道の探検走破で、なかなかリスクが大きかったです。
記事、ネット初出を狙ってましたが、先を越されてしまいました。
堀エと郭2側の土塁などは、古いとみるか、もしかしたら新しいとも見ることができるのではないかと愚考しています。
郭2南に犀川が望めるんですよね。犀川から全景撮りたかったのですが、さぎり荘で湯ったりしたら時間が切れてしまいました。遠景撮りに、近々犀川沿いをうろうろしてきます。
Re: えいき様へ
一番槍の手柄を横取りしていまい、武士の風上にも置けないやつと相成りました・・・ご容赦を・・(笑)
郭1と郭2は堀切㋓によって後から分割されたようにも取れますネ。布川峠からの来襲に備えて強化したのでしょうか。
隣の大姥山は大町八坂地区のトレッキングコースとして全国的にも有名で山に関するブログには数多く登場します。
八坂地区からの景観は素晴らしく、左右前山城と併せて紹介されている写真も多く見受けます。布川峠からの登山道も岩場が多く玄人向けのコースのようです。
小生もそんな事とは知らないので、八坂地区から見てみたいと思ってます。
以前、八坂の雷電城(城山)に登った時の写真に写っていないか探しましたが見晴らしがよくなかったのでダメでした(汗)
それにしてもあの辺りの山城の多さにはビックリですw
左右前後?
冗談のような名前ですねえ。
ここ、地図で見れば簡単に行けそうに思えるのですが、2次元と3次元の世界では違いますね。木は2次元じゃ生えてませんもんね。
しかし、このあたりの山道、おっかねえですね。
軽トラでも怖そう。だけど、こういうところに民家があって人が生活しているのも驚きです。昔はどんな生活だったんでしょうね。
こんな山の中にも城を造るほどの危機的な状況があったんですね。
この城、小さいけど3方に延びる尾根をちゃんと堀切で分断していて、セオリーを抑えてますね。
Re: あおれんじゃあ様へ
ここに山城が無ければ一生訪れる事もなく集落の名前すら知る事も無かったと思います。
林道を車でガンガン登りましたが、往時は結構大変な思いをして砦に詰めていたのでしょうネ。
隣の旧八坂村も凄い山の中に民家が点在していて驚きました。いずれ住む人もいなくなり廃れてしまうかと思うと寂しいです。
我々が思うよりも山の道が縦横無尽に利用されていたんでしょうか。平地に下りるよりは近道だったのかもしれませんネ。
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