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らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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航空母艦 隼鷹 (TAMIYA製)  

◆武運に恵まれ終戦まで活躍した数少ない改装空母◆

相変わらず艦船プラモ作りに没頭する日々が続いている・・・。

「そろそろ山城へ行こうよ!!」という心の声も聞こえたような聞こえないような・・・聞こえないふりしてるだけか・・・(笑)

今回紹介するのは、商船からの改装空母ながら蒼龍クラスの高い能力を持ち終戦まで活躍した航空母艦「隼鷹」(じゅんよう)。

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特徴的な艦橋一体型の煙突を持つ空母は、隼鷹、大鳳、信濃の三隻だけで、隼鷹はその試作であった。

【艦歴】 ※TAMIYAウォーターラインシリーズNO.212航空母艦隼鷹の説明文引用。

始めから軍艦として作られた正規空母に比べれば、防御力はほとんどないと言っても良い商船を改造した航空母艦にもかかわらず、昭和17年5月に完成して以来、北はアリューシャン列島から南はソロモンまで、太平洋の各地を転戦し、いくたびもの損傷にもめげず、終戦まで活躍した航空母艦隼鷹は、武運にも恵まれた数少ない軍艦の一隻だった。

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タミヤ製は甲板の白線や紅白の標識はステッカーなどないのでマスキングテープを駆使する羽目になる。結構面倒だ・・(汗)

隼鷹は元の名を橿原丸(かしわらまる)といい、日本郵船が北米航路用に計画した大型高速客船から改造されました。今日のように旅客機が発達していない戦前は、海外旅行と言えば船と決まっており、太平洋でも、大西洋でも、各国が競って豪華客船を就航させていたのです。
当時、海国日本の象徴の一つと言われていた日本最大の海運会社日本郵船は、昭和15年の東京オリンピック開催に合わせ、昭和12年、いわゆるオリンピックボートとして新田丸、八幡丸、春日丸などの豪華客船の建造を計画したのです。
この中でも、特にサンフランシスコ航路に予定されていた橿原丸と出雲丸の2隻は、総トン数27,700トン、速力24ノットで、大西洋航路で活躍していたイギリス、フランスなどの海の女王たちにもひけをとらない豪華客船であり、完成のあかつきには太平洋の女王として君臨するものと期待を集めていたのでした。

橿丸①
※TAMIYAウォーターラインシリーズNO.212航空母艦隼鷹の説明文掲載の図を転載しています。

ところで、かねてから日本海軍は大型高速商船を戦時には特設航空母艦に改造して使用するする事を考え、浅間丸、龍田丸、秩父丸(後の鎌倉丸)などの建造にあたって政府を通じて多額の補助金を出していました。しかし、これらの客船では空母に改造した場合、大きさでも速力でも十分とは言えない為、昭和8年頃より、正規空母に近い能力を持つ特設空母ができるような超大型艦の建造を希望していたのです。
このため、橿原丸、出雲丸(のちの空母飛鷹)の建造について費用の6割を政府が援助し、そのかわりに戦時には空母に改装することで昭和13年の議会で予算が成立、早速、設計が開始されました。

この設計にあたって海軍が出した主な要求は次のようなものでした。
全長210m以上、幅25m以上、速力は公試運転、半載状態で24ノット、馬力は全力60,000馬力、正常48,000馬力、必要に応じて3ヶ月以内で空母に改装出来る事。などで、全ての面で空母に改装される事を前提として設計が進められたのです。

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船窓をドリルで加工しウェザリングで錆を表現する。

日本郵船は自社の大型客船に神社の名を付けるのを例としていました。出雲丸は出雲大社から、橿原丸は神武天皇とその皇后をまつり、神話にある建国創業の地と伝えられている橿原宮(現在の奈良県橿原市)の旧跡に設けられた樫原神宮から名前をとったものです。

こうして樫原丸の建造は昭和14年3月から三菱長崎造船所で始められました。しかし、その直後から国際情勢は悪化しはじめ、昭和15年に入ると緊張の度は一段と高まってきたため、昭和15年10月、建造中の橿原丸などを特設空母に改装することが決定されたのです。
そして翌16年1月21日、正式に海軍で買収し、6月26日、第102号艦の名で進水しました。昭和17年7月5日、太平洋の女王となるはずであった橿原丸は、その名も改め、いかめしい日本海軍の航空母艦隼鷹として完成したのです。

