FC2ブログ

らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~

「戦国の城」それは近世の城郭のような石垣も天守も無く、土塁と空堀というただの土で作られた戦場の砦。 戦国の世を駆け抜けた貴重な資料の宝庫です。

0630

伴野古城 (下伊那郡豊丘村神稲)  

◆伊那谷の河岸段丘の城にありがちなオーソドックスな縄張り◆

その気になっているうちに掲載しないと、一ヶ月近くブログ更新が放置されるので連投してみましょう・・・(笑)

今回ご案内するのは、昨日ご案内した「田村の城山城」から約1km南の「伴野古城」。同様に河岸段丘の先端を利用した館城だ。

DSCF3996.jpg
城跡の入口には立派な石碑と説明板がある。

【立地】

前回の「田村の城山城」と同じく単流側に突き出した河岸段丘の先端を利用した城館。台地の東側を堀切で仕切っている。詰めの城はここらしいが、麓の居館の位置は不明で、戦国初期の縄張りのまま残り、早いうちに捨て置かれたように思える。
天龍川を挟んだ対岸には松岡氏のネットワークの城群が良く見える。

伴野古城見取図①
時間に追われてしまい、今回踏査したのは、郭1と郭2、そして堀切㋑と㋒のみであった。


【城主・城歴】

5世紀の初めに朝鮮からの帰化人である大伴氏の一族が土着し伴野氏を称したのが始まりだとされ、最初は段丘上に居を構えたというが、後に麓に下ったという。麓の居館跡ははっきりしない。
伴野氏は知久氏の配下であったようで、天文23年に武田軍との合戦に及んでいる。
敗北後は信玄に従い、各地を転戦するが、城館はその後改修される事なく武田氏滅亡後には放置されたのであろうか。

DSCF3997.jpg
郭1の東側に新たに造成された墓地。

DSCF4002.jpg
郭1と郭2を区画する土塁の上に築かれた社の脇に申し訳程度に標柱が建つ。


【城跡】

道路の開通により改変された堀切㋒と堀切㋑に区画された部分が主郭。83×60と広い。宮坂図に従い、堀切㋑は貫通した堀切を推定して描き込んだが、案外と現状のように堀切は両サイドの斜面に対しての防御のみで、副郭(郭2)とは土塁で遮断していただけに思える。

DSCF4003.jpg
郭2.杉林が500年もの間城跡を守り続けている。有難い事ですw

郭2(副郭)は45×60の三角形でこの城域の中での防御性は一番高い。時間の都合で郭3及び郭4は未踏査のままである。
下伊那地方の河岸段丘を利用した館城を歩くとほぼ似たような縄張で、戦国時代の初期は豪族間である程度の築城技術が共有されていたのかもしれない。

DSCF3995.jpg
堀切㋒の痕跡はカーブミラーの奥側に確認出来る。

IMG_0551.jpg
郭2の北側の切岸。かなりの角度を付けている。

伊那谷の城は、戦国時代の早い段階で武田氏の被征服地となったためか初期仕様の館城が多く見受けられ、あまり改修されずにその役目を終えた城が多い。
軍事的緊張の最前線にある山城が絶え間なく改修を繰り返した縄張の面白さとは程遠い為か、あまり人気が無いのも事実だ。
それでも、それぞれの城にはそれぞれの歴史があり色々な背景がある。そんな城をこれからも紹介していきたい。

DSCF4010.jpg
残念ながら堀切㋒は道路になってしまったが、それ以外の遺構がしっかり残っている。


≪伴野古城≫ (とものふるじょう)

標高:505m 比高75m 
築城年代:不明
築城・居住者:不明
場所:下伊那郡豊丘村神稲(くましろ)
攻城日:2017年3月19日
お勧め度:★★☆☆☆
城跡までの所要時間:-
駐車場:無し、路駐
参考文献:「信濃の山城と館⑥ 諏訪・下伊那編」(宮坂武男著 戎光祥出版)
見どころ:堀・切岸など
注意事項:特になし
Special hanks ていぴす殿

DSCF4007.jpg
北側の堀切㋑の堀底から撮影。かなり埋まってしまい辛うじて型が残る程度。



IMG_0552.png
探訪時のスクリーンショット
スポンサーサイト



Posted on 2019/06/30 Sun. 11:54 [edit]

CM: 7
TB: 0

« 本城 (下伊那郡豊丘村河野)  |  田村の城山城 (下伊那郡豊丘村神稲) »

コメント

伊那の城って・・い~な・・。

伴野古城、田村城山城、グンマーから一転下伊那地域への大返し2連戦に舌を巻いております、こんばんわ、久太郎です。

伊那の城って舌城地形先端部の城って多いのですね。最近では赤須城が特に印象に残っていますが良かったな~・・。

しかも曲輪が綺麗な杉林になっている、堀切が道路になっている、という現況も結構あるあるの共通物件で伊那びとの一貫性を感じますね(笑)。

しかも、伊那谷の城は、武田氏の被征服地となって以来、手を加えられなかった城も多いのですね、それは本来の姿を残しているといってもいいでしょうね。・・勉強になります。

この伊那特有?の縄張り打法は秋山氏の対岩村城への東濃侵入にも表れているような気がしてなりません。旧上矢作村の前田砦(上村城)や下村城の縄張りは伊那色が強く反映していると考えられます。秋山傘下の座光寺・知久・下条氏らの影響がでているってことでしょうか??

