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らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

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石川軍陣地跡  

◆信濃先方衆、青木村にて今シーズンの山城納め その2◆

小生もこのGWは9連休なので、休み明けに無事社会復帰できるか、今から心配である・・・(汗)

山々は新緑に覆われ始めているので、毎日山城へ出掛けてもイマイチ感動が少ないのは事実でしょうか・・(笑)

さて、今回ご案内する第二弾は「石川軍陣地跡」。1600年、西軍となった真田昌幸の征伐軍として秀忠に従った松本城の石川秀長(石川数正の嫡男)が、上田城の支城「冠者城」(かじゃじょう)を攻めた際の陣地と伝わる場所である。

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道の駅あおきから見た「子檀嶺岳」(こまゆみだけ)。冠者城の別名を持つ山城だが、ここは詰め城で本城は麓の西城とも。

青木村には三ヶ所の石川軍陣地跡が伝承として伝わる。そのうちの二ヶ所は、保福寺峠の街道筋にあり標柱もあるが、沓掛温泉の西側の山麓に伝わる陣地跡は村誌にのみ記載され、特に標柱らしきものはない。


【青木村沓掛に伝わる石川軍陣址】

この場所も「ていぴす殿」が青木村誌より仕入れた情報で、数段の削平地と石積み跡が残るという。
資料に示された場所を訪問し数ヶ所を探索するが、段郭は確認出来ても、石積み跡を発見することは出来なかった。

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広大な削平地で石積を探すていぴす殿。

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植林で削平された場所なのか、往時のものなのか判断できない地形。

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まあ、陣場としては雨風凌げる木陰のが良いと思うので、この辺りでも良いかと・・・。

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陣場跡近くの街道筋から見た青木村中心部方面。正面に先ほどまで踏査していた城山跡が見える。


【1600年(慶長5年)の冠者城攻めは史実なのか?】

秀忠軍として真田征伐に石川玄蕃頭康長(松本藩主)、日野根徳太郎吉重(諏方高嶋藩主吉明の弟の高明の子)は従軍し、家康の命により秀忠軍が中山道を美濃へ向けて進発すると、海津城の森忠政らと共に上田城の抑えを命じられている。

この時、石川康長と日野根吉重が真田の家臣池田出雲の守る冠者城を攻め、当初は戦いを有利に進めたが、池田長門守のだまし討ちに遭い、逆襲され敗走したという。

この話は「上田軍記」という松代真田藩の家臣が江戸時代(17世紀初頭)になって書いた書物に記されており、この書物は「上田合戦起こりのこと~安房守昌幸父子の九度山蟄居のこと」についてほぼ家記に近い形で編纂されたものだという。
歴史小説とは違うらしいが、真田沼田藩にて編纂された「加沢記」と同じく、誇張されたり史実を取り違えたりしている部分もあるようなので、史料としての信憑性には欠けているようである。

上田軍記について詳細を知りたい方は内容も含めてこちらへ⇒信州上田軍記


【保福寺峠の石川の陣地跡~おまけ】

小県郡青木村~松本市保福寺町を結ぶ県道181号線は、かつての東山道であり、東信濃と中信濃を結ぶ重要な街道であった。
江戸時代には松本藩側に番所が置かれ、人や物資の往来を監視するほどであった。

ここには青木村から保福寺峠に向かう途中、二ヶ所の石川軍の陣址の標柱がある。

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一遍水という水場近くの標柱。

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まあね、陣場はどこも似たような平場なようで・・(笑)

みなさん、さっきの「上田軍記」の描写でお気づきだと思うが、小諸に本陣を置いた秀忠軍。もちろん従軍の各武将の陣地も小諸かその周辺での設営であるはず。

石川康長と日野根吉重の部隊だけが保福寺峠に陣地を構えるのは合点がいかない。彼らの部隊がそれぞれの領地から保福寺峠を越えて陣を構えるなら理解できるが、わざわざ小諸から危険を冒して敵陣の真田の領地に侵入するとは思えない。

最初に冠者城攻めありきを具現化する為に松本藩から石川軍が派兵された・・・という話を裏付けする後付けの標柱であろう。

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それらしき史実っぽい注釈の書かれた標柱。

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数段平場が道路沿いに展開しているが、正直よくわからない。

実のところ、石川・日野根の部隊が攻めたという冠者城というのも正確にどの山城なのかは不明なままである。

小県郡史の「子檀嶺城(こまゆみじょう)」の記載にも、真田昌幸の統治時代に反乱を企てて立て籠もった斎藤某を信幸が大筒を麓から山頂に撃ち降したという伝承の記載はあるものの、慶長五年の紛争には触れていないし、長野県町村誌にも載っていない。

否定も肯定も出来ないが、地元で尾ひれ羽ひれついた伝承になった・・というのが真実のようである。

≪石川の陣地≫

場所:青木村沓掛釜房1ヵ所1ヵ所、青木村奈良本2ヵ所
造営時期:慶長5年(1600年)9月
お勧め度:無し
所要時間:-
見どころ:特になし 
注意事項:特になし
参考文献:「青木村誌」「信州上田軍記」など

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保福寺峠入口の石川軍本陣付近から見た子檀嶺岳。
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Posted on 2019/05/04 Sat. 20:17 [edit]

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