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らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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一夜の城 (伊那市富県桜井)  

◆織田信忠の甲州征伐高遠城攻めの陣場と伝わる館城◆

先日、ダムスタンプラリーついでに十年ぶりに高遠城を訪れ、その後にどうしても見たかった「一夜の城」(いちやのじょう)を探し当てた。

信濃の山城と館を専門にしている当ブログで、「今さらなんで?」と思われるかもしれないが、「灯台下暗し」とはそんなものである。

一夜の城 (1)
方形の土塁で囲まれた敷地の東側に唯一開く虎口。


【立地】

三峰川左岸の貝沼地区桜井の八幡社の東に位置する。ここは三峰川の河岸段丘の平地で、特に要害地形では無いが、東に山地を背負い、高遠城まで6kmの位置にある。

screenshot_20180817_204701.png
下手な縄張図よりは航空写真のが現実的であろう。

【城主・城歴】

この城は、天正十年(1582)に織田氏の甲州征伐における高遠城攻略の為に築いた陣城という伝承が残っている。
信長より甲州征伐の総大将を任じられた嫡男信忠は、2月3日に出陣し15日には飯田を占領し、29日には飯島へ到着して高遠城を守る仁科五郎盛信に降伏勧告状を送るが、盛信はこれを拒否し使者の僧侶の両耳を削ぎ落し徹底抗戦の意を表したという。
織田軍は高遠城攻めの準備にとりかかり、信忠の陣城を突貫工事で築いたのがこの一夜の城だという。

一夜の城 (2)
一夜の城の南側の土塁。高さ3m、長さ47m。

この場所には、もともと在地土豪の居館あるいは屋敷があった事は、平成24年の伊那市教育委員会による発掘調査で判明しており、織田軍は陣場設営にあたり周囲を囲む堀を深く掘り下げて土塁を高くしたと推定されている。

➾詳しくは「長野県の歴史を探し求めて」の一夜の城②を参照願います。

一夜の城 (4)
北側の土塁(高さ50cm×長さ50m)。敷地内の耕作化により土塁の上部は破壊されたのであろう。

一夜の城 (5)
往時の姿を残す北西の隅土塁。現在高さは3mだが、発掘調査では当時はもう少し盛土されていたらしい。

【城跡】

一辺が50mに近い方形の居館跡で、土塁の最高部の高さ3m、土塁底辺の幅は3m程度のものが敷地を全周して東側中央に虎口を開いている。
織田本体の本陣の陣城としては小さいが、中枢部としての防御は周囲に新たに空堀が施工された事を考えるとそれなりの機能を有していたと思われる。

高遠城攻めが一日で終了したために拡張する事も無く終わったようだが、甲州征伐を物語る貴重な遺構ではある。

周囲の生活道路拡張の為に遺構を一部取り壊すような話もあるようだが、後世に残すべく遺跡なので、市あるいは県で指定史跡として指定し保護していただきたいものである。

一夜の城 (8)
南側の土塁はある程度の規模を留めている。(高さ3m×長さ47m)

一夜の城 (21)

西側から見た北東の隅土塁。迫力満点である。

≪一夜の城≫ (いちやのじょう)

標高:711m 比高:-
築城時期:不明
築城・居住者:不明
場所:伊那市富県桜井
攻城日:2018年8月5日
お勧め度:★★★☆☆
城跡までの所要時間:- 駐車場:無し ※付近の道路は狭いので八幡神社の道路脇の路側帯に駐車しましょう
見どころ:土塁など
付近の城跡:黒河内の城、叶尾城など
注意事項:特になし
参考書籍:「信濃の山城と館⑤ 上伊那編」(宮坂武男著 2013年 戎光祥出版)



一夜の城 (10)
南西から撮影した城内全景。
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Posted on 2018/08/17 Fri. 22:38 [edit]

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