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後部の格納庫は結構作り込んでいるのだが、甲板を被せてしまうと見えない・・(汗)

航空母艦としての隼鷹は、公式排水量27,500トン、日本のそれまでに建造された空母の中では翔鶴級につぐ巨艦で、中型の蒼龍を上回る大型艦となったのでした。速力は正規空母と比べれば25.5ノットと低いものでしたが、他の改装空母よりははるかに高く、格納庫は上下二段式で搭載機数も常用48機、補用5機の計53機で蒼龍級に次ぎ、改装空母の中では最も多数の搭載機数を誇っていました。
飛行甲板の大きさも長さが蒼龍級よりも少し短い程度で幅は逆に飛鷹の方が広いものでした。武装も田の改造空母より強力で、蒼龍級と同様に12.7cm高角砲12門、25mm3連装機銃8機を搭載していました。この対空兵装は後に更に強化され、25mm3連装機銃が15基、2連装2基、単装27機に増やされ、12cm28連装ロケット砲6基も増設されたのです。
総合的に見た場合、速力がやや低い点、そして商船からの改造空母としての宿命的な防御力の弱さを除けば、ほぼ中型の蒼龍級に匹敵する能力を隼鷹は持ち、実際、改装空母でありながら正規空母に近い近い戦闘力を発揮し、日本海軍機動部隊の中堅として活躍したのです。

隼鷹①
日本の航空母艦における煙突と一体型の艦橋は隼鷹が最初であった。 ※TAMIYAウォーターラインシリーズNO.212航空母艦隼鷹の説明文掲載の写真を転載しています。

なお、隼鷹の艦橋は煙突と一体になっており、煙突が外側へ28度の傾斜を持っているのが特色となっている。この煙突は大鳳に利用する予定で実験中だった案をそのまま利用した物で、これを採用したのは日本の空母では隼鷹が最初でした。

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隼鷹は初陣は昭和17年6月のM1作戦でミッドウェー攻撃に呼応して3日と5日にダッチハーバーを攻撃、その後、第2航空戦隊に編入されて10月上旬にソロモン方面へ進出、ガタルカナル島攻撃、南太平洋海戦(10月24日)、第三次ソロモン海戦、(11月9日)、ガタルカナル撤収作戦などに参加。ラバウルへ派遣されて「い号作戦」に参加。そして6月、再度トラック島へ進出、飛行隊は11月上旬ブインへ派遣され、搭載機の無くなった隼鷹は8月から10月の間、シンガポールやトラック島への輸送にあたっていましたが、11月5日、沖の島付近で敵潜水艦の魚雷により損傷、利根に曳航され呉に帰還しました。

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翌19年2月に修理を終えた隼鷹は、6月19日、20日のマリアナ沖海戦に参加。第二航空戦隊旗艦として活躍した隼鷹は煙突付近に2発の命中弾を受けて修理のために日本へ帰還、修復後、ブルネイ方面への輸送任務にあたっていましたが、12月9日、潜水艦の魚雷を受け船体を損傷し、佐世保へ帰ったのです。
そして翌20年3月に修理を終えたのですが、搭載する飛行機も無く再び出撃することもないまま終戦を迎えたのです。

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【航空母艦隼鷹の主要目】

排水量:27,500トン
水線長:215.30m
最大幅:26.70m
最大速力:25.5ノット
搭載機数:常用48機、補用5機
飛行甲板:長さ210.3m 幅27.3m
完成年月日:昭和17年5月3日
工廠:三菱長崎造船所

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どんだけ空母が好きなの?とよく聞かれますが、その生い立ちと波乱万丈の生涯故の判官びいきかと・・・(笑)


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せっかくなので、最近完成した蒼龍と比較してみた。その威容は正規空母を凌駕する逞しさである。
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Posted on 2018/10/16 Tue. 23:14 [edit]

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コメント

うちにもあるで

隼鷹か!いいねえ。
我が家にも浮かんでいます。HPの表紙にも使ってます。

正規空母以上の活躍をした改装空母。
当時の日本の改装技術もたいしたもんです。
しかも大戦を生き抜いた強運もあり。
スタイルも良いですね。
傾斜したエントツが特に。ミニ信濃ですね。

次は何?笠置?葛城?
マイナーな軽空母もいいけど、悲しい生涯だった艦が多くねえ。

あおれんじゃあ #- | URL | 2018/10/23 18:24 * edit *

お待ちしてしておりました!

