らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

1230

竹之城(須坂市)  

◆武田軍が改修したであろう完成度の高い井上城の支城◆

年末は天気が良ければ年内の山城収めをする予定でしたが、ナポレオンもドイツも勝てなかった冬将軍にらんまるが挑める勇気も無いのでこのまま越年しそうです(笑)

例のごとく事前調査が不完全なまま井上城にチャレンジして、その支城の竹之城が何処にあるのかも把握していませんでした。地元のりんご農家のおじさんに聞いてみました。

takenosiro (5)

「あんたぁー、車じゃ登れないヨ」

この答えには思わず爆笑してしまいましたぁー。

「その先を左に曲がって次のT字路を右へ、そしたら100m程進んで左に折れて・・・めんどくせぇなあ・・笑」

何かマズイ事を聞いてしまったのかしら。

申し訳ないのだがその笑いに頷くしかない・・(爆)

takenosiro (6)
教えられた道を進んで道路脇に車を捨てて、尾根を登る。結構しんどい。

城域への道は、南側の嶺にある小城・大城への道に良く似ている。比高も同じぐらい。

辿る事20分で傾斜がきつくなり、岩肌を断ち切る三条の堀切が現れる。

takenosiro (17)
↑大城の東側の曲輪と同じ手法と思われる堀切。

takenosiro (19)
↑二条目は深く鋭角な構造

西側は山麓に居館があった為なのか、防禦にはあまり配慮が見られない。

この峰のピークに本郭を置くが、東側へ段曲輪や腰曲輪、帯曲輪を配置する厳しい防禦体制は武田流の改修か?

takenosiro (21)
↑本郭跡

ここからは善光寺平方面と小布施~飯山口方面が手に取るように監視出来る。

takenosiro (24)

越後へ落ち延びた井上氏の拠点に対して、北信濃を制圧していった武田晴信がいつこの城を接収したかは明確な記録も文書も無いようです。

takenosiro (28)
本郭の南東側に腰曲輪、帯曲輪

takenosiro (34)
東側の堀切から本郭方面を見上げる。

乗越峠に繋がる城域の東尾根を三重の堀切で遮断している。少人数の部隊で守るのに適した構造になっている。

takenosiro (31)

takenosiro (35)

takenosiro (38)

この先の鉄塔付近には遺構らしきものが無いので、上記の堀切が最終の城域なのであろう。

その後デジカメのバッテリーが切れてしまい、井上氏居館跡や墳墓の跡はケータイカメラ撮影となる(悲)

201012261308000.jpg
井上城の山麓には井上氏の居館跡。かなり広大であったようだ。

201012261255000.jpg
散乱していた五輪塔を付近の住民が修復して祀ったと伝えられる井上氏の墳墓

馬蹄形を為す城域群で、大城、小城、竹之城が連携し、攻められた時には相互が詰めの城として機能するように造られたらしい。

201012261300000.jpg

本日の教訓:「1400万画素のデジカメも、電池が切れれば只の無用な箱に過ぎない・・・(爆)」

≪竹之城≫ 

築城年代:不明
築城・居城者:井上氏、武田?
場所:須坂市井上 長野須坂インターから車で5分。 標高544m比高198mで所要時間30分。
攻城日:2010年12月2?日
お勧め度:★★★☆☆
見どころ:土塁、堀切、城址からの展望。
その他:井上氏居館跡、井上氏墳墓、大城、小城とセットでお勧め。







スポンサーサイト

Posted on 2010/12/30 Thu. 09:01 [edit]

CM: 0
TB: 0

« 板垣神社  |  井上城(須坂市) »

コメント
コメントの投稿
Secret

トラックバック
トラックバックURL
→http://ranmaru99.blog83.fc2.com/tb.php/96-01ff659b
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

城主からのご挨拶

地域別攻城戦記

諸国在住の皆さまのありがたき進言

もののふ入城者数

在城中の「もののふ」

攻城戦記年表

▲Page top