なにか他所の国とは思えない親近感のある城ばかりでワクワクしてきますね。これは研究取材としても見てみたい城館ばかりです。城址碑ファンの久太郎としては標柱が腐って折れる前に是非とも見に行ってみたいものです。

ありがとうございました!

久太郎 #- | URL | 2019/06/30 22:51 * edit *

Re: 久太郎様へ

オーソドックスな親父ダジャレをご披露いただき、京極私越恐悦至極にございますw

伊那谷の城は御承知の通り、暴れ天龍を境として東西それぞれに河岸段丘に築かれることが多く、その中でも松岡氏の城館ネットワークはかなり興味を引く構成だった事を思い出します。

それと、飯田市座光寺にある上野南本城は、最近県指定史跡に指定されたのですが、この城は伊那谷の他の城と一線を画す縄張で、中京圏の影響を色濃く反映している事実には驚愕しました。(なんと二度も訪問してしまいましたが・・・笑)
この城は軍事的緊張に備えた城で、申し訳ないけど、他の「のほほん」とした城とは違う殺気を感じた次第です。

美濃、飛騨、グンマー帝国(ここだけスターウォーズの世界観?)の山城は、信濃に近い縄張なので親近感を覚えます。

現在執筆中(素人がエラソーに・・・汗)の豊丘村の城館群は、南北朝時代の争乱と結び付ける記述も多いのですが確証は持てません。が、大鹿村の大河原城を居城とした香坂高宗が、南朝方の宗良親王を迎えて築いた山城ネットワークを調べると、共通点も確かに見受けられます。
ただ、南北朝時代の山城とイコールなのか?と言われると難しいですね。

んーん、美濃国に築城した山城に信濃の豪族関与しているか?というのも今後の研究課題ですね。
ここは貴殿とじっくり縄張図を検証して、怒号と罵声と笑い声が行き交う議論に及びたいものです・・・(爆笑)

こちらこそ、連戦連勝のマラソンでお疲れのところ、貴重なコメントありがとうございました!!

らんまる #- | URL | 2019/07/01 20:14 * edit *

伊那の記事、有り難く拝見しております!!

天竜川の河岸段丘を利用した城、ホントいくつもあるのですね。(グーグルの俯瞰地図
で見るとよくわかりました!)
晴近が春近衆に手を加えさせたりしたのでしょうか。
どんな人だったんでしょうかねぇ・・・秋山。

(横でスミマセン、なのですが
コメ欄の皆様のコメントでも勉強させて頂いています。
ありがとうございます。)



じろう #6G1pQkbg | URL | 2019/07/01 21:14 * edit *

Re: じろう様へ

いつもコメントありがとうございます。

伊那谷の城を巡る時には、伊那谷の往時の時代背景を押さえておくと割とすんなりと腑に落ちるような気がします。

一つ目は、南北朝時代に宗良親王を奉じて南朝方として戦った香坂高宗に関する時代背景

二つ目は、武田晴信の諏訪侵略から伊那谷への侵攻に関しての動向。ここにおいて伊那郡代→美濃侵攻で岩村城主となった武田二十四将の一人である秋山信友の生涯は必須かと。

三つ目は、天正壬午の乱における伊那谷の豪族と徳川家康の動向。最終的に松尾城の小笠原氏と高遠城の保科氏以外は没落してしまった過程は抑えておいた方が良いかと。

それらを学ぶと、伊那谷の城の魅力は輝きを増すと思うのですが、貴殿にしてみたら余計なお世話とも、老婆心とも・・・(笑)

らんまる #- | URL | 2019/07/02 19:51 * edit *

こんばんわ

松岡城の横堀なんかも、武田以前にあったんでしょうかねぇ。武田末期にしては古いと思いますし、武田盛期だとすると、武田に睨まれるような気もしますし…。

えいき #- | URL | 2019/07/02 22:42 * edit *

Re: えいき様へ

ご無沙汰しております。最近のご活躍ぶりはブログを読み逃げして存じ上げておりますが、Yahooブログと違い、コメントするにはブログ会員にならなきゃが面倒なので、そのうちなどと延期しております・・(笑)

松岡さんの城、信玄の頃の改修でしょうか。
高遠、大島、飯田と直轄の城が完成するまでの軍事拠点として武田軍も改修に加わったような気がします。
信濃先方衆としての松岡さんは、かなり活躍したようなので待遇は良かったんでしょう。

この地方の国人の美濃との繋がりも調べてみたいのですが、とりあえず在庫を消化しないと・・・(汗)

らんまる #- | URL | 2019/07/03 07:38 * edit *

アメーバ コメント

会員でなくともできるはずです。えいきの令和編は移設試行段階で、初発は木曽の田立砦でしたが、他は飛騨の小城記事なので、まだあまり見に来ていただけていません。8日には南信濃の熊の城を公開します。信濃を代表して、なにごとか書き込み下さい。

えいき #- | URL | 2019/07/05 21:58 * edit *
コメントの投稿
Secret

トラックバック
トラックバックURL
→http://ranmaru99.blog83.fc2.com/tb.php/974-872aaa5b
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

城主からのご挨拶

地域別攻城戦記

諸国在住の皆さまのありがたき進言

もののふ入城者数

在城中の「もののふ」

攻城戦記年表

▲Page top