らんまる さま

こんにちは、朝晩寒くなって、いよいよ山城のシーズン到来♪となりました。

さて、お待ちしておりました♪次は隼鷹ですね。

美しいです。WWⅡで活躍した空母の中では一番カッコいいと思います。
艦橋一体型の煙突がカッコいいです。
かといって、アメリカのレキシントンやヨークタウンあたりは大きすぎてかっこ悪いし、何事もバランスが大切ですね。
鳳翔なんかも艦橋があった間はいいバランスだったと思うのですが、改装後はのっぺらぼうになってしまって、やはり艦橋は大事ではないかと。

概ね日本の空母は美しいと思いますね。で、軍艦の中でも空母は一番美しいと思います、戦艦もかっこいいんですがね、なぜでしょうね。
らんまるさんの言葉を借りると、「船体にだだっ広い艦載機用の甲板を載せただけの空母が、軍艦プラモの中でも人気が高いのはその生い立ちと個性的な容姿、そしてその数奇な生涯が我々を魅了し続けるせいなのであろうか。」

なるほど、、、、考えたこともなかったので、あらためて、理由を突き付けられると、納得しつつも、まだ、釈然としないというか、何か引っかかるというか、、、、

では、また(^^)/

しんこう #- | URL | 2018/10/24 16:56 * edit *

Re: あおれんじゃあ様へ

先日、「艦船模型スペシャル」という雑誌の「マリアナ沖海戦」の特集号があり、その中に隼鷹の1/250モデルが掲載されていてその魅力に取り憑かれて1/700を購入して制作した次第ですw

艦橋一体型の傾斜した煙突はこの隼鷹、悲劇の大鳳、信濃のみに採用され、やはり日本人が設計すると美しいのです。
何故なんでしょうか?

搭載する飛行機も無いのに空母を造り続けた日本の火事場のくそ力的な造船への執念には頭が下がります。
飛行機とパイロットさえ揃えれば活躍できたであろう空母たちの悲しい末路には心打たれます。

次ですか?

正規空母赤城を再度製作中で、その次は千歳になりそうです。
相変わらず最近は空母ばっかし作っているので、ちんまい艦載機の製作も老眼なので大変です・・・(笑)

らんまる #- | URL | 2018/10/24 17:24 * edit *

Re: しんこう様へ

こんばんは。貴殿の故郷でこのような武功艦が建造された事、我が事のように嬉しく思いますw

プラモの塗料でも「特色セット」として「呉海軍工廠標準色」「佐世保海軍工廠色」「舞鶴海軍工廠色」が別売りであります。
通常は「軍艦色(2)」が標準として日本海軍の軍艦のスタンダードとして使用されますが、マニアは細かい色の違いにこだわりますので、この隼鷹も佐世保工廠の特別色で仕上げています。

艦橋と煙突の一体型は隼鷹、大鳳、信濃のみで、隼鷹は大鳳の試作とされてきましたが、その大鳳が完成から僅か三ヶ月のマリアナ沖海戦で轟沈してしまい、信濃も潜水艦の雷撃で沈みました。
改装空母の隼鷹は終戦まで生き残った武功艦として長く人々の記憶に残りました。

ある程度修行を積んだら1/250の隼鷹に挑戦したいと思いつつ、エッチングパーツに初挑戦の大鳳は制作途中で保留、空母赤城は二度目のチャレンジでもうすぐ完成披露できそうです。
この次は千代田・千歳の水上母艦組からの改装空母を建造予定です。

そうは言いつつ、先週末からオープン戦初戦の山城探訪をグンマー帝国からスタートしましたので、艦船モデルの記事のアップは遅延するかもしれません・・(笑)平にご容赦願います・・・(爆笑)



らんまる #- | URL | 2018/10/24 19:27 * edit *
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